1945年1月29日、モタ33船団を襲った敵潜バーブは、終戦まで好き放題に暴れ回ってるで!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

モタ33船団8隻は、3隻の海防艦護衛の下
 
1945年1月22日門司を出港し台湾の基隆に向かいました。
 
 
29日早朝、基隆まであと3時間と言うところで
 
敵潜の雷撃を受け、陸軍徴傭船くらいど丸が沈没。
 
この時ウルフパックを形成してたのが

ピクーダとバーブです。
 
 
 
くらいど丸
 
モタ33船団を護衛した第16号海防艦
 
 
 
 
SS-220 バーブは、1942年7月8日就役後
 
暫くは大西洋で哨戒任務に当たってました。
 
 

SS-220 バーブ
 
 
 
1943年10月、バーブは東シナ海に現れ、

11月10日、タ807船団を発見し攻撃します。
 
 
1944年3月28日朝、漂流中の福成丸を
 
発見し魚雷3本発射し撃沈しました。
 

4月18日未明、スティールヘッドと合同で
 
沖大東島を砲撃。
 
 
 
 
 
 
5月31日朝、
 
次にバーブが姿を現したのは千島列島付近。

陸軍輸送船まどらす丸を雷撃し撃沈。
 
 
 
 
 
 
同日夕刻、特設運送船興東丸を撃沈。
 

6月11日昼、浮上しトロール船を砲撃し沈めました。
 
同日夜、同海域で千早丸と東天丸を撃沈します。
 
 

千早丸

東天丸
 
 
 
北上したバーブは13日に小樽に向かう

砕氷船高島丸を攻撃し撃沈しました。
 
 
 
高島丸
 
 
 
 
一度真珠湾に戻ったバーブは、

8月4日に台湾周辺海域に向かいます。
 

タニー、クイーンフィッシュとウルフパックを形成し

ミ15船団を襲い輸送船大国丸を撃沈。
 
 
 
 
 
 
9月4日、サンパンを砲撃で沈め、

16日朝、ヒ74船団を発見。
 
17日0時半頃、魚雷を6本発射。

給油船あづさ丸と空母雲鷹に
 
それぞれ2本ずつ命中し、
 
2隻とも沈めました。
 

雲鷹はあづさ丸被雷直後に
 
取り舵を切ったのですが間に合わず、
 
右舷中央と後部に被雷。
 
火災は発生しなかったけど電源を喪失。
 
しかし全力で防水作業にあたり、
 
夕刻には一段落します。
 
 
ところが波が高くなり、後部被雷個所から
 
浸水が増大し沈下が加速。
 
19:30総員退艦となりました。
 
 
残念です。
 
 
 
 
 
 
 
バーブは護衛艦の攻撃を振り切りマジュロに帰投。
 
 
バーブが次に向かったのが対馬海峡。
 
11月10日。単独で航行する
 
特設運送船護国丸を発見し撃沈します。
 
 
 
 
 
 
そこから南下し、日本輸送船団の航行進路上で待機してると、

12日未明、モマ07船団を発見し、攻撃に移ります。
 
弾薬を満載した鳴尾丸に命中。これが誘爆し轟沈。
 
 
 
 
 
 
14日朝には300トン級スクーナーを
 
発見し、浮上して砲撃で3隻を沈めました。
 
 
 
 
 
 
1945年1月1日、ウルフパックを構成した

クイーンフィッシュ。ピクーダと
 
300トン級の監視艇を攻撃。
 
 

7日、台湾北西岸でモタ30船団
 
襲い掛かり、安洋丸・辰洋丸が轟沈。
 
 
 
辰洋丸
 
安洋丸
 
 
 
22日深夜から23日早朝にかけて

モタ32船団に接近し、大恭丸を撃沈。
 
また、29日朝にはモタ33船団を襲い、

陸軍輸送船くらいど丸を沈めました。
 
 
 
 
 
 
6月21日、バーブはオホーツク海に現れます。

国後島北西海域で100トン級ラガー2隻を砲撃で沈め、
 
22日未明には北海道斜里沖で浮上し、

斜里の市街にロケット弾を12発発射。
 
潜水艦によるロケット弾攻撃はこの時が初めてでした。
 
 
 
※潜水艦搭載のロケット弾発射画像がないので、
 
ロケット弾搭載中型揚陸艦LMS-R190号を引用しました。
 
 
 
 
 
 
23日、大型トロール船を砲撃で撃沈。
 
その後樺太東海域に向かい、

7月2日朝、海豹島西岸沖で浮上。
 
約4時間にわたり艦砲射撃を行います。
 
なめられたものですね。
 

3日午前1時半頃には
 
敷香町沖からロケット弾を発射。
 
昼頃には1000トン級沿岸輸送船を撃沈。
 

5日朝亜庭湾に侵入し、

停泊中の第十一札幌丸を沈めます。
 
 
 
 
 
 
18日西能登呂岬沖で稚泊連絡船宗谷丸と
 
護衛艦を攻撃。第112号海防艦が沈没。
 
 
 
画像は同型艦の第134号海防艦
 
 
 
同海域離脱後、バーブの艦長は
 
大胆な作戦を思いつきます。

樺太東線の鉄道爆破計画です。
 

22日夜、志願部隊を上陸させ、線路に爆薬を設置。
 
150名の乗客と16両編成の列車を吹き飛ばしました。
 

24日深夜~25日未明にかけて、
 
知取町と元泊村樫保にロケット弾を発射。
 
昼頃には北知床半島の散江村を砲撃。
 

26日午後には国後島西岸の漁村を砲撃。

100トン級トロール船1隻を沈め漁村は壊滅。
 
 
 
 
 

8月2日、ミッドウェー島に帰投。
 
バーブの戦いは終わりました。
 
 
たった1隻の潜水艦に帝国海軍と国民は
 
どれだけの犠牲を強いられたことか。
 

バーブがオホーツク海に現れた頃は沖縄戦がほぼ終了し、
 
大本営は本土決戦に向け海軍に対して
 
各艦艇の温存を図るように命令してたため、
 
護衛艦艇も少なくただ犠牲を増やすのみでした。
 
 
 
国内のあらゆる備蓄が不足し、輸送船・民間船が
 
ことごとく敵の餌食になっていることも無視し、
 
敵の上陸まで許し本土決戦を唱える
 
一部上級将校の気が知れんですね。
 
 
 
 
 
 
 
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