YOGAの仕事に携わっていると、Vegetarianやあまりお肉を食べない人ともよく出会います。

去年、参加したリトリートの講師(アメリカ人)は、完璧なベジだったため、旅館のお料理は、特別にお願いしたスープのだしさえも肉や魚をつかわない懐石料理でした(季節野菜や山菜や豆腐、最高に美味しかった♪)

その講師の先生は、仙人みたいな雰囲気があって、山歩きで熊がでるかもという話になったときに、「僕は肉を食べてないから大丈夫。敵とはみなされないよ」と、冗談と本気が3:7くらいの発言をしていました。

Vegetarian、尊敬するマハトマ・ガンジーもそうですが、素晴らしいなぁと思います。

それとともに、私の周りには体育学部や研究科出身の仲間も多いので、めちゃめちゃお肉食べる人たちもいます。(私もどちらかといえばこっち寄りw)

尊敬するイチロー選手曰く、肉を食べない人は身体が弱い(正確な言い回しは覚えていません、ごめんなさい)というような発言をしています。

どちらも価値観と信念に基づいている思想と言葉。重みがあります。

その思想や価値観、自分にはもう確固としたものがあると思い込んで凝り固まってしまうことを頑固といいます(笑)

たぶん、ベジ仙人もイチロー選手も、自分の価値観と信念を信じているけれども、思考停止に陥っていないのだと感じます。つまり、常にチェックを怠らず新しい情報をとりいれて、必要であれば柔軟に取り込んで練り直す。

これ、すごく大事なこと。なのに、日本人には欠けている人が多いのではないかしらん。


食べ物の話に戻ります。


食べ物って、元生き物なんですよね。たいがいはいのちが消えた状態でいただきますが、豚も牛も鳥も魚も貝も野菜もきのこも果物も種も豆も虫も菌も…

そう、動物も植物も昆虫も、すべてがいのち

きのう、はちみつ梅干しを味わいながら思いました。

この梅干しって、無数のミツバチがもっと無数の花からあつめてつくった蜜に、あの可愛らしい梅の花の後にできる実をつかって、人間が(もちろん機械をつかう作業も含め)、手間をかけてたぶん愛情もこめてつくり、さらに様々な流通や販売経路をたどってうちまで辿りついたんだなぁと思うと、なんだか軌跡としかいえないなぁって。

インディアンの部族の人が、ハンバーガーについて、同じようなことを言っている文章を読んだことがあります。
「それはただのハンバーガーじゃない!牛やレタスや小麦なんだ」みたいなこと。

つまり、ファストフードの食事だって、いのちの姿なんですよね。

ポテトは世界のどこかの土の中で育ったじゃがいも、お肉も野菜も油も同じ世界のどこかに生まれたいのち。

きっと、ファストフードっていうのは、人の心の在り方なんだろうな。

いのちに感謝しながら、たくさん食べて、元気に長生きして、また地球に還っていきたいなぁと、マックの期間限定¥150のLポテトを食べながら思うのでした♪w