1942年5月8日、史上初の日米空母決戦「珊瑚海海戦」 ってどないやねん!?の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

1942年、日本海軍は豪州~米間の
 
シーレーンを遮断するため、
 
FS作戦(米豪分断作戦)実施に取り掛かりました。
 
豪州を孤立させればソロモン海域での作戦が
 
スムーズに行くと踏んだからです。
 
 
 
 
 
 
3月に日本軍占領地域に敵空母艦載機が来襲し
 
損害を出したので、
 
この海域での輸送船団護衛の任に従事していた
 
軽空母祥鳳のみでは防空能力に欠けるとして
 
(祥鳳の搭載機は、艦戦18・艦攻9・補用艦戦3)
 
より第五航空戦隊(翔鶴・瑞鶴)を第四艦隊に編入します。
 
(瑞鶴の搭載機は、零戦18・九九艦27・九七式艦攻27)
 
 
 
祥鳳
 
翔鶴
 
瑞鶴
 
 
 
一方暗号解読によって日本側の
 
計画を察知した米海軍は
 
第十七機動部隊(レキシントン・ヨークタウン)を
 
ニューギニア南東海域(珊瑚海)に急行させてきました。
 
 
 
レキシントン
 
ヨークタウン
 
 
 
5月6日、日本機動部隊は
 
敵空母撃滅をすべく同海域に進入。

  世界戦史上最初の空母決戦である
 
“珊瑚海海戦” の幕が開かれます。
 
 
5月7日未明、

  日本機動部隊の索敵機の一機が敵空母発見を打電。

  報告を受け、 機動部隊は直ちに攻撃隊を発進させます。

  しかしこれは油槽艦を空母と見間違えたものでした。

  敵空母発見の報が入ったのは、その数十分後の事です。
 
 

  先の誤報がなかったら、攻撃隊は本来の敵を目掛けて
 
飛び立っていたに相違なく、日本側としては
 
誤認情報に惑わされ、
 
貴重な先制攻撃の機を失してしまいました。
 
 もっともこの時点では、最初の報告が誤認に
 
基くものである事は判明していませんが、
 
 機動部隊は攻撃隊の帰投をただ待つしか有りませんでした。
 
 
 攻撃隊は、幻の空母を捜し回って時間を空費し、
 
結局油槽艦・護衛駆逐艦を攻撃し、
 
帰途に着きましたが
 
その間にポートモレスビー攻略部隊の
 
船団護衛に任じていた祥鳳が、
 
敵艦載機群の集中攻撃を受け撃沈されてしまいました。
 
 
 
爆弾13発・魚雷7本の命中を受け、満身創痍の祥鳳
 
 
 
瑞鶴から艦攻9・艦爆9、翔鶴から艦攻6・艦爆6
 
計27機の攻撃隊が発進するものの、
 
直援戦闘機の護衛なしで向かったため、
 
敵レーダーに捕捉され艦載機の迎撃を受け
 
敵空母攻撃前に甚大な被害を受けてしまいます。
 
 
 
こんなエピソードもあります。
 
艦爆隊が攻撃を断念し
 
帰途についた頃は日没を向かえ、
 
ようやく母艦を発見し着艦しようとしたところ、
 
それはなんと敵空母ヨークタウンとレキシントンだった。
 
着艦体制に入るまで両方とも気がつかなかったという、
 
ほんまありえへんお話。
 
 
 
5月8日
 
 両軍とも未明より活発に索敵を開始。
 
ほぼ同時刻に敵空母部隊を発見します。
 
 前日のミスにより手持ち攻撃機を消耗していた
 
日本機動部隊はそれでも
 
残存兵力で果敢に発艦を開始。
 
 
 
瑞鶴甲板上の攻撃隊
 
 
ヨークタウン上の攻撃隊
 
 
 
日本軍の攻撃はレキシントンに集中。
 
魚雷2本・ 爆弾2発が命中し、
 
レキシントンは誘爆を起こし、
 
 総員退艦の後味方駆逐艦の
 
雷撃によって処分されました。

ヨークタウンは至近弾2発 ・ 直撃弾1発を受け、
 
火災が発生するも鎮火に成功。

しかし攻撃力を失い戦場を離脱。

 (ここで撃ち漏らしたヨークタウンは、
 
やがてミッドウェーで
 
手痛いしっぺ返しをしてきます)
 
 
 
被弾し黒煙を上げながら傾斜するレキシントン
 
 
 
日本側は、 翔鶴が爆弾四発を受けて大破。
 
艦載機発着不能の状態に陥りました。
 
 
 
 
 

 瑞鶴はスコールに隠れて攻撃を免れ無傷でした。

しかし搭載機の損失が大きく、新たな攻撃隊編成は
 
困難な状態で、敵機動部隊追撃を
 
断念せざるを得ませんでした。
 
 
 
魚雷攻撃をしかけるTBDデバステーター雷撃機
 
魚雷攻撃をしかける九七式艦上攻撃機
 
爆撃を受ける翔鶴
 
 
 
この戦いの戦術的勝利は日本側でしたが、
 
日本海軍はこの戦いで海からの
 
ポートモレスビー攻略を断念したことにより、
 
戦略的勝利は米軍に上がったと言えます。
 
またこの戦いを綿密分析し、
 
今後の対日戦に生かした米軍と、
 
学ぶべきとこを学ばずして以後の戦いにおいても
 
同じ過ちを繰り返した日本軍。
 
決死の覚悟で闘った最前線の兵士達が、
 
あまりにあわれに思えてなりません。
 
 
もしこの時、索敵を重視し先に
 
敵機動部隊を叩いておけば、
 
翔鶴・瑞鶴は温存でき1ヵ月後のミッドウェー作戦に
 
投入できたでしょう。
 
ここで撃ち漏らしたヨークタウンも、エンタープライズも
 
葬る事ができたかもしれませんね。
 
 
 
 
 
 
本作戦において、祥鳳の他に
 
駆逐艦菊月もやられています。
 
菊月はツラギ攻略部隊として
 
5月3日に同島を占領します。
 
これらの動向を暗号解読で察知した敵は
 
ヨークタウンを急行させ攻撃隊46機を
 
ツラギ島に向かわせます。
 
 
 
 
 
 
5月4日早朝菊月が敷設艦沖島から給油中、
 
それらは突如として現れました。
 
 
 
 
 
 
慌てて沖島から離れようとした時
 
1本の魚雷が右舷機関室に命中。
 
駆潜艇に曳航されたけど、ガブツ島
 
海岸に擱座してしまいました。
 
その後菊月は放棄され、現在もわずかですが
 
その姿を見ることが出来ます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ポートモレスビー攻略部隊の
 
航行の安全を確保すべく
 
同海域を哨戒するための水上機基地を
 
ツラギに設営することが求められていました。
 
5月3日上陸後直ちに設営隊が
 
基地建設に乗り出すのですが
 
翌日のヨークタウン艦載機の空襲により破壊され
 
その後復旧作業が完了したのもつかの間
 
8月7日~8月8日には敵上陸部隊が上がってきて
 
設営隊の苦労はたった3ヶ月で
 
水の泡と消えていくのです。
 
 
 
 
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