1942年10月13日のヘンダーソン基地艦砲射撃は成功したけど、揚陸は失敗しほぼ全損!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

1942年、我軍はミッドウェーでは惨敗したものの

 

その勢いはついに赤道を超え、ニューギニア北部

 

ニューブリテン島ラバウル、そしてソロモン諸島方面まで

 

侵攻してきました。

 

 
ソロモン海域の制空権を確保できれば

 

米豪シーレーンを遮断し、豪州を孤立できます。

 

 
 

 
 
 
ラバウルの前線基地として候補に挙がったのが

 

餓島(ガダルカナル)です。

 

 
7月6日、SN作戦部隊設営隊が餓島に上陸。

 

飛行場建設が急ピッチで行われます。

 

8月5日、わずか1ヶ月で飛行場は完成。

 

8月7日、我軍の飛行場完成を待ってたかのように

 

敵大艦隊が餓島に押し寄せ

 

艦砲射撃と航空機の支援の下に

 

約1万の兵力が上陸を開始しました。

 

 
 
 
 

 

 
飛行場はあっという間に敵に占領され、

 

8月20日には護衛空母ロングアイランドの

 

F4F19機とSBD12機が到着します。

 

 

こうなると同島一帯の制空権は敵の手に。

 

 
 
 
 

 

飛行場奪還を試みた我軍は一木支隊・川口支隊と

 

相次いで上陸させ攻撃を開始しますが

 

全て撃退されてしまいました。

 

 
 

 
 

 

海軍も相当数の航空兵力と

 

空母を含む艦艇を派遣しますが
 
跳ね返されてしまいます。

 

 
 

 
 

 

餓島の残存兵力は、食料・弾薬がつき

 

瀕死の状態なので、都度輸送船や駆逐艦によって

 

物資を送り込もうとしますが、大半が阻止されます。

 

 

 

 
 
 
一方敵は、ハワイから到着する多くの物資が

 

サモア・フィジーを経由して

 

餓島に届けられ、戦力は益々充実していきます。

 

 
 

 
 

 

 

そこで戦艦の主砲を持ってヘンダーソン飛行場を破壊し

 

“鬼のいぬ間に洗濯”やないけど、敵機が飛ばぬ間に

 

物資を揚陸しようと考えました。

 

 

 

第1回は、10月11日深夜に

 

第六戦隊の青葉・衣笠・古鷹で砲撃予定で出撃してけど、
 
この艦隊行動は敵の知るところとなり、

 

待ち伏せを受け、古鷹が沈み

 

青葉大破その他の艦艇も被害を受け

 

作戦は失敗。

 

 

 

 

 

 

第2回は戦艦金剛・榛名

 

 
 

 
 
 

他に軽巡・駆逐艦9を引き連れての大艦隊です。

 

司令官は後に超有名になる栗田健男中将。

 
 
第1回は失敗してるだけに、今回は是非とも
 
砲撃せねば!

 

 
トラックを出撃した艦隊は、13日22時半ごろ
 
餓島に接近しエスペランス岬の友軍によるかがり火を確認。

 

23時半頃、予定地点に到達し砲撃開始。

 

 

 
 
 

 

 
 
三式弾・零式弾・一式徹甲弾
 
約千発を飛行場に撃ち込みました。

 

 
14日、01時頃砲撃を終了し離脱します。

 

 

 

 
 
 
サボ島沖海戦から生還した重巡衣笠は鳥海らとともに
 
輸送船団の護衛として再び餓島を目指し、14日夜
 
衣笠・鳥海は飛行場に対し主砲弾752発を発射。

 

 
さぁこれで一安心!と輸送部隊
 
軽巡川内・由良・龍田と駆逐艦朝雲・白雪・暁・雷は
 
タサファロング岬で一斉に揚陸開始。
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
艦隊は無事帰投したので、次いで輸送船6と護衛の駆逐艦
 
秋月・村雨・五月雨・夕立・春雨・時雨・白露・有明も

 

タサファロング泊地を目指します。

 

 
そして無事到着し揚陸を開始すると
 
いったいどこから現れたのか、敵機が襲来!
 
 
 
 
 

 

 
 
輸送船笹子丸・九州丸・吾妻山丸がやられてしもた!

 

 
 
 
 
 
 
 

 

敵は我軍が作った飛行場の他に
 
第二滑走路を既に完成させていました。
 
情報収集を怠ったせいで
 
そうとは知らずに襲撃部隊は
 
第一滑走路にのみ砲撃を加えていたのです。
 
 

 

 
 
 
多大な犠牲を払いながらも揚陸は成功したかに見えました。
 
しかし餓島の守備隊には物資を内陸部に輸送する貨物車等が
 
ほとんどなく、海岸沿いに集積してた物資は
 
夜明けとともに敵の艦砲と空襲とによって
 
ほとんど破壊されてしまいます。
 
 
 
今や友軍の輸送力は敵の1/10以下。
 
この後、餓島守備隊の戦いは飢餓と伝染病であり
 
敵との戦闘どころではなくなります。
 
 
 
軍上層部は変な意地を張らずこの時点で
 
目覚めるべきでした。
 
日本海軍潜水艦部隊は敵空母を狙うのではなく
 
ウルフパックを形成し、餓島後方のシーレーンに展開し
 
輸送力の遮断を図り、その間に墓島辺りまで後退し
 
防備の強化を図るべきでした。
 
 
山本長官がご存命ならば
 
どのような策を講じたでしょう。
 
 
 
 
いつも御訪問戴きありがとうございます
ブログ村ランキングへの入口を
ここにも設けてみました
よろしければ応援のほどお願いいたします