寄せていく、という言葉を耳にすると、あざとさと強かさを感じていたのですが、どうやらそれは違うようです。
何の取り柄も金看板も、自信さえもなかった大学卒業したての頃、僕は就職先を決められずに社会に出ることになりました。
といっても就職先が決まっていないのですから社会に出るというよりも、新卒の学生という肩書きを無くした名札のない迷子と呼ぶほうがしっくりきます。
最近棚を整理していたら、行先不透明だった頃に見かねた友人が自分の履歴書をコピーしてくれたものが出てきました。
○○検定所持
専門学校で○○言語を勉強
○○言語を使ってプログラミング経験あります
資格と経験がぎっしり書かれて、大学に4年間も通いながら何1つとして資格を持っていない自分をいたく惨めに感じた瞬間を忘れることはありません。
僕は運転免許と高校で取った漢人検定しか書くことがなく、資格欄を恨めしく感じていました。
自分の努力次第なことは言うまでもありませんが、プログラミングの専門学校に通い、立派な資格をたくさん引っ提げた同年代の友人にはやはり嫉妬のような、置いてけぼりのような意気消沈する気持ちになりました。
専門学校はいいなぁと思いました。コバルトブルーに見える友人の芝生は輝かしい履歴書へと変化していたのです。
実際、今働いている仕事では実務に直結する専門学校出身の人材を高く評価され即採用に繋がっています。
自分が人事に携わっているので、上層部の考え方がそれとなく伝わってきました。
人材紹介会社の営業マンの中には、会社研究が上手な人がいます。うちの会社のことを当然調べてくるのですが、仕事内容をイメージして、○○な部分のお手伝いはいかがですか?と具体的な提案をして来られた人材会社の方は出入りが許されています。
寄せていく、ということが如何に上手く立ち回るかということを感心した出来事でした。
何にもなかったあの頃は、文字通り中身も空っぽで、人に合わせていくことも、仕事に合わせていくともまるで理解が及びませんでした。
歩調をあわせることって大切なことなのに、サークルやコミュニティでも、会社でもアルバイトでも求められるのに、周りに甘えて1人歩きができなかったために、社会の迷子となったのです。
そんな迷子も年月を重ねることで少しは腰を据えることを学ぶのですが、出来ればもう少し早く気付いてほしかったと振り返ります。
寄せていく、ことが何よりもお金に繋がることを実感したのは、記事を書く仕事を通して培いました。どんなに立派な文を書いても、時間をかけて丁寧に書いたとしても、レギュレーション(執筆ルール)を無視していたら、アッサリ却下されるのです。
チェックバックで蹴り返されたときの喪失感と倦怠感は受け止めに少しエネルギーが要りますから。
つまり…
寄せていけない = 要望に答えられない
と、判断されるわけだから書き直しも当然なわけですね。クライアントからお金をいただくまではきちんと対応しないと『次』がないですから、寄せていくことは重要だと常々思います。
今は誰でもフリーライターがしやすくなりました。かく言う僕も数年がかりですがライターと講師の収益で7桁を超えましたので、本当に誰でも名乗れますし、敷居も低いと思います。
僕は就職相談員の資格があったので、手堅いクライアントと契約が結べました。ただクライアントの意向でアッサリと終わるので複数のクライアントと契約して満遍なくこなしていないと、食べていけない世界…なのはどこも同じですね。
寄せていけなかったあの頃に比べて、色んな職で収入を貰ったことで寄せていけるようになりました。その甲斐あってか昔と途切れた縁がふんわりと繋がれました。
その繋がりが嬉しくて、今日は筆を取りました。
ハリモ
🍀ハリモからのお知らせ🍀
1️⃣ 12月の癒しスタジアムin大阪🏟
12月15日(日)
時間:10:30~18:00
場所:天満橋OMMビル2F
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