「友音 ファースト・ソロコンサート」

 

6月2日(土)14:00開演 (開場13:30)

場所 Star grace 港ーマス

港区北青山3-10-2 栄友ビル2F  電話03-5778-4130

表参道駅 B4出口より徒歩3分

料金 2,500円+1ドリンク

出演 友音(歌) スペシャルゲスト 成川正憲(ギター)

 

お申し込みフォーム

https://ws.formzu.net/dist/S59716484/

 

 

 

昨日、こんな朗読劇を見て来ました。

 

 

「朗読劇」という言い方が正しいのかどうかはわかりませんが・・・2人の俳優さんと、1人の音楽家による作品。

 
音楽担当の、黒田京子さんがFacebookに書かれていた文章が、とても興味深くて、表現者すべてが考えるべき重要なテーマだなぁ〜と思いました。
(あっ、なぜかいつになく固い文章だわ〜)
 
ちょっと引用させて頂くと・・・
 
(前略)
私はこれまで演劇や朗読の音楽をたくさん手掛けてきましたが、原作を読んだときに最初につぶやいた言葉は、どうしよう?困った・・・でした。
あまりにもたくさんの音や声が聞こえてきたからです。
 
(中略)

ともあれ、なんとかしなければなりません。
人が容易に足を踏み入れることができない森の奥に広がる風景、地面の下を流れる水の音、あたり一面に漂うなんともいえない香りなど、石牟礼さんが紡いでいる言葉から自分が感じたことを、少しずつ音やサウンドにしてみます。

ただ、最後までどう表現したらいいだろう?と私を悩ませたのが、匂い、でした。
いったい、この匂いを、どうやって音にすればいいのだろう?

という考え方が間違っていたことに、実は私はやっと昨日気づきました。匂いは表現するものではない、ということに。つまり、表現する対象は自分の外にはなく、自分の内側に、匂いを感じている自分のなかにあり、私は感じた匂いを、指先からただ空間に放てばいいのだということに気づいたのです。
なんだかよくわからないという方もいらっしゃるかとは思いますが、落ち着いて考えれば、至極あたりまえのことだったと思っています。

(引用ここまで)
 
 
特にハッとしたのは、この部分。
 
表現する対象は自分の外にはなく、自分の内側に、匂いを感じている自分のなかにあり、私は感じた匂いを、指先からただ空間に放てばいいのだということに気づいたのです。
 
 
「表現しようとする」ことと、「感じたままをそのまま表現する」ことって、似ているようで全く違うんですよね。
 
私はよく、発声・歌唱・演技指導者の玲子先生に、
「形でやろうとするな〜!!」(怒)
と、怒られまくっているのですが・・・(汗)
 
たとえば、悲しい歌を歌うとき。
「悲しそうに歌う」のが前者なら、
「自分の心が悲しんでいるままに歌う」のが後者。
 
この違いは大きい。
そして、とても難しい・・・。
 
私が歌うときの、一番の課題と言ってもいいかも。
 
楽しい歌は、楽しそうに歌うのではなくて、ただ楽しい心のままを声にのせられたら、それはきっと、聞いている人にも伝わると思うんです。
ただ、それを「やろうとする」とまた違っちゃう。
ホント難しい。。。
 
 
ところで、このお話しは、原作は石牟礼道子さんの児童文学作品です。
 
石牟礼道子さんは、今年の2月に亡くなられたばかり。
 
私は、お名前くらいは知っているけれど本を読んだことは無かったのだけれど・・・。(勉強不足でスミマセン)
 
ちょうど亡くなられたとのニュースが出た前日、たまたま読んでいた本のなかに、石牟礼さんの「苦海浄土」のことが書かれていて、それが妙に印象に残っていた・・・。
 
だからといって、特に意味はないのだけれど、それでも何かしらのメッセージを感じました。
 
人はそうやって、目に見えない影響を受け合って生きていくんだなぁ、とも思った。
 
舞台を見終わったあとで、図書館から「水はみどろの宮」の本を借りて読んでみました。
そうしたら、舞台とはまた違った印象もあって。
 
人はそれぞれの感じ方、受け取り方があって、何が正しいということは何にもなくて、だから面白いんだなぁ。。
 
 
 
P.S.
今日はちょうど、石牟礼道子さん追悼の会が都内であったそうだ。