当家一族による沖縄での慰霊祭が終了してもう6年!復活は極めて難しいなぁ!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

当家一族には、
 
沖縄戦に参戦したのが3名おられました。
 
2名戦死し、1名生還しています。
 
 
復員した叔父は、神戸の空襲で本家が
 
焼失してたことに呆然としたそうですが
 
戦後がむしゃらに働き、
 
昭和50年代に入り、
 
少し余裕が生まれたこともあって
 
一族に呼びかけ、沖縄での慰霊祭を決意。
 
当初は沖縄慰霊の日に
 
摩文仁の式典に参列していましたが、
 
その当時は遺族・関係者もまだ若く
 
本土からも大挙して沖縄入りを果たしていたので、
 
宿を取るのも困難でまた特別料金で通常より
 
さまざまなものが高く、摩文仁に行くのも
 
大変混雑して非常に疲れるとのことでした。
 
そこで、当家一族の慰霊祭を嘉数戦が行われていた
 
4月20日過ぎに変更し、それが長年定着したわけです。
 
 
戦没者追悼式では本土から訪れた方たちは
 
礼服着用で参列していましたが、
 
これがまたメッチャ暑い!
 
年を経ることに高齢化が進み
 
体調を心配するケースも増え、
 
そこで現地の方のかりゆしでの参列を見てて、
 
一族独自のポロシャツを作製。
 
一族による慰霊祭を4月に変更したのを機に
 
これを着用することになりました。
 
 
 
左袖口にそれぞれの居住地区の名称が入ります
 
 
 
 
 
 
 
全国に散らばる一族7家を
 
取りまとめるのは大変で1泊で行くのが限界。
 
 
毎年那覇空港で集合し、海軍司令部壕~
 
ひめゆりの塔~沖縄平和祈念公園~
 
首里城~沖縄ホテル(泊)~対馬丸記念館~
 
嘉数高台展望台~那覇空港(解散)
 
だいたいこの日程で消化していきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和20年6月23日、
現在の摩文仁の丘付近で掃討戦を展開中の米軍戦車
 
 
 
 
 
 
その年に応じてひめゆりの塔・首里城
 
対馬丸記念館を、伊原第一外科壕・喜屋武岬
 
魂魄の塔・山城陸軍病院本部壕跡・
 
寿山海軍壕跡(田原公園)・大里城址公園
 
南城市大里農村環境改善センター・
 
南風原陸軍病院壕・ずゐせんの塔など
 
に置き換えて戦跡慰霊にも出かけました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一族にも高齢化が押し寄せ、
 
約14年前私に幹事を託されました。
 
その後約8年間頑張ってきましたが
 
私を含む従弟に体調不良が相次ぎ
 
6年前ついに38年間続けた慰霊祭は終了しました。
 
 
その間慰霊祭では訪れることが出来なかった
 
所へも訪れることが出来、まずまずの
 
成果だったんではないかと感じています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
私自身、幼少の頃より
 
祖父や叔父からいろんな話を聞き、
 
10代の頃から沖縄戦について
 
調べてまいりました。
 
7家族を取りまとめて沖縄で
 
慰霊祭を執り行うのは、
 
正直言って労力がいりました。
 
 
しかしいざ終了すると、
 
一抹の寂しさを覚えてしまいますね。
 
慰霊はしてもしてもし尽くす
 
と言うことはありませんから。
 
 
沖縄での観光は
 
ほとんどしたことはありませんが、
 
コロナが終息した後、機会があって
 
次沖縄入りする時は少し観光も取り入れて
 
各地を巡ってみたいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

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