⑥明石城
●1970年代より数回訪問
所在地は兵庫県明石市明石公園。
別名、喜春城(きはるじょう、きしゅんじょう)、
錦江城(きんこうじょう)
1617年小笠原忠真が
信州松本城主より明石藩主となり、
同年に2代将軍徳川秀忠より
築城命令された。
本丸に天守閣は造られず、
城の四隅に三重の櫓が置かれた。
現在は明石公園として整備され、
近隣には高校野球兵庫県予選で
使用される明石球場や、
東経135度日本標準時子午線の
真上に建つ天文学をテーマとする
明石市立天文科学館などがあり、
またたこ焼きとは一風変わった、
ダシにつけて食する
「明石焼き(玉子焼き)」の店が多数ある。
その明石焼きだが、
その明石焼きだが、
播磨地方ではソースを塗ってから
ダシにつけて食べるのだが、
明石方面ではソースは塗らないらしい。
どちらが美味いかは個人の判断のようです。
⑦龍野城
●1970年代より2~3回訪問
龍野城は関ヶ原の戦いより
さかのぼる事約100年、
播磨地方の豪族赤松村秀が
鶏籠山に築いたのが始まりと
されている。
江戸時代初頭は姫路藩池田氏の
領有する地であったが、
1617年池田利隆没後、
嗣子の幸隆(後の光政)は幼少のため
西国へにらみを効かすには
不十分と鳥取藩に転封となった。
これにより播磨の地は数藩に
分割され龍野藩が誕生した。
幕末期、鳥羽・伏見の戦いにおいて
姫路城主酒井忠惇は老中として
幕府方に属し将軍徳川慶喜に同行したため、
姫路藩も朝敵とされ姫路城は岡山藩と
龍野藩を主体とする新政府軍の
兵1500人に包囲された。
この時、新政府軍を率いていたのが
輝政の子孫・池田茂政だったとは
あまりにも皮肉と言える。
龍野は童謡、
♪夕焼け小焼けの赤とんぼ…の、
三木露風で有名
また手延素麺「揖保乃糸」や
うすくち醤油の「ヒガシマル醤油」などの
産地で当家においても
よく使わせていただいております。
春には“龍野さくら祭”が催され、
その中のイベントの一つに
地元小学生を含む総勢約300人参加の
“龍野武者行列”が行われている。
⑧赤穂城
●1970年代からしばしば
1480年頃、岡光広が加里屋城を築城
1600年、池田輝政の弟・長政が
赤穂領主となり大鷹城を築城
1645年、浅野長直が藩主となる
赤穂は「忠臣蔵」で有名な地。
江戸城松の廊下で吉良上野介に
刃傷に及んだ浅野内匠頭は
三代目に当たる。
「忠臣蔵」とは先に述べた刃傷事件と、
家臣の大石内蔵助以下赤穂浪士47名が
1703年12月14日深夜に吉良邸に討ち入り、
上野介を家人や警護の者もろとも殺害した、
この一連の事件の総称。
現在TVや映画などで表現されるストーリーは、
討入りから45年後の1748年人形浄瑠璃
『仮名手本忠臣蔵』が初演され、
翌年には歌舞伎として上演された際に
着色されたものが定着している。
(例:討ち入り当日雪は降っておらず
月が出ていたらしい。
またあのような衣装も着用はしていなかった)
大石内蔵助らが幕府の沙汰に従い
赤穂城開城した時の収城使は、
先程ご紹介した龍野城城主
(播磨龍野藩の第2代藩主)
脇坂淡路守安照率いる
4500余りの龍野藩兵であった。
龍野藩ってまるで歴史の“助演男優賞”
のような存在っだったのね。
赤穂には他に討ち入りをした
大石内蔵助ら赤穂義士を祀る神社
「大石神社」があるし、銘菓「塩味饅頭」
内匠頭時代から有名な「赤穂の塩」
海岸沿いには“赤穂温泉”等があり、
赤穂岬から望む夕焼けの
瀬戸内海はとても美しい。
悠久の時の流れを感じながら
歴史に想いを馳せるには
持って来いの場所と言えるでしょう。
お城の説明は二の次でした、
お城の説明は二の次でした、
あしからず。
⑨篠山城
●1980年代より10回程度
兵庫県篠山市北新町にある近世城郭
関ヶ原の戦い後、大坂城には
未だ豊臣秀頼が健在で、
なおかつ西日本を中心に豊臣恩顧の
諸大名がその勢力を温存しており、
徳川家による支配は甚だ危ういものでした。
そのため家康は大坂城の秀頼に
睨みを利かせつつ、大坂城と
西日本の諸大名を分断する目的で、
山陰道の要所である丹波に
新城の建設を計画します。
それが『丹波篠山城』です。
築城に際しては池田輝政・藤堂高虎・
福島正則ら層々たるメンバーで
家康がいかにこの地を
重要視したかの証明となります。
城虎口(こぐち:城の入り口のこと)は
枡形虎口、しかも二重になっており、
実に堅固な守りとなっています。
天守台の石垣には、○や◇の刻印が
記されている石が見られますが、
これは普請に駆り出された大名家が、
自ら切り出してきた石を判別できるように
つけた目印であると言われています。
平成12年には古い写真や
平成12年には古い写真や
二条城二の丸御殿の構造を参考にして
大書院が復元されています。
丹波篠山は何といっても
“ボタン鍋”が美味い!
またここから北東に京都府との県境には、
山の中なのに塩の温泉が湧く
“草山温泉”ちゅう珍しい温泉がありまして、
冬場雪を掻き分け掻き分け
何度も塩の湯につかりに行きました。
(狸や狐にバカされたわけじゃあなかったですヨ)
画像は全館リニューアル後の露天風呂
大谷にしき荘
⑩利神城
●1980年代より2~3回訪問
因幡街道の宿場町として栄えた
平福宿の北東に位置します。
利神山山上にある連郭式の山城。
14世紀半ばに赤松氏一族によって築城。
羽柴秀吉の中国攻めの際、城主は恭順。
関ヶ原の戦いの後、
池田由之が入城し宿場町を整備。
1631年廃城。
2015年度から石垣の修復や
城址の整備が開始されたが、
それまで荒れ放題で
石垣の崩落なども見られ、
修復にはかなりの時間を
要すると思われます。
現在見学には制限があります。
兵庫編は以上です。
次回は大阪方面を見てみましょう。