昔時々上った宍粟市の国見の森公園展望台に、久々に行ってみた!!の巻 其之壱 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

お袋方の親戚が、現在の岡山空港の東にあります。

 

 

 

 

 

 

幼き頃より時々お袋に連れられて、よく遊びにいったものです。

 

当時は自家用車など持ってる人はごくわずかで、

 

当然移動は国鉄を利用してです。

 

姫路駅から岡山駅へ、そして津山線に乗り換え

 

野々口駅で降り、そこから徒歩で20分くらい歩いてました。

 

 

あの当時津山線には蒸気機関車が走っており、

 

それも中学生の頃にはディーゼル気動車に

 

変わったような気がします。

 

 

 

参考画像です

 

 

親戚宅からはこの辺りが見えてました

 

当時の野々口駅舎

 

 

 

私たちが乗り降りした駅舎はこのような形でしたが、

 

車の免許を所得後、JRを使う事もなくなり

 

1990年代にはこのような無人駅舎となり、

 

 

 

 

昨年3月にはさらにコンパクト化したのに変更されたようです

 

 

 

駅の東には旭川が横たわり、

 

そこに架かる葛城橋を渡っていました。

 

 

 

 

 

 

 

この橋は1976年に架橋された3代目で、

 

初代は1930年に架橋され1934年に流失。

 

2代目が1938年に架橋。

 

私が幼少の頃、この2代目を渡ってました。

 

橋は木製で土と砂利が敷いてあったようで

 

中央部が盛り上がってました。

 

橋の欄干はとても低く、いつやったか

 

橋の両側には砂利が集まっていて

 

それに足を取られ転倒し、危うく欄干の隙間から

 

転落しそうになった記憶があります。

 

また、台風による増水で橋の中央部の一部、

 

約1mほどが欠落し、そこに渡してある板を渡る時は

 

めっちゃ怖い思いをした記憶もあります。

 

 

 

参考画像ですが、こんな感じやったと思います

 

 

 

親せき宅は茅葺屋根でしたが、私が中学生の頃

 

防火の観点から、町からトタン屋根に変更を進められます。

 

 

 

 

現在はこれ

 

 

 

しかし屋内の造りは昔のままで、

 

風呂は未だに薪で湯を沸かす五右衛門風呂。

 

 

 

 

 

 

飯はかまどで炊いてましたが10年ほど前についに壊れ、

 

その時に部品調達が出来ずに修復を断念。

 

初めて炊飯器を買ったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

ここを最後に訪れたのは10年前で、

 

その時にはまだ黒電話が現役で頑張ってました。

 

 

 

この機種は4号型と言って、かなり古いものです

 

ちなみに、私の実家ではプッシュホンが現役です

いつの頃からか黒電話から左の色に代わり、

NTTに変換器(モジュール)を増設してもらい

同色の右側に代わり今に至っています

 

 

 

親戚宅ではおもちゃなど全く必要とせず、

 

従妹が木の枝を削って刀を作ってくれたり

 

同じく小枝を集めてゴム銃を作ってくれたり、

 

旭川で釣りに興じたり、小川で小鮒や

 

メダカ・ナマズなどを網を持って追いかけまわし、

 

裏山に入っては、二宮金次郎のように

 

薪を集めまわったりで、自然と触れ合うのが

 

楽しくて仕方なかったです。

 

 

 

 

参考画像は割り箸ですが、

小枝を利用して同様なのを作ってくれました

 

 

 

 

 

 

高校生になり、空手の稽古に時間を取られだし、

 

また東京の大学に進学したことで、

 

以降足が遠のいてしまいました。

 

 

しかし結婚後は奥さんと共に遊びに行くことが

 

復活し、たびたび訪れました。

 

というのも、私が中学生の時従妹は免許を所得し

 

日産スカイライン2000GT-Rを新車で購入。

 

私が免許を所得したころには

 

ものすごいプレミアがついていたので

 

Rに載せて欲しくて通ったのが本音でしたね。

 

 

 

 

 

 

このR、全国から譲ってほしいと熱烈コールが

 

絶えなかったそうですが、従妹は私が頸椎をやる

 

数年前に難病を発病し、現在は施設で暮らしてるため

 

10年前に泣く泣く処分したそうです。

 

私も欲しかったのにぃ…(泣)。

 

 

結婚後実家を離れ、姫路の北部に居を構えた

 

私たちが親戚宅に向かう際、道が良く分からんかったので

 

とりあえず中国道で津山まで行き、そこから

 

国道53号線を南下するルートを取ってましたが、

 

いつの頃からかゼンリンの地図とにらめっこし

 

下道のルートを見つけ、以降はよっぽどがない限り

 

福崎・山崎・佐用・美作まで中国道に沿って西進し、

 

そこから南下し親戚宅に向かうルートに変更しました。

 

 

 

ある日、中国道で帰宅の途上奥さんが

 

あれ何?と山の上を指差した時がありました。

 

 

 

 

 

 

洋風のお城のようにも見えますが

 

その時はわかりませんでした。

 

 

下道に変更して自宅に向かう途中

 

以前に奥さんが指差したお城風の

 

建物が再び目に入ったので

 

ちょっと寄り道してみました。

 

 

 

 

 

 

 

そこは岡山県美作市江見にある

 

バレンタインパーク作東と呼ばれる、

 

「愛」をテーマにした多目的パークでした。

 

 

作東バレンタインホテル、

 

スポーツ施設の作東B&G海洋センター、

 

作東美術館、旬の食材を生かした

 

フレンチが楽しめるレストランなどがあります。

 

 

 

 

作東バレンタインホテル

 

 

このとんがり帽子の屋根はチャペルのようです

 

このホテルの日帰り入浴も一度利用しました

 

館内に美術館とレストランがあり、

 

ここで時々ランチしましたね

 

 

 

フランスのセント・バレンタイン市と

 

「愛」をテーマに国際姉妹縁組を結んでいるので、

 

聖バレンタイン愛の泉が制作されています。

 

 

 

 

 

 

 

まあここではランチするか、日帰り入浴するか、

 

散歩するかしかないのでそう度々立ち寄ることもなく、

 

いつしか素通りするようになりました。

 

 

2006年夏、所用で親戚宅を訪れる前日に

 

TVで宍粟市に『兵庫県立国見の森公園』

 

なるものがオープンした時のレポートを

 

やっていたので、帰りに寄ってみることにしました。

 

 

この日はオープンしたばっかしやったので

 

近所の保育園児の集団や家族連れが

 

めっちゃ多くて

 

またの機会にと駐車場でUターンして

 

帰りました。

 

 

その後何度か訪れたのですが、

 

つい一週間前に久々に行ってみたので

 

その時の事は次回でお伝えします。

 

 

 

 

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