①安土城址
●1980年代・2000年の二度登城
ご存じの通り、安土桃山時代に信長により築城された、
初の地下1階地上6階建て の巨大城郭建築。
本能寺の変の後まもなくして原因不明の失火により焼失。
天主台
大手道
大手道に敷設された転用石
体壊して以降、もうあの大手道を上ることは叶わず、
以来足が遠のいてしまいました。
②安土城天主信長の館
●2000年・2016年の二回
1992年に開催されたスペイン・セビリア万博の
日本館で安土城天主の最上部5階6階の部分が、
原寸大にて忠実に内部の障壁画と共に復元され
閉幕後には解体され、安土町で復元されました。
お城ではないけど、天主の一部が復元されてるってことで
ご容赦くだされ。
③彦根城
●2000年・2016年の二回
関ヶ原の戦いの後、譜代の家臣である井伊直政は、
その武功を称えられ石田三成の居城であった佐和山城を
家康から与えられて入城するが山城は何かと不便で、
現在の位置に移転を申し出て認められます。
その直後に直政は死去しますが、家臣の努力もあって
1622年に彦根城は完成します。
時は流れ、明治になると廃城令により全国各地の城は
廃城となったが、彦根城は大隈重信が明治天皇に
働きかけたこともあり、存続が認められました。
2016年訪問の際には、屋形船に乗り
お堀をゆら~っと巡りました。
所要で彦根方面に行くと、お城へは寄らなくても
東南のお堀のそばにある和菓子屋、
「どら焼き虎てつ」には必ず寄ります。
ここの「どら焼き」と「とらろぉる」が好きなんです。
バターどら焼き
とらろぉる
特にこのとらろぉるは絶品で、必ず買って帰ります。
④佐和山城址
●2000年に一度だけ
佐和山城の起源は鎌倉時代までさかのぼり、
戦国期に入ると浅井氏の配下に入ります。
本能寺の変以降は豊臣政権下の支配となり、
1590年頃に石田光成が入城しました。
1600年関ヶ原の戦いで西軍が敗れた後
家康は追討軍を佐和山城に向け、
石田軍の残存兵力を掃討。
落城の翌年には井伊直政がすぐに入城したが、
直政はさっさと彦根城にお引越し。
彦根城が完成した後に廃城となりました。
この佐和山の西の麓には、石田光成の屋敷跡も残されています。
彦根城を訪れた後ここに来たのですが、
車で数分で到着。
彦根城の標高は50m、佐和山城は約230m。
衛星画像の右上にある龍潭寺の
横から上り出したのですが、
もう足がガクガクしてもて
本丸跡に到着した時には、
へたりこんでもて暫くは動けんかった。
もう光成に想いを馳せるどころやなかったのを
よ~く覚えてます。
其之弐につづく……。