ばぁちゃんの幸せ | Koga Naoki ☆オフィシャルブログ☆

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少し長文になりますが
気持ちばぁちゃんとの事を書きましょうかね♪

101歳と7ヶ月程、満102歳
ばぁちゃんが亡くなって1週間程たちました。

2024 /2月22日 お昼12:32分、旅立ち

慢性うっ血性心不全の増悪など、
脳梗塞もしてたみたいで

(治療は効いてたかて思ったり)

しばらくは入院してたので、
毎日行ってましたが、ギリギリの判断で
東京へ戻った夜中に病院から連絡があり

朝なんとか新幹線 
飛び乗り長崎目指しましたが
僕が着いたのは15時過ぎ〜

一度、心臓も止まりピーてなったんですが
また息を吹き戻し、1時間ぐらいは頑張ったと 

その生命力に、
看護師さん数人が驚いていたと聞きました。

僕はここ数年、
しばらくは特殊な生活をしてました
全ては、ばぁちゃんを中心に動いてました

実家にいるときは、
朝10時過ぎに叔母が来るので
(来ないときも)

朝8時ぐらいに👵と起き、
朝ご飯、僕が作ったり

トイレまで連れていき、抱えて座らせ
ベッドに戻り天井見ながら拭き上げ
パットとパンツを履かせる🩳

で、テレビの部屋の椅子に座らせて〜

昨年辺りに右腰を折ってるので
1人ではぱっぱっと出来ないので🦴🚶‍♂️

で、叔母が来る前に僕は出て行き、
自分の事などをし
16時過ぎに叔母が帰るので、
時間は前後してましたが、
慌てて帰り、夜ご飯の準備などなど、

寝る前のトイレ
僕が用があるときは、早く寝てもらって
18時過ぎに寝てもらったり

👵は早か〜て言ってたので、
寝る子は育つ!て
僕は言いながら 笑 で、
僕は少し出て行ったり

週に1〜2回は運動
(ディサービス)にも行っていたので
朝の準備、夕方迎え、全てやってました。
腰の病院とかもあったり🦴

ディサービスも楽しんでましたね👵

認知症とかは全くないので
👵は楽しく明るかったですね!
 
自分も東京が拠点なので戻っても
特にばぁちゃんが右腰を折ってからは
すぐ実家へ戻ったり

しばらく居ないときは
叔母になんとかお願いして👵の事はしてもらい

ディサービスに、
ショートスティもしてもらいましたね👵

極端な介護とまではいかない!?ですけど、
そんな日々を毎日送ってました〜♪

別にそんな日々のことは
誰にも言わないですけど、

たまに、孫がとか、凄いですよ!とか
看護師さんや
普通の方にも言われたりしてましたが、
そんなことは どこ吹く風で〜

自分にとってばぁちゃんは全てですから♪

毎日、楽しんで感謝して、
オムツ交換とかしてましたよね
最高な経験してる!て自分に言いながら!

急いでるときに、お腹痛いとか言われたら、
そこから30分はざっとかかるので、
だから、時間が決まってたりしたら、
色々と大変でした↓

急いでるときはいつも
ヒヤヒヤしてましたね🐒

酔って帰ったり
二日酔いのときのオムツ交換などは
大変!? でしたがw

生まれてすぐぐらいにじいちゃん
ばぁちゃんに引き取られてますから、
特にばぁちゃん

年老いてからもpowerfulで👵

小さい時からやはり、
自分はばぁちゃんなんだ!て
想いが強かったですね、
お母さんではないんですよ、

ばぁちゃんなんですよ。だから、
また強い違う感覚かなと。

幼稚園ぐらいのときも、ばぁちゃんが死んだら
僕も死ぬて子供だったので、道を歩いてても
車の方は僕が歩き、奥はばぁちゃん

どんなに
愛しかったんだろうなぁと思いますね👵 

小学生の時なんかは、
ばぁちゃんだから恥ずかしい!とかも
ありましたが、

こっそり、学習発表会かなんか観に来て
帰れ、クソババァてʕ⁎̯͡⁎ʔ༄ 

こっそり観てたと言ってましたが
ばぁちゃんごめんねʕ⁎̯͡⁎ʔ༄

朝からお弁当チェックとかして🍙
ばぁちゃんだから👵

思春期のときは、結構なやんちゃもんで
大変でしたが、恥ずかしい想いもさせましたね

でも、
どんなときも温かく守ってくれましたよ👵

プロミュージシャンになるんだと!
1人で何のあてもなく上京したときは

寂しかったと言ってましたが、
あんたが決めたならと
東京へ出てもほぼ毎日、電話してましたよ

渋谷のスクランブル交差点から、
新宿歌舞伎町から
原宿、鎌倉から、20秒ぐらいけど📱 

ばぁちゃんの声を聞いて
自分の足元を確認する感じ。 
それが支えだったなあと〜

で、ちょこちょこ実家へは帰り

ばぁちゃんと僕はすごく深い縁、
絆だと強く感じます
顔も似てるとよく言われてましたね♪

ばぁちゃんが亡くなったとは全く思ってません
お別れとは全く思ってません

写真のままのばぁちゃんがいます👵

絶対に必ずばぁちゃんのとこへ行きます♪

ばぁちゃんが僕の子供として
産まれてくるかも知れません。

必ず必ず、ばぁちゃんの元へ
そう想えば楽しみで心強いです

一番の恋人だったなあとあります

毎日楽しかったなぁ、喧嘩したり、笑ったり
踊り!? や詩吟、大正琴、聴かせてもらったり👵

散歩したり、右腰を折る、100歳まで
毎日のように歩いてましたからね🚶‍♂️

ばぁちゃんのお味噌汁と卵焼き食べたいなぁ、

ばぁちゃんを応援していただいた皆様方には
心より感謝してます♪

ばぁちゃんはここにいます👵 

死んでも なおきの事は忘れん!て
言ってましたので

人間最後はその人がどう生きてきたか
顔にでると言いますが、私は勝った!て
最高な顔してました👵

まだまだ ばぁちゃんにすることはあるので♪

古賀マツ子のやんちゃな孫より

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