今日も暑かった。
昼間、散髪屋に行った。
いつも行く散髪屋がお盆休みだったので、商店街のはずれにある古ぼけた店に入った。

店のドアを開けると、店主らしき理髪師が床にヒザをつき、ジグゾーパズルを床に広げていた。
他に客はいなかった。
店主は私の顔を見て驚いた表情をしたので、私は自分の顔に何か付いてるのかと思い、手で顔を触ってみた。
「いらっしゃい。今日はどうしたんですか?」
店主が怪訝な様子で私に尋ねる。
「いや、あの、髪を切ってもらいたいのですが」
私がそう言うと、店主はジグゾーパズルのピースを片手に持ったまま、立ち上がり、今もう少しでこのモナリザのジグゾーパズルが完成するところなのです。それまでちょっとの間、ほんの三分ほど待っててもらえないだろうか?と店主は言う。
私は変な人だなと思いつつも、促され散髪台に座る。
ラヂオから古い歌謡曲が聞こえてくる。
白い布も付けずに散髪台にただ座っていると、居心地が悪かった。
バットを持たずにバッターボックスに立つような無防備さがある。
おまけに背後では、店主がジグゾーパズルに熱中している。
私は散髪台の鏡越しに店主の作るジグゾーパズルを覗き見る。それはモナリザではなく、山本モナのジグゾーパズルだった。山本モナが金閣寺をバックにピースサインをしている。
こんな記念写真みたいな山本モナのジグゾーパズルどこに売ってるんだろう、と思いつつ私はそばにあった週刊誌をめくる。
すると、突然目の前に白い布が覆いかぶさってきたので、私はびっくりして週刊誌を床に落とす。
「お客さん、待たせて申し訳ない。モナリザは後回しだ。仕事をしなけりゃ。仕事をしてなんぼだ。さあ、今日はどうしますか?」
店主が勢いこんでそう言うので、私は切り方を簡単に説明する。
店主は慣れた手つきでハサミを動かし、髪を切り始める。

しばらくして、店主がお久しぶりですよね?と言った。
私は鏡越しに店主の顔を見たが記憶にない。
この店に来るのも初めてだ。
「最初見た時からそうじゃないかなと思っていたんだが、このツムジの形を見てピンと来ましたよ。昔大阪であなたの髪を切ったことがある。」
確かに私は小学生まで大阪にいた。しかし30年も前の話だ。
「夏でした。今日みたいに暑い日でした。あなたは父親に連れられて来て、私が髪を切ったのです。あなたは散髪屋に来るのは初めてだと言ってた」
初めて散髪屋に行ったとき…確かに父親に連れられて行った記憶がある。夏だった気もする。
しかし、そんなことが本当にあるのだろうか?
「お父さんは愛人と円満に別れられたのですか?」
彼は意地悪な笑みを浮かべてきいた。
「愛人?私の知る限り、愛人問題なんてないですよ」
私は苛立って答える。
「ひどく悩んでいましたよ。お母さんがそれを苦に自殺未遂を起こして」
「は?誰かと勘違いしてませんか?」
「いえ、あなたですよ。ツムジを見ればわかります。」
私はそれ以上、何もいう気をなくし、彼も無言でハサミを動かした。
ラヂオから流れる古い歌謡曲とハサミを動かす小気味のいい音だけが響く。
店主は散髪台の背もたれを倒し、私の顔にヒゲ剃り用のクリームを塗りつけ、カミソリでヒゲをそり始める。
すると、ラヂオから西城秀樹のヤングマンが流れてきた。
「あ、懐かしいなこの曲、あの時流行ってた曲だ」
店主ははしゃいだ様子でそう言うと、カミソリを振り回しヤングマンを歌い始めた。
カミソリの刃が私の耳の数センチ先をビュッという音をたててかすめる。
「ちょっと危ないですよ!」
「さあ、あなたも歌いましょう。あの頃みたいに!ああ、あの頃はみんな若かった!」
鏡越しに歌い踊る店主をずっと見ていた。
店主が踊るダンスのステップで完成間近だった床のジグゾーパズルは粉々になっていた。
何か魔物にとりつかれている。私はそう思った。


音楽が終わると、店主はジグゾーパズルが散らばった床に座り込み、抜け殻のようになった。
「お客さん、今日限りで店を閉めることにした。前々から考えてきたことだが、あんたのつむじを見てそうすべきだと思った。申し訳ないが、代金はいいから今日は帰ってくれ」と店主は言った。
私はそばにあったタオルで顔に付いたままのクリームを拭き取り、白い布を外し散髪台に置いた。
鏡で自分の顔を見ると、顔の左半分はヒゲが残ったままだった。
「仕事が途中になってすまなかった。」店主は力なく言う。「お詫びに週刊誌を持って帰ってください。そこの棚のゴルゴ13も。全巻揃ってる。あ、ジグゾーパズルもどうぞ。」
店主が床に散らばったジグゾーパズルを掻き集め始めたので、私は何もいりません、帰ります。とだけ
言って、そのジグゾーパズルはモナリザなんかではなく、ヤマモ・・・と言いかけたが、余計なことだと思い直し、出口のドアを開けた。
私が店を出ようとすると彼は懇願するような声で私を呼び止めた。私は振り返る。
店主は安心したような表情で、にっこり笑ってこう言った。

「30年って長かったですよね‥変わらなかったのはツムジだけでした。」


(おわり)