ほとんど知られてない、1942年3月4日の二式大艇による二回目の真珠湾攻撃!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

対米戦がささやかれた頃、敵艦隊の偵察と攻撃の
 
両立した水上艇の開発がスタートします。
 
開戦後まもなくして川西航空機が
 
『十三試大型飛行艇』の初飛行を成功させました。
 
 
 
 
 
 
1942年2月5日に『二式飛行艇11型 H8K1』として
 
制式採用が決定されるやいなや長距離爆撃を命じられます。
 
 
場所は真珠湾。
 
二式大艇の初陣としてはうってつけかも♪
 
腕が鳴りますねぇニヤリ
 
 
作戦名は『K作戦』
 
 
この大艇は14か所の燃料タンクに17080ℓを積み
 
偵察では驚くことに約7000kmも飛行できるんです。
 
武装も強力で、20mm旋回銃5・7.7mm旋回銃4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
250kg爆弾なら8発まで搭載可能。
 
真珠湾の敵に一泡ふかすには
 
持って来いの名機ですね。
 
機内には長時間飛行に備えて
 
トイレ・仮眠用ベッド・食品を保管する
 
冷蔵庫等が整備されています。
 
陸攻からすると、至れり尽くせりやねぇ。
 
 
 
 
 
 
 
 
開戦後同海域に留まってた伊7は、12月17日に
 
搭載してる九六式小型水上機でハワイ偵察を行いました。
 
 
 
 
同型艦の伊8。後甲板にカタパルトが見えます。
 
九六式小型水上機
 
 
 
また1942年1月5日にも
 
伊19が搭載機による偵察を行い、
 
真珠湾の情報をもたらしました。
 
 
 
 
 
 
情報から、敵の復旧妨害と
 
真珠湾攻撃で無傷だった石油タンクの破壊
 
敵の戦意喪失を目的に計画が動き出します。
 
 
参加兵力は二式大艇2機、伊潜4隻。
 
伊15・19・26は大艇用の航空燃料を搭載し
 
北西ハワイ諸島の
 
フレンチ・フリゲート環礁で待機します。
 
 
 
 
大艇2機は2月12日横須賀を出発
 
 
 
この2機は南洋部隊・第6根拠地隊に組み込まれ
 
14日にマーシャル諸島ヤルート島。
 
3月2日にウオッゼ島を経由し
 
4日午後伊15・伊19の待つ
 
フレンチ・フリゲート環礁に到着。
 
 
 
 
 
 
 
16時00分離水しハワイに向かいます。
 
敵はレーダーで大艇を捕捉し、
 
カタリナ飛行艇・P40を向かわせますが
 
会敵できず、その隙に大艇2機は真珠湾上空に達し
 
それぞれ4発の250キロ爆弾を投下し帰途につきます。
 
 
 
 
 
 
真珠湾上空に到達したのは21時を既に回ってました。
 
残念なことに1942年当時、日本軍機にはレーダーは
 
装備されていなかったので
 
灯火管制で真っ暗な真珠湾に対し
 
運良くば石油タンクか敵艦に!
 
と願いながら投弾しましたが、
 
結果は真珠湾周辺の道路などに穴を開けただけ。
 
 
大仕事をやってのけた2機は、5日9時過ぎに無事に
 
それぞれヤルート島・ウオッゼ島に帰還いたしました。
 
 
 
 
 
 
戦果は挙がらなかったけど、
 
「搭乗員全員の“不屈の闘志”が成せる業!」
 
と言えますね。
 
 
 
 
 
 
味を占めた連合艦隊はミッドウェー島攻略作戦のため、
 
今度は爆撃ではなく、真珠湾の敵情偵察のため
 
第二次のK作戦を計画します。
 
 
敵はK作戦以降、2度目の空襲を恐れ警戒してました。
 
そんな折日本軍の暗号解読から、複数の日本軍潜水艦が
 
フレンチ・フリゲート環礁へ急行するのはおかしいとして、
 
同海域に何隻か向かわせました。
 
そこへ伊121・伊123が到着したのですが敵艦の哨戒が厳しく、
 
大艇との会合は無理と判断し作戦は中止となります。
 
 
本作戦が中止となった影響は、敵艦隊の動向を掴めないまま
 
ミッドウェー作戦に突入してしまったことに現れてきます。
 
 
 
 
 
 
ちなみに、K作戦を成功させた2機は3月10日
 
ミッドウェー島とジョンストン島への強行偵察に
 
出かけますが、ミッドウェー島に向かった1機は
 
残念なことに落とされてしまいました。
 
 
 
 
 
 
 
作戦計画では大艇5~6機で攻撃だったけど
 
準備できたのはわずか2機。
 
予定通りの機数で攻撃してたなら
 
もう少し戦果は上がったのでしょうか。
 
 
 
 
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