第13号・第47号海防艦は、終戦の前日に敵潜の雷撃でやられてもた!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

米海軍潜水艦、SS-423トースクは
 
テンチ級潜水艦で1944年12月16日
 
に就役しています。
 
 
 
画像は同型艦のアルゴノート
 
 
 
トースクの最初の任務は、紀伊水道沖から東北沖での哨戒です。
 
6月2日、下北半島沖で小型沿岸機雷敷設艦を発見。
 
6本の魚雷を放つも全て回避されてしまいます。
 
 
4日には岩手県沿岸沿いで700トン級輸送船に
 
4本の魚雷を発射するもこれもハズレ。
 
一旦ミッドウェー島に引き上げます。
 
 
2回目の哨戒では8月12日朝、
 
隠岐諸島島後島沖で小型輸送船を撃沈。
 
13日、福井県三国沖で輸送船快豊丸を撃沈。
 
同日夜輸送船団を攻撃するも命中せず。
 
 
14日朝、兵庫県沖で輸送船を発見。
 
第47号海防艦が随伴しています。
 
 
 
 
 
 
半島の元山に集結中の船団護衛の為、
 
第13号海防艦との合流地点へ向け
 
航行のところをトースクに見つかってしまいました。
 
輸送船と第47号海防艦が香住港に接近したところを
 
トースクは新兵器の誘導魚雷を発射。
 
第47号海防艦の艦尾に命中し、間もなく沈没。
 
 
 
参考画像デス
 
 
 
それから約1時間後に今度は輸送船と
 
第47号海防艦に合流すべく
 
第13号海防艦が現れます。
 
 
 
 
 
 
海面に第47号海防艦の浮遊物や生存者が
 
浮かんでるのを見つけ、警戒警報を発令。
 
トースクの魚雷を2度回避した
 
第13号海防艦ですが、
 
トースクは深度を深く取った後
 
3度目は誘導魚雷を発射。
 
内2本が第13号海防艦に命中。
 
わずかの間に第13号海防艦は沈みました。
 
 
 
 
 
 
この後哨戒機や他の哨戒艇が
 
駆け付け、対潜攻撃を行いますが
 
トースクは上手く逃げ切り、
 
東の方へ去って行きました。
 
それから約24時間後
 
トースクに終戦の報告が入り、
 
グアムへと引き上げます。
 
 
 
 
 
 
24時間後には戦争は終わったのに、
 
ここでの戦闘には
 
いったい何の意味があったのでしょうか。
 
ここで戦死された方々は死んでも死にきれない
 
気持ちでいっぱいでしょう。
 
残念でなりません…。
 
 
 
1977年に香住青年会議所が
香住青年会議所が「当時の悲惨な戦争を次代に伝えていこう」と住民に呼びかけ、77年に慰霊碑を建立
香住青年会議所が「当時の悲惨な戦争を次代に伝えていこう」と住民に呼びかけ、77年に慰霊碑を建立
香住青年会議所が「当時の悲惨な戦争を次代に伝えていこう」と住民に呼びかけ、77年に慰霊碑を建立
 
香住青年会議所が「当時の悲惨な戦争を次代に伝えていこう」と住民に呼びかけ、77年に慰霊碑を建立
「当時の戦争の悲惨さを次代に伝えよう」と
 
住民に呼びかけ、僚艦の沈没位置が見える
 
岡見公園に慰霊碑を建立しました。
 
以来毎年8月に慰霊祭が開催されています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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