いざオペラの旅へ。
3年前と同じ便だ。


久しぶりの新国立劇場。去年は一度も来られず、《ワルキューレ》以来、約1年8ヶ月ぶりの来訪。
今日の公演が千秋楽なので、飯守監督の新国立劇場での最終公演ということになります。カタリーナ・ワーグナーの演出ということもあり、チケット争奪戦になるかと思いきや、直前まで割引券が販売されるほどに売れ行きは芳しくなかった様子です。特に千秋楽は発売即完売でもおかしくないと思っていただけに、少し肩透かし。結局かなり客席は埋まっていたように見えたので良かったですが、オペラの企画は難しいですね…
 
 

☆飯守泰次郎/東京交響楽団@新国立劇場

・ベートーヴェン:歌劇《フィデリオ》(カタリーナ・ワーグナー演出)
(開幕20周年記念特別公演)
 
〇キャスト
ドン・フェルナンド…黒田 博
ドン・ピツァロ…ミヒャエル・クプファー=ラデツキー
フロレスタン…ステファン・グールド
レオノーレ…リカルダ・メルベート
ロッコ…妻屋 秀和
マルツェリーネ…石橋 栄実
ヤキーノ…鈴木 准
囚人1…片寄 純也
囚人2…大沼 徹
合唱…新国立劇場合唱団
 
この《フィデリオ》というオペラ、初演から度重なる改訂があり、それに伴い序曲も作り直されていて、本来の姿が見えにくい作品な気がします。脚本の内容もシンプルゆえに一本調子な印象を受けるので、演出の手法がかなり重要になると思うのですが、今日の演出は後世に残して欲しいほどの素晴らしいものでした。
 
1幕の舞台は二層構造のセットでスタート。上層ではマルツェリーネやヤキーノらのやり取りが展開され、下層ではこの幕で出番のないフロレスタンが黙役として登場しています(絵を描いたり小芝居もあって大変そう…)。セット全体は無機質なコンクリートのような造りですが、マルツェリーネの登場時はピンクの花柄の背景や花が用意されたりして、うまく緩急がつけられていたように感じます。人物の影の投影を演出の手法にうまく取り入れていた点も面白かったな。ただ、舞台上を歩き回るときのセットの軋みの音がかなり目立っていたのが残念。音楽の妨げになってしまっていました。
マルツェリーネ役の石橋さんは初めて聴いた歌手でしたが、素晴らしかった!夢見がちな少女の役柄が声にもよく表れていて、レオノーレやロッコに負けない存在感でした。ロッコ役の妻屋さんも変わらぬ安定感で安心して聴けます。
1幕終盤の囚人に陽の光を浴びせてあげる場面では、それまで隠されていた三層目の舞台が地下からせり上がり、三階建てのセットに変貌します。ゼッフィレッリの《アイーダ》をはじめ、二層構造はしばしば見かけますが、三層構造は初めて観ました。
 
 2幕はフロレスタンの慟哭から始まりますが、グールドは流石の歌唱。こういった世界的な歌手を呼んで来られるのは新国立劇場ならではですね。演出は1幕よりさらに凝ったものになっていましたが、やはり度肝を抜かれたのは、フェルナンドの到着時に《レオノーレ》序曲第3番が奏でられている中で、ピツァロが夫妻を手にかけるシーン。まさかこの場面の使い方にこんな手法があるとは…。
そしてフィナーレではピツァロはフロレスタンに変装し、恩赦を受けて解放目前だった囚人たちや役人を一網打尽にしてしまいます。こんな終わり方は納得できないという人や、このオペラにそんな結末は求めていないという人もいると思いますが、自分はびっくりするくらいにしっくり感じられました。
 
気になったのは、1幕のフィデリオ登場時の鍛冶屋での値切りのくだりがカットされていたこと(稿の違い?慣習?)、フィナーレでレオノーレに扮した女性が唐突に出てきたこと(ここまで凝った演出ならどこかにわかりやすく黙役で出しておいて欲しかった)、座席によっては死角が多過ぎること(上手サイドの席だと、刺されたフロレスタンとレオノーレが過ごしてる部屋とか全く見えなさそう)。しかし、フロレスタンやピツァロの台詞がない場面での細かな所作が、演出に奥行を与えていて、ぜひともまた観たいと思わせてくれるプロダクションでした。特にピツァロをここまで狡猾で変態な、所謂サイコパスのように描ききった演出は少ないのでは。
 
結末は一般的なハッピーエンドではありませんでしたが、夫婦が最期を共に迎えられたのは、ある意味一つのハッピーエンドの在り方だとも思いますし、ピツァロはあのラストの後、政府筋に消されるかもしれないし、あの演出が必ずしも完全なバッドエンドとは言い切れないのではと感じました。
また、日本ではなかなかお目にかかれない類の演出だと思うので、拒絶反応もあるかと思いますが、これを海外オペラハウスの引っ越し公演ではなく、新国立劇場がやったということに大きな意義があるのでは。これでまた日本におけるオペラの可能性が拡がっていくことを願います。

川崎駅が大幅に改装されてしばらく経ちました。演奏会前に駅ナカのお洒落なお店でランチを食べてから演奏会へ。

 

☆ジョナサン・ノット/東京交響楽団@ミューザ川崎シンフォニーホール

(川崎定期演奏会 第65回)
・マーラー:交響曲第10番 嬰ヘ長調からAdagio
・ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調

前日のサントリー定期と同様のプログラム。
サントリーではNHKの収録があったようなので、放送が楽しみです。

マーラーの10番は昨年のブルレスケで取り上げたこともあり、思い入れのある曲。この世の音楽ではないかのような悪魔的な魅力のある曲ですが、今日の東響の演奏は優しく暖かみがあり、人間味溢れるアプローチ。トランペットの強奏部も意図的にかなり抑えていて、この曲の持つ純粋な美しさに改めて気付きました。

ブルックナーの9番は何故かあまり好きになれない曲ですが、今日の演奏には心打たれました。マーラーとは対照的に、こちらは完全に向こうの世界に行ってしまっているかのような、鬼気迫る演奏。どの楽章も弛緩することなく常に緊張感があり、個人的には冗長に聴こえがちなこの曲でしたが、今日は全く長さが気になりませんでした。ノットのブルックナーは5番か自分の好みとはちょっと違ったので、むしろマーラーの方が期待値が高かったのですが、良い意味でそれを裏切ってくれました。

恐らくかなり力を入れているであろう7月の《ゲロンティアスの夢》を聴きに行けないのが残念だ…

局の歓送迎会も終わり、少しずつ仕事も落ち着き始めてきましたが、まだまだ慌ただしい日々です。

4月の平日に演奏会の予定を入れると、体力気力ともに余裕がないので、心の底から楽しみきれないとわかってはいるんですが、今日の演奏会は本当に行ってよかったです。

 

☆マリア・ジョアン・ピリス ピアノ・リサイタル@サントリーホール

・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 op.13《悲愴》

・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 op.31-2《テンペスト》
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 op.111

・ベートーヴェン:6つのバガテル op.126より第5曲 Quasi allegretto(アンコール)

 

昨年末に引退を表明したピリスのラスト・ツアー。欧州での演奏会は軒並みキャンセルしたようですが、日本の演奏会は全て予定どおりに行ってくれるそうで、日本のファンは幸運です。

ピリスを聴くのは5年前のハイティンク/ロンドン響とのモーツァルト&ベートーヴェン、4年前のティチアーティ/スコットランド室内管とのショパンに続いて4回目。リサイタルはこれが最初で最期。

 

 前半の《悲愴》と《テンペスト》は、少し温度が低いような、慎重な演奏に聴こえてしまい、良い演奏だけどこんなものかなーと思ってしまいましたが、メインの32番は異次元の演奏でした…

特に2楽章は冒頭から告別のように繊細な音で、自分含めてやや散漫なようにも感じていた会場の雰囲気が一変した気がしました。高音域のpの美しさはこの世のものとは思えないくらい。こういう音なら別日のシューベルト・プロも聴きたかった。アンコールも何かから解放されたかのような伸びやかな音色で、聴いていて心が暖まりました。


3月のペライア来日キャンセルは残念だったけど、このリサイタルが聴けて本当に良かった。

新年度になり、異動の喧騒もまだまだ収まりませんが、なんとか午後半休を取り演奏会へ。

上野の桜はもうひとひらも残っていませんでした。

 

☆ウルフ・シルマー/NHK交響楽団@東京文化会館

ワーグナー:歌劇《ローエングリン》(演奏会形式)

〇キャスト

ハインリヒ国王…アイン・アンガー

ローエングリン…クラウス・フロリアン・フォークト
エルザ・フォン・ブラバント…レジーネ・ハングラー 
フリードリヒ・フォン・テルラムント…エギルス・シリンス

オルトルート…ペトラ・ラング
王の伝令…甲斐栄次郎

ブラバントの貴族…大槻孝志、髙梨英次郎、青山貴、狩野賢一
小姓…今野沙知恵、中須美喜、杉山由紀、中山茉莉

合唱…東京オペラシンガーズ

 

3年前の《ワルキューレ》以来の東京・春・音楽祭。

この《ローエングリン》は7年前にアンドリス・ネルソンスが振る予定でしたが、震災のため中止に。その後、ネルソンスは一気に躍進した感もあり、もう日本のオケを振ることは当分期待できないでしょう。

 

今日の《ローエングリン》、やはり表題役のフォークトが素晴らしかった!

一昨年の新国立劇場での同役よりさらに声に深みが出てきていて、ヴァルターやタンホイザーも歌ってきたからか、表現力もさらに進化しているように感じました。ラングのオルトルートやアンガーの国王も流石の歌唱。

ただ、今日はハングラーのエルザが不安定だったのが残念…。

 

シルマーの指揮はさすが歌劇場のキャリアが長いだけあり、N響から分厚い音色を引き出し、ドイツのオケで聴いているかのような演奏を聴かせてくれました。(もう少し地鳴りのようなパワフルさも聴きたかったけれど。)

合唱も統率がとれていて素晴らしかったです。

 

しかしあの映像のクオリティの低さはなんだったのだろうか。特にメッセージが伝わるようなものでもなければ、変化も乏しく、あれなら純粋な演奏会形式で良かったのでは…。