運命とか宿命とか、天運とか命運とか。
 
そういうのなんでもかんでも一方的に押し付けられると
「はいはいどーも」って適当に受け流したくなるんだけど、物にも宿命があるのかなーと、割れた鏡を見て呆けながら落ち込み、感じてしまった。
 
この日この時この場所で、この鏡は割れる運命だったのかなーなんて。
 
普段運んだこともない場所に持っていって、普段使ったことない用途で使おうとして、そして目を離した隙にどんがらがっしゃん。
まるでこの定めを全うすべく大いなる意志に突き動かされたかの如くその使い魔となったような気持ち。
 
そんなこと言って、割った犯人の罪を紛らわそうという考え。割った犯人?もちろんこの俺。
 
津田沼移転前から使っていたから、少なくとも12年以上前からの私の姿を知ってる鏡だったのになー、、、あえなく粉砕玉砕大喝采。
 
160×70というサイズで、斜めに立て掛けると石川真佑と同じ身長を誇る私でも、カバンやリュックも含めた全身が全て余裕で収まる気持ちのいいサイズ。
何度も拭いてるうちに多少ひっかき傷も増えてきてはいたけど、買い換えようとか考えたこともなく、当然のように毎日、これからもここにあるものだと思っていたのに。
付き合いが古い道具や家具とも、少しづつ別れはくるものなんだなー。
 

そんなこんなで明けて翌日、、、

 

 

 
『阿部光一郎』印のハンドタオルが干された鍼屋伍一六。
 
もう何年も前にいただいた物なんだけど、姓も名も主張するタオル、人前で使うにはちょと恥ずいなーとためらっていたのだが姿見を割ってしまった事で、
 
もし物にも宿命があるのなら使わず日の目を見ないままその日を迎えさせてしまうのは可哀想かなと。

ましてや阿部光一郎以外装備不能なこのアイテムを阿部光一郎が使わないでなんとする。
 
というわけで新品のまま鑑賞用だったこの子らを使用開始する為洗濯したのでした。
 
けっこうさー、いつか使おうなんて思ってて使わないまま捨てることになったりする物もあるじゃないですか。大切にちょっとづつ味わおうなんて思ってた物が半分以上残して賞味期限過ぎたりとかも。
こないだそんな感じでちょびちょび味わってたビーフジャーキーに青だか白だかのカビがついてたんで、その部分取って全部洗って、加熱して残り全部一気に食べたっけ。ジャーキーの天運は少し前に尽きていたんだね。ごめんね。
 
お店の運営にもプライベートにも、必要な物は次々出てくるから物を買わないわけにはいかないのだけど、同時に今手元にある物にも、今一度焦点合わせて役目をきっちり果たさせてあげないと。
 
そんな事を思わせた、大鏡大破事件でした。
さて、新しい鏡はどうしようかなー。