人間万事塞翁が馬 丙午ですが何か? 或るパテシェの東京時代ノンフィクション

人間万事塞翁が馬 丙午ですが何か? 或るパテシェの東京時代ノンフィクション

丙午生まれです。まもなく丙午の年が来ます。山形生まれ、バブル期を東京で過ごし、家を継ぐために山形で暮らしています。昭和、平成、令和と時代をめぐって稀な世代『丙午』とは何なのか自問自答の人生です。

早いもので2年前の2024年1月に、「丙午生まれ」の特異な言い伝えがある年に生まれた自分の、たまに不思議な巡り合わせなのか?と思えるような出来事・経験を記すべく始めたブログですが、仕事の合間に思い出した事をどんどん書いて行こうとは思ったものの、なるべく年代順にとかエピソードがそれなりに長文にならざるを得ないとか、流石にFBやXのように簡単にアップする事はは出来なかったです。

そしてあっという間に時は流れ、いよいよあと数日で菓子店最大のイヴェント「クリスマス」を迎え、そしてすぐ年末年始を迎えます。…いよいよ60年振りに丙午年が来ます。

60年前自分たちが生まれた年は極端に出生数が少ないのは約2年前の初めの頃書いた通りで、特異な意味合いが呪いのように日本列島を回ったのでしょう。生まれた年ですので肌でその雰囲気は知る由もないのですが。そのおかげか何の因果かわかりませんが、幼少の頃から何か違和感が付きまとう感じがしていた我ら同級生年代なのです。

ですが新たな丙午年はたぶん60年前とは全く違う、ごく普通の年、と言いますか最近の数年が異常な事が起こり過ぎている感もあり、過去の丙午年の異質な特異感は無くなっているようです。

また、それが自然で良い、とも思っています。

ここ数年の異常さ、例えば大地震、パンデミック、拡大する戦争等、災い的な出来事が多いのですが、別角度で確かに、過去の自分たちの出生の時代から日本においては高度経済成長はじめ、昭和から平成へ、20世紀から21世紀へ、アナログからデジタルへ、大きな変革が矢継ぎ早に起こった時代でもあります。

特に象徴的なのは青春時代をバブル期の首都東京で過ごしたと言う、自分にとって大きな経験が何か象徴的な、生まれた年との因果関係や出来事が何か関連しているかのように感じるのも事実なのです。こういった思いに、共感する方や否定する方がいるのかなと思いつつ書き続けています。

毎回文章が支離滅裂になったり表現がうまく出来なかったりと、非常に読みずらい感もあると思いますが今後も仕事の合間に書いていきたいと思います。宜しくお願い致します。

 

 

在京中の特権として、それ相応の場所に行けば有名人を見かける、なんて事は、地方の田舎にいるよりはかなりの高い確率、と思われます。

実際高校を卒業して上京することが決まった時、TVで見る都会に憬れる年代でもあり、ひょっとして例えば”原宿”と言う場所に行けば芸能人に会えたりするのかな?…そんな事も微かに頭をよぎったような気がします。でも現実は街で偶然に有名人と遭遇するなんて事はめったにありません。

ただこれまで書いてきた通り、自分の場合は大好きなラジオや関連イヴェント、ライヴ等に参加できる近さに”居た”事で、それらに参加・訪問する事が出来たりして、相応の有名人との遭遇があったのも事実です。

それらとは別角度でそれこそ偶然に有名人が店に来た!とかの方が、ザ・東京らしくて…なんて思っていても中々どうしてドラマのようには行きません。

前回の、広尾の店にハリウッド俳優が来た!なんていうのはそれこそ在京中トップなビッグ有名人との思い出ですし。…ただ確かに最初の浜田山でも店のスタッフや先輩から、近くには芸能人や作家さんが住んでるんだよ、なんて言われて確かに見かけたり、吉祥寺にはそれこそ多くの芸能人が住んでいると言うのは有名な話でしたし、(なんとなく数名の芸能人は見かけましたね)その時は東京スゲー!近くに芸能人が居るんだーなんて思ったりもしました。

バブル期の広尾や六本木、麻布十番では業界人とおぼしき格好をした面々が多く闊歩していて、芸能人なのかその関係者なのか判断できないような、皆そんな恰好をしていたのでしょうね。有名人が歩いていたとしても目立たなかったのでしょう。

そんな時の「金太十番勝負」のロケの話でしたし、近くの有栖川公園に何かのタイミングで行った時もたぶんTVの撮影で野々村真や女優さん(名前不明)がいたり、やはり今思えばそれなりに貴重な体験をしていたのかなぁと思い出してしまうのです。

広尾の店時代の頃から先の話なのですが、もっと近くで有名人との遭遇があるのでした。

(続く)

 

時代はバブル期の東京。

しかも(今思えば)思いがげず若くして都心の洋菓子店に勤める事になり、日々研鑽を重ねていた頃のお話。

当時は、広尾の店自体は定休日が無く、工場も店のスタッフも週1回の個人の休日を交代制で決めていました。それこそ時には早朝から深夜まで工場での仕事に追われて、休日が待ち遠しかった事を覚えています。

ある日、自分が休日明けにお店に行きますと、「あら残念ね!昨日お店に○○○○(有名芸能人)が来たのよ。」と、噓か真かスタッフや先輩に言われた事がありました。それも数回(?)です。

前も書いた通り当時から広尾は、有名洋菓子店が多くあり、マスコミの格好の取材先にもなっていた場所で、特に当時時代を動かすと言われた女性週刊誌はこぞって特集を組んだりして掲載して頂いていました。当然、有名人が突然来店する事があっても不思議でも何でもありません。接客する側も、そこは広尾の落ち着き度が勝り、いちいち大事(おおごと)にはしません。

ですが対応したスタッフも人の子です。事後報告としてあの芸能人に接客したとか、会話したとか聞かされてもいた気がします。実は肝心な固有名詞はうろ覚えなのですが。だって工場の我々はリアルタイムではそれらの姿はめったに拝見出来なかったので。

でも割と長時間滞在して下さり、お茶とケーキを楽しむ姿があると工場にも報告が上がったりしました。ただその時に限って自分は休日、その場にはいなかったことが多かったのです。その流れでの1番の思い出が、何と!ハリウッド俳優の"シルベスター・スタローン”が来た!と言うモノでした。当時、映画「ロッキー」シリーズがヒットし、CM撮影かプロモーションで来日したのではないかと。スタッフ、通訳さん、数名で来店されてお茶もして行ったと聞かされました。。生でハリウッドスターが来ること自体大変な事ですが、そこは時代はバブル!

時代も場所も大変な恩恵を受けていた事を今更ながら思う次第ですが、在京時代は前後していろんな有名人と遭遇したのも確かでした。(続く)