1944年9月29日、軽巡大淀は連合艦隊旗艦の任を解かれ、司令部は陸に上がり日吉へ!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

連合艦隊は開戦前、対米戦計画の一つに

 

潜水艦作戦により敵主力艦隊に痛打を与える

 

方針を打ち出していました。

 

その潜水艦部隊をサポートすべく

 

水偵を数機搭載する軍艦が必要となり

 

建造中の軽巡大淀に白羽の矢が立ちました。

 

 

 

 

 

 

大淀の排水量は従来の軽巡の約8000トンに対し

 

全備重量11000トンと、かなりでかくなりました。

 

 

 

阿賀野型3番艦の矢矧

 

 

 

矢矧と比べればお分かりだと思いますが、

 

大淀には艦後部の主砲塔がありません。

 

代わりに矢矧の倍くらいあるカタパルトと

 

搭載機格納庫がデン!と居座ってます。

 

 

 

 

 

 

大淀は就役したのは1943年2月28日。

 

戦線は太平洋各地に拡大、守勢に転じた時期です。

 

 

 

大淀に搭載予定だった高速水上偵察機紫雲

 

 

 

結局この紫雲は大淀に搭載されることなく、

 

大淀は輸送任務に転用されます。

 

 

大淀が所属する第三艦隊は、

 

7月10日横須賀を出港しトラックに向かいます。

 

トラックに到着後本隊と別れ、ラバウル・ブイン・

 

クェゼリン・ カビエンへの輸送作戦を実施。

 

 

 

 

 

 

1944年1月1日、カビエン到着後敵艦載機の空襲に合う。

 

艦中央部に爆弾1発命中するも不発。

 

戦闘終了後トラックに戻る。

 

2月17日早朝、横須賀に向け出港。

 

その直後トラックは敵艦載機の空襲を受け被害甚大。

 

大淀は間一髪で難を逃れています。

 

 

 

 

 

 

5月4日、連合艦隊の旗艦となり

 

豊田連合艦隊司令長官や草鹿龍之介参謀長らが乗艦。

 

あの馬鹿でかい格納庫を司令部施設に改装したそうです。

 

 

 

 

 

 

しかし9月29日連合艦隊旗艦の任を解かれ、

 

司令部は神奈川県横浜市港北区日吉の

 

地下壕へ移転。

 

以後司令部は終戦まで陸上(地下)から指揮を

 

取ることになります。

 

 

 

 

 

 

10月5日、大淀は第三艦隊第一機動部隊に編入され、

 

第三航空戦隊の瑞鶴・千代田・千歳・瑞鳳の護衛任務に就く。

 

20日、比島方面をめざし日本を出撃。

 

敵機動部隊を北方海域に誘致し、第一遊撃部隊の

 

レイテ突入を擁護する。

 

 

 

 

 

 

25日、敵艦載機の空襲を受け四番高角砲付近に

 

小型爆弾2発が命中するも作戦行動に支障なし。

 

一方旗艦の瑞鶴は被弾し速力低下し

 

旗艦を大淀に移し小沢司令部が移乗すべく瑞鶴に接近。

 

 

 

 

 

 

司令部移乗後、瑞鶴・瑞鳳が相次いで沈没。

 

 

 

 

 

 

残存艦隊は戦場を離脱し、27日に奄美大島に入港。

 

大淀はその後マニラ湾・ミリ泊地・ブルネイ泊地・

 

リンガ泊地へと移動。

 

ミンドロ島に侵攻した敵艦隊への攻撃作戦

 

礼号作戦に参加。

 

木村少将率いる足柄・大淀・駆逐艦6隻からなる

 

挺身部隊は24日、カムラン湾を出撃。

 

26日、B25の爆撃を受け大淀に250kg爆弾2発が命中。

 

しかしこれは2発とも不発で命拾いする。

 

その後、挺身部隊はマンガリン湾内の船舶や

 

ブグサンガ川河口の物資集積所及び飛行場を砲撃。

 

 

 

 

 

 

シンガポールに進出した大淀は、

 

石油・南方資源を満載し内地に輸送する北号作戦に

 

加わることになり、第四航空戦隊(伊勢・日向)に

 

編入され、司令部室になってた格納庫を

 

急きょ物資輸送庫に改造。

 

2月10日夕刻、シンガポールを出航。

 

20日、参加艦艇は全艦無事に呉軍港に到着。

 

 

 

 

 

 

呉に到着した後、燃料不足から

 

呉鎮守府第1予備艦に指定され、

 

行動不能な状態のまま防空砲台となりました。

 

 

 

3月19日、呉は敵機動部隊の艦載機の空襲を受けます。

 

大淀は直撃弾2、至近弾1により傾斜が拡大。

 

 

 

 

 

 

7月24・28日、呉は再び空襲を受け

 

直撃弾数発を浴び、28日12時ごろ

 

横転してしまいました。

 

 

 

 

 

 

1947年に船体の引き起こしと浮揚作業を開始。

 

1948年1月6日から解体に着手し、8月1日に解体を完了。

 

 

 

 

大淀が沈没した海岸には、慰霊碑が建立されています

 

 

 

 

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