先週
京都の 上賀茂神社へお参りに行きました













世界遺産に登録されています
京都の春の風物詩である 「葵祭」でも有名です



正面の 鳥居



この向こうは   空が抜けていて
風と光が いっぱい ♪ というかんじ



















歩いているうちに
自然と 気持ちが落ち着いてきます







20代の頃  
京都に数年住んでいたわたしですが
なぜか  来る機会がなく  
この日が はじめての参拝でした














ニノ鳥居をくぐると  「細殿 」


円すいの形をした 一対の盛り砂は
本殿うしろの 神山を表しているそうです










手水舎

ここもまた  風が通って 気持ちイイ






2つの川が 合流



























左へ曲がると  楼門





















本殿









祈祷所










ハート型 ?











この日は
親しい知り合い2人と来ました

そのひとりの Jさんが 
「とにかく 禊ぎをしたい !」ということで 京都行きを熱望。



Jさんというと
普段は神社仏閣には まったく興味がない人だったので    

いやいや  めずらしいコトもあるんだなぁ♪ 
良い傾向だわぁ  ♪ と
顔には出さずに  喜んでいた私




雪でも降るんじゃ? ともうひとりの友人も言ってましたが、

実際 昨日 降りました  (笑)










さわやかな神気に包まれながら
ゆっくりとお参りをさせていただき

心身ともに浄化された わたしたちでした











そんなこんなで





おかげさまで

その日は  無事に帰宅。








で  、

翌日  朝   Jさんから 電話。







聞くところによると








じつは
3・4日前  不動産屋さんから電話があり

Jさん所有の 更地になってる土地を 
 近くで建設工事があり器械やその他のモノを置くのに  
しばらく月10万円で借りたいという依頼があったそうですが





なぜか?その時 気がのらず
Jさんは  断ったそうです。
(汚れる、荒れる、ゴミが出るなどの理由で)






でも、 




そのあとで 


 しまったー!    と後悔していたそうです









が、


昨日  お参りしてきた夜に

また不動産屋さんから電話があり

あらためて、では 15万円でお願いできないか、という 再依頼が来た、

…と いうことでした





ありがたい展開 で
Jさん  かなり 嬉しそうでした








  神さまのご利益?でしょうか
こんなに 速攻で良いことがあるって… 






たまたま でしょうか?







でも


Jさんの ココロの中が 整って  やる気を取り戻したことには まちがいないです





すごいなぁ  Jさん






(笑)

あ、笑っちゃいけません






どっちにしても

神さまと繋がろうとする
まっすぐな気持ち って大事なんだなぁ と思いました











Jさんは 
次は いつ上賀茂神社へ行こうか、と

張り切っています
 









わたしも 近いうちに
もう一度 行きたいと思っています













↓こちらは

上賀茂神社さんの 駐車場横にある
お手洗いです


すごく  キレイで 思わず パチリ!























前々の記事の続きです

 






母が旅立った夜…に あった

もうひとつの不思議な出来事のお話です












認知症(軽度)の父がいるので
今、  夜は 一階のリビングのソファベッドで寝ているわたしですが




 








その夜


夜中の 0時すぎ くらいに






父が

わたしの寝ている
真っ暗なリビングに 夢遊病者?のようにフラフラとやって来たかと思うと



スッと

自分がいつも使ってる  
食卓の椅子に  座りました







何をするでもなく 

 前で手を結んで

 
ただ  目を伏せて  座っていました








わたしは
「 どうしたの?  まだ朝じゃないよ、部屋へ帰って休んで   」

と  声をかけましたが





父は

聞こえたのか 聞いてないのか…??






じぃーっと 動かず 目をつむっています






  
…?  なに  ?







真夜中のことなので
わたしは  困惑しましたが





ま、
しばらくしたら  また部屋へ戻るだろう、と
思ったわたしは 





風邪をひかないように
電気ストーブをつけて  父の足元に 置きました









認知症の父ですが
介護度は1と軽く


時間の感覚はしっかりしています

夜に行動することは まだ  ほとんどありません
(おトイレに行く以外)


 




なんか…  おかしいなぁ〜
ここで寝るつもりかなぁ? 
 、なんて  すこし思いながらも  





 
父を見守りつつ  
わたしもベッドに戻り 休みました








そして その夜は
朝 3時ころに 病院から電話が入るわけですが、





その電話を取ったとき
父がどこにいたのかは 記憶がとんでいて
覚えていません 








母の様子が変わったのは 夜中の0時ころから
、と看護師さんは言われていました
それから
実際に息を引き取ったのは 2時半頃だそうです

(前々記事のとおり   その間  わたしの携帯に病院から電話が数回入っているのですが  )





ちょうどその時間帯に
父はリビングで 座って 起きて?いたことになります




母が亡くなる時間と ピッタリ合います


 
















そうなんです 



もう ご想像のとおり






 (ヒーラーさんのチャネリングによると)







このとき
父のところに
母のエネルギー(魂?)が 来ていて


父と最期の会話 (エネルギーの交流)をしていたのだ  そうなんです









 そーでしたか …  



今でも  
思いだすと  切なくなる出来事です







やはり  夫婦の魂の絆は 深いんだなぁ ぁ ☆

…ということを、知りました















でも

なぜ、父は リビングまで来たのでしょう?












ふだん 父は
和室で布団を敷いて寝ていますが




寝た状態では 
アチラ(4次元でしょうか?)の世界
エネルギーが 受けにくいのだそうです





だから 

椅子のあるリビングに来て
座らされたんでしょうね
^_^







母と父は
どんな 会話をしたのかなぁ〜  




わたしのところには
来てくれなかったのかなぁ  〜(笑)













とにかく
今おもえば


その時間帯は

いつもと違う とても不思議な時間と空間 で









映像として 

これから
ずっと わたしの頭の中に 残るでしょう



















































母が亡くなった日に起きた
もうひとつの「不思議 」をお話しする


そのまえに








母の入院時にあった ある事 思い出したので
追加したいと思います











時間は ちょいと さかのぼり

今年1月のことです







そのころの 母は  

呼吸不全で
去年12月の危篤を持ちなおして1ヶ月経ったころで

どうにか話したり食べたりは できてはいましたが、

 呼吸器を常に付けていて  
まだ とても安心できる状態とは言えませんでした






家族にとっては  
何が起きるか わからない…といった感じの毎日
でした







そんな中
その病院の主治医から

安定してきたので
 「地域の病院に転院するよう」 に言われ  


しぶしぶ  転院の手続きをし








そして

 転院をして
 病室に落ち着いたとたん




急激にインフルエンザが流行、
その病院では
しばらくは 入院患者との面会はできない、という状況に  




私たちは
転院した翌日から 
母との面会はできなくなったのです







母は 今
いつ、どーなるかわからない時なのに.
なんで、面会できないの〜〜  

 と 


わたしは
やり場のない怒り?と  もどかしさで  
チカラが抜けたような気持ちになりました










それからは

母の病院に行っても 
洗濯物を1階の受け付けで 受け取るだけで  

顔も見れず、励ましの声かけも
なんにも できずにいました



駐車場でしばらく 消沈している日もありました









でも



それが
3日間、

1週間、

そして10日… 20日と続いていくうちに






わたしは

その空いた時間を上手に使えるようになってきました



家事を済ませて  ちょっと映画を観たり、

友達とお茶をしたり…






ここ2年ほどは 母の介護に追われていたので

久しぶりに 
自分だけの時間を過ごして  
すこしですが、
自由な時間を得た開放感を
感じることができました





病院に行くのは
2〜3日に1回です

会えないので
看護師さんにメッセージカードを届けてもらったり   電話で母の様子を聞いたりして








そんなことをしながら








たまに  




こんな理不尽なことって、人生であるもんやなぁ〜  と

実際に
自分の不運さに 嫌気がさしてくるような
気分になることも ありました








そんな感じで
インフルエンザの面会制限は


なんと 1ヶ月も続いたのです










それだけ日が経つと


日頃から いろいろな意味を考える私としては、
つい 深掘りをします









家事をしながら



ん〜む   


コレって…?



もしかすると…     





必要だから 起きているコトかもしれない、と。











母は 明るくおだやかで寛容、信仰心も強い人でした

わたしが 小さい頃から
「虫は殺したらあかんよー、ウソをついたらあかんよ! 」 などが 口癖でした

すこし 霊媒体質でもあり(母の家系から)
たまに  見えるはずのないものが視えたり、声やお経が聞こえたりがある人でした

信仰心が強く
仏様や神様を 信じている人








そんな 母に
こんな 理不尽な?ことが 起きるはずがない










実際 
わたしは楽になっているではないか?   と。








悪いことではない のかも と。






そんな予感がしていました





この 面会制限の期間中
母は特に状態が悪くなることもなかったのですから














案のじょう

 



この面会制限で会えなかった1ヶ月というのは


母からわたしへの「プレゼント」だったのです


 







それも
いくつかの意味があったようで







ひとつは、

娘であるわたしが
病院に縛られずに
「好きなことをする自分の時間」を持てるよう…




(実際  わたしは  映画 ボヘミアンラプソディを何回も観ることができました)








もうひとつは、

「会えなくても つながる練習」






じっさい
面会できなかった 1ヶ月

その間  母とわたしは ずっと つながっていたのだそうです










このことは




今までの人生の中で


もっとも
母の深い愛を感じさせられる 出来事でもあり






また  

これから 
母との本当のお別れが来るのだな、と
いう覚悟をさせられることにもなり


  


気持ちが ぎゅーっと引き締められる思いでした














以上
これらのことは

母が 亡くなる前の
チャネリングセッションで知ったことです












すべてのことの深いところには
「愛」があります




日頃は
それが 見えないことのほうが 多いのでしょう







この「愛」をベースに モノを見たときに
真実が  見えてくるのですね




ホントは
私たちのまわりのものは
すべて 愛 からできているのかもしれません









辛い時、苦しい思い(ネガティブ)が出てきたら
「愛」を基準(ポジティブ)に 

その物事をとらえ直してみると





その瞬間


見えてくるのは    新しい世界なんです