ナイル川クルーズの終着点ルクソールです
観光してからも船に戻って停泊します
早朝にデッキから朝日に照らされたナイル川越のルクソールをパシャ
世界中の古代遺跡の三分の一がエジプトにあり、その3分の2がルクソールとその周辺に集中してる遺跡の宝庫なんです
古代エジプト王朝の新王国時代にテーベと呼ばれ、1000年も首都として栄えたルクソール
ナイル川を挟んで東岸と西岸に分かれていて太陽神が崇拝されていた古代エジプトでは、太陽が昇る東岸が生者の町で神殿があって、太陽が沈む西岸は死者の町で葬祭殿や墓があります

船内で朝食をとってからバスでルクソール観光へGO!

ルクソール
Wikipediaより抜粋
日が昇る方角であるナイル川の東岸には、カルナック神殿やルクソール神殿など生を象徴する建物が、日が沈む方向のナイル川西岸には死を象徴する、王家の谷や王妃の谷などがある。王家の谷にはツタンカーメン王の墓がある。
ルクソール西岸(死者の町)
王家の墓

デジタルカメラは持ち込めなくてバスに置いてきました
手荷物検査を通ってからスマホのカメラを使いました
墓の中は写真NGでしたが外なら何故かスマホで写真を撮れました

黄色いトロッコのような車で墓の集中してる場所まで移動
奥のピラミッド型の山の麓が死の谷で墓が集中

ツタンカーメン王の墓
現在、62の墓が見つかっており62番目がツタンカーメンの墓

ツタンカーメンは、アフリカ系ノビア人で9才で王さまになって18才で亡くなった

ツタンカーメン王以外に2つの墓を見学

手荷物検査を受けて見えてますがトロッコのような車に乗って祭殿前まで乗せてくれます

ハトシェプスト女王葬祭殿

Wikipediaより抜粋
ハトシェプスト女王葬祭殿は、エジプト・ルクソール西岸にある古代エジプト唯一人の女性ファラオ、ハトシェプストが造営した葬祭殿。ハトシェプストの側近で建築家センムトが設計を行った。後にトトメス3世によって壁画や銘文が削られるなど一部破壊を受けた。手前にはメンチュヘテプ2世の王墓があり、あわせて、デル・エル・バハリ(Deir el-Bahri。アラビア語で「北の修道院」の意味。後にコプト正教会の教会として使われていたため)とも呼ばれている。1997年11月、ルクソール事件の現場となり外国人58人を含む62人が亡くなる事件が発生し、その中には多くの日本人新婚旅行者も含まれた。

穴を掘って遺品と伴に埋葬されても盗賊の被害に遭ってたようです
一旦、船に戻ってランチの後、ルクソール東岸観光です