1945年5月11日、迎撃網を突破した特攻機2機がバンカー・ヒルに突入するも沈没に至らず!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

5月11日、菊水六号作戦が発令され

 

早朝から第六神剣隊・第六昭和隊・第七昭和隊・

 

第十建武隊・第五筑波隊・第七七生隊の

 

戦爆37機と、第八神雷部隊4機が

 

鹿屋を飛び立ちました。

 

 

 

 

 

 

いつものように編隊はレーダーピケットラインの

 

駆逐艦に捕捉され、迎撃機が襲い掛かります。

 

直掩との格闘の隙間を縫いながらさらに接近した

 

特攻機はレーダーピケット艦に襲い掛かります。

 

駆逐艦エヴァンスに4機突入。

 

駆逐艦ヒュー・W・ハドリーに2機突入、

 

桜花1機至近。

 

 

 

 

エヴァンス

 

ヒュー・W・ハドリー

 

 

 

この2艦は、かろうじて沈没は免れ

 

慶良間に下がりますが、

 

修理不能となり廃艦が決まりました。

 

 

 

一方敵の迎撃網を突破した中に

 

第七昭和隊の零戦2機がいました。

 

安則盛三中尉と小川清少尉です。

 

 

 

安則中尉

 

小川少尉

 

 

 

彼らはレーダーに引っかからぬよう、

 

海面すれすれの超低空で空母部隊に接近します。

 

 

 

 

 

 

特攻機が敵艦に突入する方法には主に二種類あり、

 

一つは高高度接近法と言って

 

敵艦に接近するまでは高高度を維持し、

 

発見すると緩降下により距離を詰め

 

突入体勢に入る時は45度以上で

 

急降下する方法と、

 

低高度接近法では、レーダーを避けるため

 

高度15mほどの超低空で接近し、

 

敵艦の手前で500m辺りまで急上昇の後

 

60度以上の角度で突入する方法。

 

 

 

 

 

 

第七昭和隊の2機は後者を選択したようです。

 

 

 

第58任務部隊の旗艦である空母バンカー・ヒルは、

 

艦載機の発艦の準備中で、

 

すでに甲板上に34機を上げています。

 

 

 

 

 

 

そこへ海面すれすれで接近してきた零戦2機が現れました。

 

レーダーで捕捉できなかったので、敵は油断してます。

 

 

 

 

 

 

このまま突入かと対空戦闘要員たちが

 

頭を抱えてしゃがみこんだ瞬間、

 

特攻機は急上昇。

 

 

400mほど上昇して反転急降下。

 

先に250㎏爆弾を投下し、甲板に駐機中の

 

艦載機の中央に激突。

 

 

 

 

 

 

間髪を置かず2番機が直角に近い角度で突入。

 

1番機は甲板上の艦載機の誘爆を誘ったが、

 

2番機は格納庫内の艦載機の誘爆を誘い

 

すでに機内に注入された燃料に引火。

 

大爆発を起しました。

 

 

 

 

 

 

我海軍ではこうなるともう手の施しようがなくなるけど、

 

敵はここまでの戦いにおいてダメージコントロールを

 

確立してるので、それを最大限発揮し数百名の死傷者を

 

出してるにもかかわらず、沈没を防いでいます。

 

 

 

 

 

 

バンカー・ヒルは、その後ウルシー~真珠湾を経由し

 

本国へと回航され、終戦まで復帰することは叶いませんでした。

 

 

 

この日は鹿屋以外からも宮崎の第九銀河隊銀河10、

 

串良の菊水雷桜隊天山10、指宿の第二魁隊水偵2、

 

陸軍からも知覧を中心に20数機が出撃してますが、

 

敵空母に到達できたのは第七昭和隊の2機のみ。

 

後は迎撃機に落とされたのでしょう。

 

 

 

 

 

 

菊水一号作戦が発令された頃では、

 

敵艦を発見すれば我も我もとそれに突入していき

 

レーダーピケットの駆逐艦に被害が続出しましたが、

 

この頃ともなると、第一陣の特攻機が最初に

 

レーダーピケット艦を潰し、後続隊はそのさらに

 

先にいる空母部隊や輸送艦隊を狙う手筈に

 

なっているのですが、相変わらず

 

最初に発見した敵艦に群がっていきます。

 

 

この日も数十機が出撃した中で、

 

第二陣・第三陣がレーダーピケット艦など無視して

 

さらに進んでおれば、バンカー・ヒル以外にも

 

突入できたかもしれませんね。

 

 

これまで何度も記事にしてますが、

 

あくまで突入目標は敵空母群と輸送船団であったことを

 

これから出撃する特攻隊員たちに再度

 

周知させる必要があったと思うのですが、

 

各基地航空隊の幹部はその辺のこと

 

どのように考えていたのでしょう?

 

 

 

昭和20年5月11日の出撃の朝、

鹿屋基地近くの野里小学校校庭で記念撮影する第6第7昭和隊

この日の午前中に彼らの多くが沖縄周辺の敵艦に突入して戦死

 

 

 

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