「信用の新世紀」(斉藤賢爾) とシェリングエコノミー移行に向けて | 地球日記

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ここでは「信用の新世紀」の内容を受けて、新自由主義からシェアリングエコノミーへの移行戦略について考えていきます。

 

シェアリングエコノミーとは、情報通信を介した物々交換=贈与経済のことです。それは限界費用ゼロ社会であり貨幣経済の衰退を意味します。今後、通貨改革の手段として仮想通貨の役割が増大するでしょう。それと並行してAIが普及しシェアリングエコノミーが進展するものと思われます。

 

しかしこのままだとシェアリングエコノミーは、Uberに代表される独占的プラットホーム(ネット仲介屋)が、個人事業主契約を結ばされた請負労働者を仕事のある時間だけスマホでピックアップし、賃金は出来高払いという新手の中央集権的搾取制度の変名になる可能性が大きいと言わざるを得ません。大多数の人々は3つか4つの独占的プラットホーム企業で社会保障も労働三権も無い請負労働をかけ持ちし、スズメの涙ほどの一時金手当を国から支給され最低限度の暮らしを送るというのが、考えられるシナリオです。このシナリオ通り進むなら、仮想通貨も中央銀行に統制され経済取引監視の手段となるでしょう。「シェアリングエコノミー」(アルン・スンドララジャン) 日経BP社では、こうならないよう独占的プラットホームの労働者協同組合化を提案しています。しかしそれができるなら、今頃アマゾンもフェイスブックも協同組合になっているはずで、仮に実現しても、中央集権の首の挿げ替えにしかならないでしょう。目指すべきは賃労働の復活ではありあません。ベーシックインカムと通貨を市民の手に取り戻す通貨改革運動こそが、シェアリングエコノミーの扉を開く鍵を握っています。

 

●数多くの個人、企業、地方自治体が仮想通貨を発行し独自の経済圏を作ることで、信用創造、法定通貨、為替取引を使った搾取を無効化させること

●ベーシックインカムを実現する中で、「より速くより大量に」「働かざる者食うべからず」「借りた金は返す」といった、資本主義に順応させるため内面化された労働倫理を打ち破ること

●閉鎖的で発行上限のない仮想通貨の発行で電脳空間を支配し、搾取を継続しようとする銀行や企業のボイコットを行うこと

●負債の支払い免除を要求すること

 

といった覚醒のための実践は、シェアリングエコノミー=贈与経済を成就させる大きな戦略的柱になります。今後、金融資本と情報資本が統制管理するUberの全社会化という搾取経済か、民衆による情報通信を介した分散自律型の物々交換社会という贈与経済か、どちらがシェアリングエコノミーの名を冠するに相応しいか、選択の時が迫るでしょう。その際、供給の増大と需要の減少のアンバランスが激しくなり、雇用関係が混乱するためベーシックインカムが必要になると考えられます。私としては、政府主催の減価する仮想通貨による7年間程度の時限ベーシックインカムが、移行期的混乱を抑え経済循環をスムーズにするのではないかと考えています。この移行期に、個人や民間企業、地方自治体の仮想通貨発行とAIを結び付け、自律分散型プラットフォームによる情報通信を介した物々交換という、真のシェアリングエコノミーに向け誘導することが必要になります。

 

そのためには、大多数の人々の精神的なパラダイム転換ができるかどうかが勝敗の分かれ目になります。AI化により経営者の役割も減るため、社会はごく一部の寄生大株主と大多数の請負労働者という文字通りの1%VS99%という構図になると考えられます。社会的に無為な寄生大株主の存立基盤は弱く、この資本主義的階級構造のカラクリと限界が明確になれば、パラダイム転換は進むのではないかと思われます。無論、それは私たちの主体的な働きかけや、時代の変化を可視化させる大規模なデモンストレーションあってのことです。テクノロジーの発展任せな自然変化を楽観する態度は、所有権と国家権力という厚い壁に守られる金融資本を利するだけであり、厳に戒めなければなりません。社会を変える道のりは、自己の内面を含めた様々な人間関係の軋轢を乗り越えなければならず、パソコンソフトを交換するような訳にはいかないのです。私たちは、Winny事件の顛末を記憶に留めておくべきです。

 

日本的資本主義の特殊性として、家元制という労資関係をも癒着させる一元的階層秩序が日本社会全体を覆っており、相互扶助の理念と制度に基づいて組織されるシェアリングエコノミー移行の障害となっていることです。原発はこの家元制度で編成された企業や家庭に電力エネルギーを送る心臓部であり、日本社会に無限の経済成長を約束するという精神的エネルギーを送る物神です。原発自体、家元制階層秩序に従って運営され、その分枝は電線となって張り巡らされ日本社会全体を支配しています。まさに原発は、日本的家元制階層秩序の核中の核であるといえるでしょう。フクシマ原発事故はその終焉を告げました。よって脱原発の実現は、家元制の崩壊とスマートグリッドによるエネルギーの地産地消型社会を導き、分散自律型シェアリングエコノミーの突破口になります。シェアリングエコノミーと脱原発を求める市民運動は、二人三脚の関係にあるのです。

 

精度の高い翻訳アプリの登場と、自動車の自動運転を実現する国が出現してくる辺りから、誰もが根本的に世界が変わったことを認識するでしょう。国債暴落やアマゾンゴーの普及、ベーシックインカムを実施する国が登場するのも、シェアリングエコノミーを加速させる要因です。これらの流れは当然一国単位で収まるものでなく、必然的に世界性を帯びます。国民国家にとらわれる「保守」の枠組みを突破しないと、シェアリングエコノミーは金融資本に換骨奪胎され新・新自由主義になるだけです。このような急激な社会変動の矛盾から、日本が関わる戦争が起きるかもしれません。しかし私たちは、このような目先の保守反動に撹乱され展望を見失ってはならないのです。アベノミクス環境の中で、若い人ほど株価と雇用で餌づけされた挙句、借金を負わされ殺生与奪権を握られています。その強いられた一蓮托生状態を、「保守」なる美名で正当化しているように思えてなりません。それは、日本社会全体が罹患したストックホルム症候群ではないでしょうか。

 

3・11で「明治」以来日本社会を支えていた経済成長神話は崩壊しました。しかし、現在左右両方の陣営から「日本を取り戻す」という絶望的足掻きが見て取れます。崩壊したものはもう元には戻りません。新たに創造することでしか道は開けないのです。私たちこそがパラダイム転換の先頭に立ち、新時代を切り開く民衆の水先案内人の役割を引き受けようではありませんか。

 

「ポストキャピタリズム」(ポール・メイソン)→「シェアリングエコノミー」(アルン・スンドララジャン)→「信用の新世紀」(斉藤賢爾) という順番で読まれると、未来への流れがつかみやすいと思います。「現代思想2017年2月号」も読まれると、断片的知識が横断的に繋がります。著者である齊藤賢爾さんと中山智香子さんの対談も掲載されており、本書の内容を補います。