ボーダーラインのかたの特徴を思う時、
私は思い出す言葉があります。
それは

『愛が深すぎる。』

と言うことです。

今回はボーダーラインのかたは真面目過ぎる。
と言う一見、反対のお話です。





自我同一性拡散については以前ご説明した通り、
自分のありかたが分からない状態です。

参考→愛と憎しみの病気ボーダーライン②


つまり、
私はこれでいいのか判断が出来ない。
のです。


『自我同一性拡散』について考えてみると、
拡散という言葉から連想される
「広がり薄まった状態。」
よりも、
『大きく肥大化した状態。』が
ボーダーラインの自我のように思えます。



それは何故かと言うと、

○私は何者だろうか。
○私の生き方はこれでいいのだろうか。
○私の職業はこれでいいのだろうか。

と言う
非常に真面目な気持ちから、
考え悩み苦しんでいるからです。

実はボーダーラインのかたは、
非常に真面目で繊細です。

一般のかたが
『ま、これでいいか。』
と妥協してしまえることも適当に考えることは出来ず、
答えを求めて悩みぬいてしまいます。


そして、
考えれば考えるほど、
自我は大きく肥大して行ってしまいます。

その答えを求める気持ちは、
ある意味ひたむきで真面目なものだと言えるのです。


しかし、
自分のあり方や自分の生き方は、
考えるよりも感じるものでしょうし、
現状の自分を考えて
『まーまーそこそこ幸せ。』
と自分を評価出来る程度が丁度いいのです。


ココロが健やかだと、
この『まーまーそこそこの幸せ』で満足出来るのですが、

非常に理想が高く、
自分も周りも努力が足りないと考えると、
この『まーまーそこそこの幸せ』が感じられません。


幸せを感じられないと、
益々ひたむきに幸せを追い求めます。

現状が幸せでないから、
あれがダメだ。これがダメだ。
と欠点ばかりが目に付いてしまいます。
そしてドンドン細かいところまで気を配り気にしてしまいます。

そう考えると、
細かくいろいろなことまで努力するのですから、
自我が強く大きくなって行きます。


この懸命な努力が、
自我を肥大化させてしまい、
自我同一性拡散と言う極端な状態になるのです。


重症なケースでは、
自我が大きくなり過ぎて、
自分でも全体が把握出来なくなり、
何を中心に物事を捉えればいいのか、
自分で自分が分からなくなってしまいます。

余計に自分とは何かと感じられなくなるのです。


そうです。
『自分とは何か。』
これを感じるには、
自分で全体を把握出来る
『まーまーそこそこの大きさの自我』
である必要があるのです。



考えてみると、
ボーダーラインのケースでありがちな
ドロドロした恋愛やドロドロした家族関係は、
ボーダーライン特有の懸命過ぎる努力のせいかもしれません。

パートナーが浮気していると疑うことも、
パートナーが自分を理解してくれないと感じることも、
兄弟の不幸の原因を本気で恨むことも、

人間関係に真面目過ぎる態度から来ているのです。
この真面目さが視野を狭めているとも言えます。



不真面目に適当に恋愛する。
なんて言うと、
酷い人間に思えるでしょうが、
実は恋愛が生活の中心になってしまうことは、
ボーダーラインのよう状態を生み出しやすいのです。


不真面目でもなく、
真面目過ぎることもなく、
『まーまーそこそこの真面目さ』で恋愛することが正しいのです。


ボーダーラインを抜け出す方法は、
結局は恋愛だけ人間関係だけと言う極端な状態ではなく、
人生全体を広く見渡して行くような態度が必要です。


相手を愛し過ぎてしまうこと

それ自体は悪いことのように思えませんよね。
現にテレビや雑誌では恋愛を奨励しているかのようです。

しかし、
それを真に受けて愛し過ぎてはいけないのです。


『まーまーそこそこの自我の大きさ』
『まーまーそこそこの真面目さ』
『まーまーそこそこの愛し方』

などのバランスがいい状態のほうが、
ずっと生きやすいはずです。


そして、真面目過ぎる故の不満は簡単に爆発します。
それがボーダーラインの本質である『行動化』なのです。



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