1943年6月16日のルンガ沖航空戦での、戦果誤認がこの後の戦局に暗い影を落としてしまう!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

1943年2月の餓島撤退以降、

 
ソロモン諸島西方の防備強化に着手します。
 
着手と言っても名ばかりで、
 
遅々として進んでないのが現実でした。
 
 
それに対し敵は、餓島方面に続々と
 
物資を送り込み軍備の増強を図っています。
 
それらを駆使し近いうちに
 
西に攻め込んでくるのは明白です。
 
 
 
 
 
 
陸軍は餓島から撤退し、
 
ここまでの戦いで消耗したラバウルの各航空隊は
 
5月に入りようやく態勢を立て直しつつあります。
 
この新戦力を持って今の内餓島周辺の
 
敵艦船を叩かねばなりません。
 
 
 
 
 
 
しかし2月にラッセル諸島を占領し
 
飛行場を設営した敵は、
 
最前線基地のムンダへ執拗な攻撃を加え
 
中部ソロモンの制空権を奪いつつあります。
 
 
 
 
 
 
中部ソロモン以西の防備強化を推進するため、
 
ラバウルの南東方面艦隊司令部は
 
餓島方面敵艦船攻撃を実施します。
 
 
ムンダをはじめとする
 
ブーゲンビル島のブイン、ブカの
 
航空基地はあくまで前線基地的要素が大きく、
 
ラバウルのような拡充はされてません。
 
 
 
ムンダ飛行場
 
 
 
そこへ251空、204空の零戦隊が進出し、
 
6月1日、5日とサンタイザベル島の
 
レカタへの輸送警戒に当たります。
 
レカタには海軍が水上機部隊が常駐しています。
 
 
 
 
1943年8月に攻撃を受けたレカタの水上機基地
 
現在のスアバナオ(旧レカタ)の飛行場
当時の弾痕(クレーター)が画像右下に今でも残ってます
 
 
 
6日朝、百式司偵がルンガ泊地、
 
ツラギを偵察し、敵艦艇多数を報告。
 
これを受け第一基地航空部隊司令は
 
6日、第一時ソ作戦を発令。
 
7日早朝、ブイン、ブカの零戦隊
 
約80機が餓島方面に向け出撃。
 
 
 
 
 
 
 
ラッセル諸島上空で敵戦闘機数十機と遭遇。
 
乱戦になります。
 
帰投後戦闘報告で敵戦闘機40機撃墜を報告。
 
実際は7機撃墜でしたが、味方未帰還機は9機。
 
 
 
 
 
 
12日、第二次ソ作戦が実施。
 
77機の零戦隊が出撃し、
 
今回もラッセル諸島上空で敵戦闘機と交戦。
 
 
帰投後敵戦闘機32機撃墜を報告。
 
実際は6機撃墜するも内4名の搭乗員が生還。
 
味方損害は7機。
 
 
 
 
 
 
その後の偵察機の報告では敵の艦艇健在、
 
かつ多数なりとのことです。
 
 
敵戦闘機を70機以上落としたとの判断から、
 
戦爆連合による敵艦船攻撃、
 
敵機撃滅を目的とするセ作戦が発令。
 
 
13日~15日に705空の陸攻が餓島を夜間爆撃。
 
16日に艦爆隊24機に直援隊70機が随行し出撃。
 
 
昼頃ルンガ泊地上空に達し
 
直援隊が敵戦闘機と交戦してる間に
 
艦爆隊は敵艦船群に突入。
 
輸送船1隻擱座、LST1隻大破
 
戦闘機6機撃墜の戦果を挙げるも
 
零戦15、艦爆13機未帰還。
 
零戦3機大破の損害を出します。
 
 
 
ここでも海軍得意の戦果誤認からセ作戦が発令され、
 
結果零戦隊・艦爆隊に大きな損害が出てしまいました。
 
特に艦爆隊の損耗率は50%以上にも上ります。
 
 
 
 
 
 
攻撃終了後の研究会から敵戦闘機の性能向上が認められ
 
九九艦爆使用では損害を止められないとの
 
意見が出されたのですが、
 
かと言ってすぐに彗星や銀河が配備されるはずもなく、
 
当面は戦闘機隊が迎撃機を引きつけ、
 
敵機が基地に帰投直後に
 
艦爆隊が突入する策しか
 
運用に保証できないとしています。
 
 
敵機の損失は攻撃隊の損失より遥かに少なく、
 
また補充も迅速であるのに対し
 
友軍では現状で踏ん張るしかなく
 
ここで明らかに日米の
 
工業力の差が現れてきてます。
 
 
 
 
 
 
 
開戦以来の熟練搭乗員の損失も大きく、
 
ここで思い切ってラバウルまで後退し
 
戦力の充実を最優先する決断をすべきでしたね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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