1943年10月6日の第二次ベララベラ海戦で沈んだ夕雲の乗員は、敵舟艇を奪取しブインに帰還!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

ベララベラ島は、ソロモン諸島西部州の島。
 
悲惨な戦いをつづけたガダルカナル島と
 
ラバウル基地の中間くらいに位置します。
  
 
 
 
 
 
  
1942~1943年にかけての
 
餓島の攻防戦に敗れた我軍は、
 
敵の追撃に備えソロモン諸島の
 
西の守備隊にその防備強化に取り組みます。
 
取り組むと言ってもスムーズな
 
増援があるわけでもなく、
 
餓島のような鼠輸送でどうにかこうにか
 
食いつないでいました。
 
 
そんな中、敵は1943年7月5日に
 
ニュージョージア島上陸した後、
 
コロンバンガラ島は跳び越して
 
8月15日にベララベラ島へ上陸します。
 
 
敵のベララベラ島上陸は、
 
我軍の防衛計画に狂いを生じさせます。
 
コロンバンガラ島で食い止めるつもりが、
 
その西のベララベラ島を取られてしまうと
 
ブーゲンビル島が直接脅威にさらされるからです。
 
 
8月17日夜半には、ベララベラ島への増援部隊を
 
輸送する駆逐艦隊と第41駆逐群との間に
 
第一次ベララベラ海戦が勃発し、
 
我軍は輸送部隊の一部に
 
被害を出しますが、増援は成功します。
 
ベララベラ島の敵はニュージーランド軍と交代し、
 
我軍を追い詰めます。
 
敵が占領を放棄したコロンバンガラ島の、
 
我軍の撤収は9月28日から
 
10月2日の間に完了しており、
 
ベララベラ島からブインへの撤収が
 
急遽行われることとなりました。
 
撤収作戦の実施部隊の駆逐艦隊と輸送部隊は、
 
10月6~7日にかけて再びベララベラ島海域において
 
敵艦艇と交戦、第二次ベララベラ海戦です。
 
 
20時半頃レーダーで先に
 
日本艦隊を発見した敵艦隊が発砲。
 
日本艦隊には一瞬の戸惑いがあり、
 
そのわずかな時間が致命的となった。
 
四番艦として行動していた
 
夕雲は集中砲火を浴び、火災が発生。
 
そののち魚雷が命中し、
 
これが止めとなって21時10分に沈没。
 
 
 
 
 
 
 
駆逐艦長大迫東中佐を初めとして
 
乗員の大半は戦死したが、
 
海戦の最中に風雲が何名か救助し、
 
敵魚雷艇に78名が救助された。
 
機関長以下25名は、
 
やはり海戦で沈没した敵駆逐艦の
 
ものと思しき舟艇を奪取。
 
やがて敵魚雷艇が出現して
 
乗り移るよう指示されたものの、
 
猛烈な拒否行動を展開。
 
その時敵は不可解な行動を取るんですね。
 
戦闘を嫌ったのか、
 
敵魚雷艇は降伏を拒否されたのち、
 
なんと夕雲生存者に食糧と飲料水を分け与えると
 
去っていったというんですね。
 
米軍に紳士でも乗っていたんでしょうかねぇ???
 
 
 
 
 
  
機関長以下25名は1日半かけて
 
ブーゲンビル島・ブインに到着しました。
 
第八艦隊司令官鮫島具重中将は
 
ブインの桟橋に赴いてカッターを出迎え、
 
「夕雲は行方不明、全滅と聞いたが
 
敵のボートを分捕って帰るとはよくやった。御苦労」
 
と賞賛されたそうです。
 
 
また種子島洋二第一輸送隊隊長は、
 
「死闘の続くソロモン海ではじめて聞いたすがすがしい話」
 
と、敵の好意に敬意を払いました。
 
 
 
しかしこの機関長って、
 
いったいどんな人だったんでしょうねぇ。
 
豪傑と言うか、
 
よっぽど胆の座った武人だったのでしょうか。
 
その後どうなされたのでしょう。
 
生きてて欲しかったですね。
 
 
 
同海戦で沈んだ駆逐艦シャヴァリア
 
 
 
 
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