1945年3月5日、硫黄島の敵はこの日攻撃を中断し休養日としたんやて!余裕綽々やん!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

1945年2月19日、硫黄島東海岸に上陸した敵は約3万名。

 

上陸した第28海兵連隊は摺鉢山へ。
 
第27海兵連隊は千鳥飛行場を迂回し側面からの攻撃に従事。
 
第23海兵隊は千鳥飛行場、第25海兵隊は元山飛行場へ
 
それぞれ進軍を開始しました。

 

 

 

 

 

 

第28海兵連隊は苦戦しながらも23日には摺鉢山を占領。

 

第27海兵連隊は即日千鳥飛行場を占領。

 

元山方面を攻撃していた第4海兵師団は、

 

損害が増大し途中から第3海兵師団と交代。

 

 

 

 

 

 

難航する元山飛行場攻撃に、摺鉢山を占領した

 

第28海兵連隊を含む3個師団を投入。

 

敵は多大なる損害を出しながら27日には

 

第3海兵師団が元山飛行場北側地区に進出。

 

 

 

 

 

 

一方我軍の兵力は1/2、弾薬も1/3に減少してしまいました。

 

 

また敵は占領した千鳥飛行場を海軍建設大隊が修復し、

 

3月初めには飛行場の機能を完成させました。

 

4日、東京空襲で損傷したB29が、緊急着陸に成功。

 

 

 

 

 

 

元山飛行場付近は混成第2旅団が担当しており

 

頑強に抵抗していましたが、敵はしらみつぶしに

 

馬乗り攻撃を行い、徐々に進んでいき

 

先ほど述べました通り一部は飛行場北側地区に進出。

 

戦線を107高地ー大阪山ー眼鏡岩ー元山ー二段岩ー玉名山

 

ラインまで後退させましたが、2日には大阪山ー眼鏡岩ー

 

二段岩が占領されてしまいます。

 

 

 

 

 

 

ここで忘れてはいけない方がおられます。

 

戦車第26連隊連隊長西竹一中佐です。

 

西中佐は1932年ロサンゼルスオリンピックの

 

馬術大障害飛越競技にて愛馬ウラヌスとともに

 

ゴールドメダリストとなっています。

 

 

 

 

 

 

1944年6月20日、硫黄島への転進命令が出

 

第26戦車連隊は海軍徴傭船大慈丸で硫黄島に向かうが

 

7月13日朝、 敵潜コビアの雷撃で沈みました。

 

幸い犠牲者は2名にとどまり、連隊は父島経由で

 

硫黄島に上陸。

 

ところが、連隊の戦車28両と兵員の装備品を積んだ

 

陸軍輸送船日秀丸が18日未明、同じくコビアの

 

雷撃で沈んでしまいます。

 

 

 

SS-245 コビア

 

 

 

西中佐は一旦東京に戻り、

 

代わりの戦車の手配をするため奔走。

 

どうにか硫黄島に代替車を送ることに成功。

 

小笠原兵団直轄となります。

 

 

 

 

 

 

丸万集落付近に本部を置いた第26戦車連隊は

 

玉名山東付近まで進出し、

 

M4との無謀な戦車戦を避け、戦車壕に収納したり

 

砲塔を外しトーチカとして使用する策に出ます。

 

 

 

 

 

 

M4が接近した場合は極力400m以内まで

 

接近してから砲撃し、これを撃破。

 

 

 

 

 

 

敵が後退した際に遺棄したM4を点検し、修理可能な

 

車両を修理し、敵が再度押し寄せてきた際に

 

これに合流するふりをして後方から射撃。

 

数量を擱座させ、歩兵を蹴散らしています。

 

 

 

 

 

 

戦車連隊の攻撃は混成第2旅団の残存兵力と

 

歩兵第145連隊と共同で、玉名山方面で反撃に出ます。

 

 

機動戦闘を受け持った第3中隊は突撃を敢行し、

 

なんと千鳥ヶ原付近まで突入していきました。

 

 

しかし圧倒的兵力をもって反撃してくる敵を

 

押し返すだけの力はなく、戦車の8割を

 

失い後退して行きます。

 

 

 

 

 

 

西中佐の最後は、

 

この鹵獲したM4で攻撃中に被弾し戦死した説、

 

兵団司令部への移動のため敵中突破中に

 

掃射を受けその場で戦死した説、

 

被弾し進退窮まり銀明水及び双子岩付近にて

 

副官と共に拳銃自決した説、

 

火炎放射器でやけどを負い、数人の部下らと

 

最期の突撃を行い戦死した説などがありますが

 

真相は未だ不明です。

 

 

戦後中佐の遺体を発見した部下が埋葬したとされる

 

近くに『西大佐戦死の碑』が建立されています。

 

 

 

 

 

 

敵はこれで島の2/3を占領したことになり、

 

5日には進軍をストップさせ部隊の休養と交代を実施。

 

明日以降の新たな攻勢の準備を行いました。

 

 

敵の進撃が停滞したのを受け、栗林閣下は

 

戦線縮小を決定し拠点を島の中央部から北部へ移しました。

 

 

 

 

 

 

これで島内に六ヶ所あった井戸は全て敵の占領下となり、

 

これ以降猛烈な飢えと渇きが守備隊を襲う事となります。

 

 

 

 

 

 

不屈の闘魂で敵と戦闘を繰り返した守備隊ではありますが、

 

この水不足から、体力的限界を迎えつつあり

 

これ以降急激にその戦闘能力が減退していきます。

 

 

 

 

いつも御訪問戴きありがとうございます
ブログ村ランキングへの入口を
ここにも設けてみました
下矢印のクリックをお願い出来ますでしょうか