リュープリン左

ファーストインパクトはそうでもなかったけどやっぱりブッスリって感じで痛い。そして注射後腫れた感じ。


検査内容は

血液検査

胸腹骨盤造影剤ありCT

超音波


結果は1週間後、結果により(再発があった場合は)治療が変わるのでタモさんは1週間分だった。

乳房に原発以外の癌とリンパに微小に転移していたから、先生も慎重なんだと思う。

賢そうで真面目で几帳面な美人女医さんが担当で本当に良かったと思う。(私の通う大学病院は外来に出ている先生や看護師は真面目で一生懸命でありがたい。)

手術後は怠い時期が続き、このままガン患者として気力体力が衰える一方なのかと思ったが、去年の今頃に比べたら体調はいいし、元気。

ただ、更年期のせいなのかガン持ちのせいなのか、自分では原因が分からない倦怠感を感じたり、風邪が以前より治りにくいかんじがある。

最近ネットでちらっと

「癌は治らない。いつか抗がん剤が効かなくなり、体中に癌細胞が増殖し始めて死を迎える。」

という記事を読んだ。


そうなんだろうな


と思った。

初期乳がんの一般的なホルモン治療5年を終えて再発したとネットで読んだり、話で聞いたりしたことがある。


残された時間が人より短いかもしれないということは、下息子の心配を除いては気にしなくなった。


人の命はいつか終わる。


末期癌は癌細胞が臓器や神経を圧迫するから相当な苦痛が伴うらしい。そして末期まで行くと、癌細胞が体から消えることはない。


苦痛は嫌だし、治らないなら家族の手をやいたり、いつまでも病院のベッドをうめるのはいやだなあ。

理想はせめて家事くらいできるうちは家にいて、自分のことができなくなったら苦痛は取り除いて欲しいけど、延命はして欲しくない。

癌に侵された臓器じゃ移植もできないもんね。


今のところただ薬が効いているから癌細胞は増殖していないだけかもしれない。

だから、なんとか今の薬で癌細胞を増やさず、ゆくゆくは薬がなくても癌細胞を増殖させない体を保てればいいなと思う。


これからもバランスのいい食事と適度な運動を心がけたいし、体に悪いことはなるべくしないようにしようと思う。


出るかどうか分からない、年金をあてに生きるのもなんだかな~なので、なんとか子供たちの進学費用を確保するため、定年退職までは職場に迷惑かけない体調を維持して働きたいな。


ちなみにこの日、偏頭痛が明るみに出た下息子が、

「吐きそうだから学校に行きたくない。」

と言っていた。

この春統合した学校に通っていて、


メンヘラ~か?

学校に行きたくない精神的なものか?


と聞き出してみたがそうではないらしい。

ゲームのやりすぎと動画の見過ぎか?あと中学受験の塾を自主退学したため某計算ほか基礎学力の塾で追い詰めすきだか?

でも考えてみると、保育園の時も冷え込み出すと吐く風邪をひいていた。


「吐いたら病院終わったらママが迎えに行く」

と説き伏せ登校させた。

私は支度する時間がなくなり、ハンカチとかティッシュとか忘れたじゃないか~!

(前夜に準備しなさいって。)

おまけに慌てて着替えたから金具付きの下着だった抜かりぶり。


しかも超音波にて、

「受付票以外の紙は先生から貰ってませんか?」

と受付と検査室にて確認される。


もしや先生、現場は無視して無理やり押し込んだか?

相変わらずの医者・看護師・事務職員分離と、マイペースな医療従事者の日常を垣間見る。

自分の命は自分で守らないとだな?


もうショボショボだぜ!


私が通院している私立医大に入れるなら、母さん頑張って学費稼ぐ!

って思ったけど、なんとか登校し、生活できる社会人にすることが夢であり目標だわトホホ。


せっかく遅れている上娘学校PTAファイル作成をやろうと思ったのに午後は鎮痛剤と吐きどめもらいにいかないと。


帰宅後お手洗いに行くと、注射の後にいわゆる普通の絆創膏が貼ってあった。


やや、何事?


放射線科ぶりだから2ヶ月しか経っていないんだけど、血液検査は以前血液検査の部屋でやったし、造影剤は注射専用の部屋でやったような気がするけど、リュープリンと一緒にやられ、なんか微妙に空気感が変わったような


そういえば院長変わったってホームページに書いてあったような

ま、いっか。