夜更かし…ではなく、一度クッションで落ちて

3時間ほど寝てしまって^^;


なんとなくPCにむかっていますww


昨日、落ち込んだ母からメールが届きました


母の親友がクモ膜下出血でたおれてしまったと

先週、1年ぶりくらいに銀座でランチをして、倒れる2日前にもメールでやりとりしてたのに・・・と


意識もなくて手術もできない状態だそうですから

(過去に母もクモ膜下で倒れたのですが、幸い意識があって手術前に話すこともできたのです。今は奇跡的に後遺症もありません。同じ年に亡くなったおじいちゃんが助けてくれたのかも)


「とにかく早く会いにいってきなよ」とだけ電話で話しました



YOGAのルーツ、ウパニシャッド哲学では

身体、感覚器官(神経機能)、意識(思考:マナス)は

魂(アートマン)のための機械みたいなもので

アートマンが外界を観照するためにはたらく道具なのです


だから、脳の障害で、神経機能をつかうことや思考することができなくても

身体が生きていれば、彼女の魂はちゃんとそこにあるんだよね



 「あそこにある大きな樹だね、あの樹の根に切りつけたならば、

 樹が生きている以上液汁を出すだろう。

  (略)

 あの樹は生命(ジーヴァ)という自我(アートマン)によって統べられているから、

 水を吸い上げて生き生きと楽しそうに茂っているのだよ。


 あの樹の枝の一本から生命が去ると、その枝は枯れてしまう。

 さらにその次の枝から生命が去ると、その枝も枯れてしまう。

 樹の全体から生命が去るとすると、樹の全体が枯死するのである。

 こんなわけで、おまえ、次のような結論になる。


 『生物は生命が去れば死ぬ。しかし生命が死ぬのではない』 とな」


 『ウパニシャッド』佐保田鶴治 より



輪廻思想の根拠となる哲学です


だから身体が生きているうちに、できればたくさん会っておきたい


わたしたちの身体は必ず朽ちるものだから


縁や繋がりを大事にしたい


たとえ生物が死んでも、生命は死なないから


巡り巡ってまたどこかで逢えるよ


ときには雲の中や海の底や森の土のいのちとして


いのちをそういうふうに捉えて生きるととても楽なんだよね


楽だとインディアンの思想を綴った「今日は死ぬのにもってこいの日」なんて美しい詩ができたりするんだろうね(お勧めBOOKで紹介しています^^)


いまの社会には「楽」であるということはとても大事なキーワード


いまは人との繋がりも自然との繋がりもとても少ない


むかしから少ないなら平気


でもわたしたちは


何万年も太陽や大地や海や動物や植物や人間と繋がって生きてきてる


自分という固体が生きてきたたった数十年(または十数年)の生活が「普通」だと思っていると


からだやこころの病になってしまう


もちろんいつかは朽ちる体・きえる心であっても



いつかは失われるものだからこそ


大事に慈しみたいじゃない