1942年8月7日、敵はウォッチタワー作戦を発動し、
餓島とツラギ島に上陸し反攻に出て来ました。
餓島における飛行場設営の第13設営隊からの一報を受け
まずはラバウルから攻撃隊が、そして敵輸送船を
撃滅するための第8艦隊が相次いで出撃。
しかし敵巡洋艦隊を撃破したものの、
肝心な輸送船団攻撃は手つかずで引き上げてきます。
大本営はグアム駐留の一木支隊を上陸させますが、
血気盛んな支隊は本隊の到着を待たずに攻撃を仕掛け
返り討ちに会い全滅に近い損失を出しています。
真珠湾攻撃以来機動部隊を預かってるのは
南雲中将で、南方方面の第二艦隊司令
近藤信竹中将の指揮下に入るのが
鼻についたらしく、お互いが歩み寄る事なく
情報交換等も皆無で、当初から足並みはそろっていません。
餓島への増援は第35旅団の川口支隊が
投入されることとなり、
その護衛として第三艦隊の出撃も決まりました。
この度は翔鶴に21号電探を装備し万全とは
言えないものの、勝機を確信しての出撃のはずでした。

第3艦隊は23日朝には早くも敵哨戒機に発見され、
第61任務部隊のフレッチャー提督の元に報告されます。
提督はその距離から接近するのはまだ早いとして、
空母ワスプの燃料補給に下がらせます。
これで餓島近海にはエンタープライズと
サラトガの2艦のみとなり、叩くには絶好のチャンスですよ。
エンタープライズ
サラトガ
近藤中将はまずは先手を打つべく
龍驤と護衛の利根駆逐艦2隻を南下させ、
餓島飛行場の攻撃を指示します。
この攻撃につられ、敵空母艦載機が龍驤の
攻撃に向かってる隙に、本隊の翔鶴・
瑞鶴攻撃隊が敵機動部隊を叩く作戦です。
25日朝に先に龍驤は発見され、
龍驤は昼前に攻撃隊を発艦させます。
敵はそれから遅れること15分、
ようやく攻撃隊を発艦させました。
またエスピリトゥサント島(バヌアツ)から
B17が7機発進しています。
最初にB17が龍驤を発見し爆弾を投下しますが
被害なく、続いてエンタープライズ機が来襲。
これも回避成功。
しかしサラトガ攻撃隊により爆弾4命中、
至近弾多数・魚雷1本命中し、これにより機関停止し
右舷に大きく傾斜しだします。
攻撃を受けてから約4時間後の18時、
艦尾より沈没していきました。
既に発艦してる艦載機は不時着水するか、
ブカ島に避難しています。
龍驤が攻撃を受けてるちょうどその頃、
翔鶴・瑞鶴攻撃隊が
エンタープライズを発見し攻撃に移ります。
第3エレベーター右舷側前方と後方に2発が命中。
結果飛行甲板に3発命中させ、第2、第3エレベーター損傷、
右舷水線に2メートルの破孔の被害を与えました。
エンタープライズ中波の引き換えに
翔鶴・瑞鶴攻撃隊の九九艦爆54、直援零戦19の内
艦爆17・零戦3が未帰還となっています。
サラトガはエンタープライズよりさらに南側に位置してたので、
わずかの瑞鶴隊の攻撃を受けましたが、被害は最小で済みました。
真珠湾攻撃の際山本長官は敵空母の撃滅を
目指していましたが、当日真珠湾に空母はいませんでした。
エンタープライズはウェーク島への輸送任務に
出かけたばかりで命拾いしています。
開戦後の12月10日、
やつは モロカイ島北東海域で伊70を撃沈します。
1942年2月1日、
マーシャル・ギルバート諸島に進出し、
陸海軍の基地に空襲を行います。
24日、ウェーク島を爆撃。
3月3日、南鳥島を攻撃。
4月8日、ドーリットル空襲に
参加するため真珠湾を出港。
※B25を搭載したのはホーネットで
エンタープライズはその護衛。
ミッドウェー海戦では、
最初に攻撃に向かった雷撃隊は全滅。
爆撃隊が加賀・赤城に命中弾を与え、
大火災を生じさせました。
開戦以降わずか8ヶ月で
あいつたった一艦に振り回され続けています。
ここでやつを仕留めれなかったことは
後々さらに友軍に暗い影を落とすことに
なろうとは帝国海軍は知る由もありません。
8月24日~25日、第30駆逐隊の駆逐艦5隻は
餓島ヘンダーソン飛行場に艦砲射撃を実施。
弾着観測機を飛ばすことが出来ず
着弾が飛行場から離れたので
被害はほとんどありません。
31日、エンタープライズが離脱した後も
同海域に留まっていたサラトガを伊26が発見し、
魚雷1本を命中させ大破せしめてます。
さらに、9月15日には
伊19がワスプを撃沈する大戦果を挙げています。