あれから1年
4月から担当の美人女医の診療が火曜日になってしまい土日とくっつかずガッカリしていたら、検査は金曜日に入った。(ラッキー)
CTなんかの予約を入れるのが結構大変らしい。
今回は初の骨シンチ検査を受ける。
(造影剤を入れて全身の骨を撮影し、骨転移がないか調べる。)
骨シンチの造影剤は半日前に注射しなければならないらしい。(骨に造影剤を到達させるため?)
自動受付をすると骨シンチ検査の方は造影剤を注射する朝の時間と撮影の午後の時間が入っているが、血液検査とCTは時間が入っていなかった。
骨シンチの造影剤は早めに来て注射しなければならないと聞いていたが、血液検査のタイミングはいつなんだ?
と思ったが、とりあえず骨シンチ検査の部屋に向かう。注射を受け、血液検査へ。
造影剤入れた後の血で大丈夫なのか?
って思ったけど、それでなくても血管が細いため、注射する場所を探すのが少し大変そうだった。でも痛い思いもせずクリア。
骨シンチとCTと超音波検査は午後の時間が予約票に入っていた。
軟線撮影で放射線科受付に行けと書いてあったので受付をするとやることはマンモグラフィーだった。しかしそれが終わると次の骨シンチまで結構時間あるな~と思った。
手術したばかりのころ、美人女医に、
「手術しなかった右はご自身で検診を受けてください。」
と言われたような気がしたが、右胸も撮影した。
治療の経過を見るのに、超音波は定期的に受けるので職場ので婦人科検診はどうしようかなと思っていたが、申し込まなくて良かった。
右はまあわかるのだが、全摘一歩手前まで切除した左胸があのマンモに挟まるんだろうか?
左胸も病気発覚、手術のショックで痩せてその後のホルモン治療で女性ホルモンを抑えてしまっているためかボリュームダウン(萎んで小さくなってしまった。)ため、マンモに挟むのは困難な上、痛かった。
右胸は昨年大きく切除した上、放射線まで浴びてるから力をかけて挟むのは恐怖でしかなく、案の定痛かった。
あんな挟み方で本当に検査に有効な画像が撮れんのか?
マンモとCTの受付は同じところで、マンモの受付をしたとき「終わったらもう一度受付来て貰えますか?」
って言われた。どうやら空きそうなら午後のCTを午前中にねじ込んで貰えそうだった。この病院の良いところは、予約時間は一応あるけど窓口の采配でどんどん先にやらせてくれる。放射線治療の時もそうだった。
マンモ終了の時点でお昼ごはんまでも結構時間があり、長くても午前中CT待ちの方が病院の待合室にいられてありがたかった。
「待つかもしれませんがいいですか?」
と言われ、午前中にCTを受けられた。
確かにちゃんと予約の入っている患者さんは来て少し待つとすぐCT室に向かっていた。
それでもお昼を病院から少し歩く商店街まで食べに行けた。
午後はいよいよ骨シンチ。
トイレは済ませてくるように言われる。
(薬剤が尿で排出されるため、尿が膀胱に溜まっているとそれが画像に出てしまい、異常部位の判断に影響がでるため。)
先に乳がんになったリア友に
「細いところにちっちゃくなって寝る。」
って言われていたが、腹の部分を板で両わきから寄せられ、足は内股にしてつま先をマジックテープで巻かれたが、せせこましさに対する苦痛はなかった。
が、しかし、開始と同時に顔から15cmくらいのところに平らな四角い物体を設置された瞬間、ちょっとパニックになった。
自分でもなぜだかよくわからない。
確かに窓のない狭い場所に対して、少し異常な恐怖があると思う。
見ていたら呼吸がうまく出来なくなり発狂してしまいそうだったのでとりあえず目をつぶった。耐え難い不快感から逃れるためには寝て意識を失くすのがいいのではないかと思ったが、寝てしまっていいのかわからなかったし、寝るのと同時に呼吸も止まってしまうのではないかというそんな異常な精神状態だった。
手術が近づいたとき、手術後要観察室にいた時に感じた、
強い気持ちでいないと、このまま心臓が止まって死んでしまうかもしれない
そんな恐怖を感じた。
単なる閉所恐怖症なのか、それとも全身の骨を撮影するのに当てた放射線に対する身体の反応なのか。
スキャニングしている部位はザワッとした変な感じがした。
日常生活をしている時は精神的にちょっと異常な反応をしそうな時は意識的に冷静なろうと思えばできるけど、乳がんが発覚したころから、異常な精神状態が暴走してしまうのではないかという恐怖を感じるようになった。
これがいわゆる本格的な鬱状態なのかもしれない。
精神安定剤で対処できるものなのだろうか?
昨年手術前に受けたMRIも狭いところに入るので不安だったが多分うつ伏せだったから大丈夫だったんだと思う。
20分この顔から15cmくらいのところに四角い鉄の物体がある状態に耐えられるだろうか?と思ったが、このままでは本当に寝落ちしてしまうのではという恐怖から一度目を開けると四角い鉄の物体は足の方に向かって下がっていっていた。
最初だけ我慢すれば良かったらしい。
骨シンチが終わると最後の超音波。
超音波検査をする部屋は手術室と同じ階にある。手術前から何度か通っていたが、手術する時に通った時は別の場所のように感じた。
超音波検査の技師さんて、技術系であんまり人には興味がない人間味のないタイプかなと思ったが、超音波検査室の暗闇でも優しいのがわかる人間味のある人だった。
毎日何人もの体に触れるから人慣れてるのかな?
と思った。手術後半年検査のときも、手術で腫瘍はとったし、ホルモン治療もしているけどやっぱり念入りにスキャンしている場所があり、医者からまだ小さくて細胞検査が出来ないから病変かどうかはわからないが異常らしきものがあると言われた。
今回もやはり何ヶ所か念入りににスキャンされた。
全部終わったのは3時くらい。
ただ検査を受けただけなのに凄い疲労感で、翌日曜日は風邪で寝込んでしまう。
全身に放射線を浴びた影響かな?
実はこの日、午前中の検査が終わったところでかの美人さんが旅立ったことを知った。
私の病気が分かったのも、美人さんが闘病中であることが公になった頃だった。
なんとも言い難い気持ちだった。
病気が分かったとき、結婚したての奧さんが末期のガンであることが判明し、その後の日々を綴ったブログに出会った。
そのとき、
長いだけが幸せではないのではないか?
と思った。
もちろん旅立った本人も残された人々ももっとずっと一緒にいたかったに違いない。
美しくて優しい容貌とは裏腹に強靭な心の持ち主だったし、非の打ち所がない立派な生き様だったと思う。
自分が今向き合っている病がどういうものなのか、自分の置かれてる状況がどうなのか、自分はどう生きていくべきか改めて考えさせられた。
美人さん、肉体的には痛くも苦しくもなくなったね。軽くなった身で暫くは大好きな家族のそばで過ごせるかな?
もちろん、たくさんの人があなたがこの世にいてくれるのが一番だったと思っているのだけれど。