人間には理性と感情があり、勉強とは論理なので理性でするものだと言われていますが、果たしてそうでしょうか。私はこれまで播磨塾で理数系の科目が特意な生徒を多数見てきました。そして、ある共通点があると思うようになりました。彼・彼女たちが数学の問題を解いている時、楽しんでいるということです。これをもう少し突き詰めてみると、彼・彼女たちは、まず予想を建ててその問題を解いてみているのです。そして、答えあわせを心待ちにしているのです。ゲームをしている感覚に似ているように見えます。イメージというものと多少異なるかもしれませんが、感情的なものが大きく寄与していることは間違いないでしょう。

 次に古典について言及します。古文単語、その中でも特に用言(動詞・形容詞・形容動詞)について当てはまると思われるのですが、単語ツールで暗記するより、感受性を持って、作品を読んで覚えるのがベストと断言します。皆さん、中学生の時の枕草子の第

一段で、いくつかの形容詞や形容動詞(をかし・あはれなり・わろし・つきづきし・・・など)をイメージを持って覚えられたことと思います。それを継続して頂ければ、と思うのですが、高校になり古文単語帳を渡され、テストに追われるようになると、イメージを持って覚えるということを忘れてしまうようです。単語ツールはチェックのための道具です。

 そして、最後に歴史について申し上げたいのですが、歴史の苦手な人の共通点、これはイメージが無いということです。これに対して助言すべきことは? 皆さんの持つイメージに不正解は無いと言うことです。数学で前もってした予想が大きく外れていた場合、絶対に正解にはなりません。古文においても筆者の主張と読者のイメージに乖離がある場合、不正解となるでしょう。しかし、歴史上の人物に対して皆さんが持つイメージに不正解はありません。例えば、ある人の源頼朝のイメージが本年の大泉洋さんであったとしたら、それは正解です。また別の人のイメージが昔の石坂浩ニさんのイメージだったとしても、それも正解です。まず、覚えるためのイメージを創ろうということです。

 勉強にはやる気という気持ちが必要なのはもちろんですが、テクニックとして、気持ちや感情、イメージを利用して頂ければと言いたいのです。