登山家の栗城史多さんの訃報で
普段テレビを観ない私も
ついブラウン管に見入ってしまいました。
35歳という若さで
本当に残念ですし
まだまだやり残したことが
彼にはたくさんあった事と思います。
残された家族…
お父様は
息子が還らぬ人と知り
「自分の好きなエベレストで消えた。
ありがとうございます。
皆さんに助けてもらって、
”バカ野郎”とは言えない。
よく今まで頑張ったと思う”」
そうコメントされたそうですが
もし、
栗城さんが高校生の時に
亡くなられた
お母様が生きていらしたら
お父様と同じような事が言えたでしょうか…
ほとんどの母親にとって
先に自分の子供が亡くなるという事は
多分…
この世に生きているうちで
いちばん
辛く悲しい事だと思います。
私は娘を産む前は
自分の事が一番大切でした。
娘を産んでからは
何をおいても娘が一番大切…
怪我をしても、病気になっても
代われるものなら代わってあげたい
はじめて感じる自分の中の母性でした。
それは幼い頃だけではなく
これから先
私の方が年老いても
気持ちは変わらないと思います。
2年前に私の父が癌で
余命宣告を受けた時の事です。
ちょうど同じ時期に父の母である
私の祖母が病に伏しておりました。
祖母は叔母の所で養生しており
祖母においては老衰で
危険な状態が続いておりましたが、
時々戻る意識の中で
長男である父の名前を
何度も何度も呼び続け
「あの子はどうしてんのんや…
なんでうちに会いに来んのんや…
体調悪いんか…
精のつくもんなんか送ってやってくれへんか…
私の財布からお金出してこうてきておくれ…」
そう言って叔母を困らせたそうです。
父の状態を祖母に伝えると
余計に衰弱するのではないかと
親族一同
父の様子は
祖母には伝える事はできませんでした。
結局、父が74歳の生涯を終え
その事を伝える間も無く
父の後を追うように
祖母も92歳で息を引き取ったのです。
今は同じお墓の中で
父は親孝行を
祖母は息子に甘えている事と思います。
いくつになっても親にすれば
子供は子供…
自分が寝たきりになっても
息子や娘の身体の事を心配するのです。
昔から親より先に亡くなる事は
親不孝と言われていましたが
それは
この世の
これ以上ないと言ってもよい
悲しみを親に与えるからなのでしょう。
栗城史多さんのお母様は
既に亡くなっておられますが
私は自分が母親の立場で
この訃報を知り
とても辛い心持ちになりました。
命には限りがある。
たった一度の人生だから
自分の好きな人生を歩んでいく事は
とても素晴らしいと思います。
苦難や困難に打ち勝って
それを身をもって表現し
皆に勇気を与える…
誰でもに出来る事ではありません。
ただ、親は心配なんです…
子供が元気に暮らしているか…
窮地に立たされていないか…
親にとっては、幾つになっても
子供とは
そういう存在なんです。
栗城史多さんのご冥福をお祈り致します。