1943年9月28日、コロンバンガラ島からの第一次撤収作戦を実施、撤収に成功!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

1943年2月初旬の餓島撤退後、

 

我軍はニュージョージア諸島を防衛線に定めます。

 

 

 

 

 

 

餓島攻防戦において、ラバウルー餓島は

 

あの大航続距離を誇る零戦においても

 

片道約1040km、往復6時間もかかり

 

餓島上空での滞在時間はわずか十数分しか

 

取れないほどの距離です。

 

そこで海軍航空隊は中部ソロモンの各島に

 

中継となる飛行基地建設の乗り出していました。

 

 

1942年8月ブカ島、

 

10月ブーゲンビル島のブイン、

 

12月中旬ニュージョージア島ムンダ、

 

12月下旬ショートランド諸島バラレ島に

 

それぞれ飛行場が完成。

 

 

 

 

 

 

餓島を制した敵は西進するにあたり

 

この飛行基地の奪取を目指しました。

 

 

我軍はニュージョージア諸島の増援を図り

 

防備を強化しますが、敵の空襲により

 

輸送船は次々と沈められ、食糧難に直面します。

 

 

 

 

 

 

敵はまずムンダ飛行場の占領を目指し、

 

1943年6月30日早朝、レンドバ島に5000名の部隊が上陸。

 

 

 

 

 

 

7月4日深夜、敵は砲爆撃の後ニュージョージア島西部

 

南岸ザナナに3000名が上陸。

 

8月6日、ムンダ飛行場を占領。

 

 

 

ムンダ飛行場

 

 

 

7月12日-13日に行われたコロンバンガラ島沖海戦に

 

多少の犠牲を出したものの勝利し、輸送任務を成功させた後

 

コロンバンガラ島への鼠輸送は続けられていました。

 

そしてここから蟻輸送でニュージョージア島へ増援兵力を

 

送り込んでいます。

 

 

 

 

 

 

ところが、ラバウルの航空兵力は被害の増大に伴い

 

枯渇しつつあります。

 

航空支援のないまま輸送部隊をコロンバンガラ島へ

 

向かわせますが、案の定ボコボコにいわされ失敗します。

 

 

それでもコロンバンガラ島の兵力は1万以上に達し、

 

敵はここを占領するには犠牲が大きすぎるとして

 

8月15日、西のベララベラ島に上陸してきます。

 

 

これによりブインですら敵の脅威にさらされるようになり

 

9月15日、陸海軍司令部はコロンバンガラ島と

 

ニュージョージア島の放棄を決定します。

 

 

この決定の前にニュージョージア島守備隊が

 

8月30日までにコロンバンガラ島に撤退。

 

その後早急にコロンバンガラ島からの撤退作戦

 

『セ号作戦』を立案します。

 

 

コロンバンガラ島にはニュージョージア島を

 

はじめとする各地区の守備隊が集結し

 

その数12000名に達しています。

 

ラバウルの外南洋部隊機動舟艇部隊が

 

セ号作戦を実行します。

 

大型輸送船を投入すると、

 

一度に大量の兵員を輸送できますが、

 

鈍足で敵のレーダーに発見されやすいことから、

 

駆逐艦12隻と大発・艦載水雷艇・魚雷艇数十隻を

 

使用し、チョイセル島を経由して

 

ブーゲンビル島に引き上げる作戦です。

 

 

 

 

 

 

 

27日1900、チョイセル島の機動舟艇部隊は

 

コロンバンガラ島に向け出発。

 

28日0200、外南洋部隊・襲撃部隊がラバウルを出撃。

 

途中敵魚雷艇の襲撃を受け、数隻に犠牲を出すも

 

無事に輸送任務を終えています。

 

 

10月2日、第二次撤収作戦が実施され、

 

敵艦隊と遭遇し砲撃戦を展開し

 

駆逐艦水無月が被弾して小破するも

 

計12000名の将兵を脱出させることに成功しました。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、本作戦実行前に

 

敵はラバウルへの侵攻は行わず、

 

包囲網を敷き無力化する方針を固めています。

 

コロンバンガラ島のように頑強な抵抗にあいそうなとこは

 

飛ばして進む兵糧攻めの策に出るようですね。

 

 

 

 

 

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