前回の続きです。


バタバタと方針の説明があり立ち会いで親と旦那が呼ばれました。

下大静脈フィルター処置についてはいろんな同意書を書かされました。

どんな文面かは忘れましたが、命を落とすこともある的な?(笑)

そして出産時に母子が危険になった場合どちらを優先するかなど…

この話はフワッと終わりました。実際その場面にはならなかったですが、本当にそうなったらどうしたんだろうと今なら思います。


下大静脈フィルター手術の説明もされました。

母や旦那は真剣でしたが、私は担当医に『ほんまに理解してる!?』と呆れられるくらいペラっペラの返事をしていたようです。よだれ



入院中に点滴の交換や検温など仕事で訪問してくれた助産師さんや看護師さんが『本当に大変な状況やけど辛かったら吐き出してね。なんでも受け止めるよ』とか『辛かったら我慢しないでね、話聞くからね』など真剣に言ってくれてましたが、まーーーーじで気にしてませんでした。泣き笑い

寝てるかなにかに集中してないとつわりがしんどくて、気遣いが申し訳ないぐらいにゲーム三昧して、昼夜問わず寝てました泣き笑い

看護師さんはきっと患者のフォローもケアのひとつに入ってるんですかね?しょーもない患者ですみませんでした泣き笑い


でもじみに辛くて唯一不満を漏らしたのは『シャワー禁止』ということでした。38週までたった2週間でしたが2週間+産後もしばらく入院できない予定だったので夏場で頭がベタベタで我慢できませんでした。

体は用意してもらえる温かい濡れタオルで自分で清拭できたのでまだ耐えられましたが、頭はドライシャンプーも効果なくて辛くてイライラしました。

見かねた看護師さんたちが美容室のように頭を洗うことを担当医に打診してくれたらしく、産前に一度だけ頭を洗ってもらえました。幸せでした泣くうさぎ



下大静脈フィルター処置の当日。

手術室に行くと手術の数日前に病室に来てくれた外科医がいました。

手術台に乗ったら左を向いて横向きに転ぶよういわれ、右側の首に麻酔しますと言われました。

手術は部分麻酔なので意識があります。

麻酔は痛いですが、激痛とかではなかったのと捻られるような痛みだったのを覚えてます。

手術中は全く痛くなかったですが、耳元で器具の音がカチャカチャしたり、皮膚が引っ張られる感覚があって『なにしてるんやろ~?』と頭の中は勝手なグロいイメージがぐるぐるしてました泣き笑い

そして麻酔のときから手術が終わるまで1人の看護師さんが手を握ってくれてました目がハート



手術後は首にガーゼを貼って傷口を隠していましたが、産科の入院フロアのいろんな人にじろじろ見られました(笑)

そして麻酔が切れると地味に痛かったのと、寝るときや寝返りで気を付けないと激痛でした不安

今も手術痕は残ってます。




38週ちょうどの日に朝から促進剤で産みました。

初産だと1日では産まれないかもと言われてましたが、朝9:00から促進剤をして13:00までには産まれました(笑)


ヘパリンは血をさらさらにする作用があるので出産時の大量出血にも繋がるので、前日か前々日には止めてました。


出産の仕方もちょっと違いました。

LDRという陣痛・出産・回復が一つの部屋でできて出産のときに分娩台まで移動しなくてもいい部屋を希望していましたが、私は首にフィルターがついていて、点滴も多かったのでLDRは無理になりました。

出産中や出産直後に異常があったときLDRだとすぐに対応できない(外科的な処置をするスペースがない)のも理由のひとつです。


そして、分娩の体制も仰向けではなく血栓がある方の足を下にして右足を器具で宙吊り状態にして横向きで産みました立ち上がる



1番血栓がとぶリスクがあがるのが産後です。

赤ちゃんがお腹からいなくなっていっきに血流がよくなることで飛びやすくなります。

なので産後もすぐパルスオキシメーターをつけて詰め所の前の部屋で見張られてました(笑)

産後すぐ血圧が200まであがったときがあり、赤ちゃんのお世話も一時中断なんてこともありましたが、私だけ特例で病室で授乳がOKになり行動範囲を狭めてお世話できました。(私の産んだ産科では授乳は授乳室にいかないとしてはいけなかったため)

なので、生まれたての赤ちゃんにお見舞いに来ていた旦那が授乳できるという楽しみがあり旦那は喜んでました(笑)


血圧も落ち着いたので下大静脈フィルターを外す処置をしました。

フィルターには血栓はついていなかったので、まだ体の中に血栓は残っている状態だとそれでわかりました。

Dダイマーも高いまま。なので、産後も血液をさらさらにする薬を引き続き服用でしたが、産後はワーファリンという薬を飲んだ記憶があります。

これは妊娠中は退治に奇形などがでるため使えませんが、授乳期はOKだそうなのでヘパリンからこちらの薬にかわりました。


産後毎日血液検査していましたが5日経って産後の傷口の抜糸もしたけれど、Dダイマーの高い数値はかわらず…体調は落ち着いていたのですが私だけ産後も売店などいけず『ちぇ…』って感じでした(笑)

用意をお願いされていた弾性ストッキングを履いて赤ちゃんのお世話してましたが、『シャワー行きたいー!』とまた嘆いてました泣き笑い

ちなみにシャワーはこの嘆ききっかけか、この日から入れました(笑)


産後7日目、担当医の回診が来て『今日もDダイマーかわらず高い。一度血管エコーしとこ』となり、産後初の血管エコーへ。

じっくり見てもらったあと結果を専門医も交えて見たそうで、担当医が『エコーの結果、Dダイマーの数値は高いけど不安定な状態ではないのかもしれないからこのままなら2、3日で退院できます。ただ薬の調整があるのでそれだけやっていきます』と言われた。


産まれた赤ちゃんは2580gでいい感じに大きくなっていて安心しました。

産まれてすぐは生理的体重減少で体重が減り、一時期2300gまで落ちましたが、不幸中の幸いで私の入院が長かったのでその間に体重ももとに戻り、5日で過ぎてからは産科の新生児室から小児科に移すと言われてましたが『お母さんが産科にいるのに小児科だと不便だから新生児室でお母さんの退院までお世話してるね!』と助産師さんたちに助けてもらい日中は一緒に部屋にいて夜には回収されていきました(笑)



退院の目処が経ってワクワクしてました。

この頃には血栓で赤黒くなっていた足も元通りで見た目も動かすときもなにも違和感なくなってました。


入院9日目、担当医の回診で『んー薬の調整してみたけど数値が安定しなくて…血管エコーも問題なさそうだったので退院してからも通院して引き続き様子見ようかな』となりました。

担当医はもちろん産婦人科医なのでこの手の病気はあまり詳しくないみたいでかなり勉強してくれたそうです。

また総合病院だったので外科医もいたし、血管の専門医もいたので対応が早くて助かりました。

今回たまたま総合病院の産科を選んだのが運のようで、個人の産科だった場合発見が遅れるか転院せざるをえなくなっていたのでいろいろ重なっていい結果だったなと思います。



退院後も半年ほどワーファリンを飲み続けましたが、退院後の血管エコーでも変化なく、担当医から『血栓は石灰化していると思う。石灰化とは簡単に言うと血管内の壁に血栓がとれない状態でついていて今後血流に流れて飛ぶ可能性がほぼない状態になっているって感じかな。血栓は残ってしまったけど血管を塞ぐ心配は少ないって思ってもらったらいいかな』と説明があり、ここで治療は終わりました。



結論から言うと私の左足には血栓は今も残っています

けどなんの違和感もなく過ごしています。

後遺症と言えば、少し長く距離走ると左足だけおもだるくなるくらいです。

治療後もマッサージやエステなどは念のため控えてと言われてましたが、今はなにも気にせず受けてます。



2人目の妊娠時は、今回の病気を考慮して妊娠期間はバファリンという薬を飲んでました。もちろん、市販のバファリンじゃないですよ(笑)

出産時は破水で入院しましたが、担当医(1人目のときとは違う人)から『血栓も残ってるし、心配はほぼないんだけど念のため促進剤で早めに産むね』と結局2人目も促進剤投与して30分で産まれました泣き笑い

2人目のときはバファリンを服用していたこと以外普通の妊婦さんとかわらず、血栓の再発や血栓があることでの弊害もありませんでした。

つわりも産むまでありましたが、頑張って水分だけはとるようにしました。



子どもたちは2人とも元気で今は7歳と4歳です。

この出来事ももう7年以上前の話だと思うと私も年を取りました(笑)



出産レポなのか病気のレポなのかわからんぐらいしょーもない話も盛り込みましたが、誰かの参考になればなと思います。終