毎年9月23日に呉海軍墓地合同追悼式が挙行されます!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

長迫公園は、旧海軍墓地のことで

 
明治23年に戦没などによる
 
海軍軍人などの埋葬地として開設、
 
昭和61年に国から市に無償で譲与されました。
 
 
 
この墓地には、合祀碑は
 
大東亜戦争以前のものが11基、
 
大東亜戦争関連のものが80基、
 
合計91基。
 
 
13万3千余柱の英霊が眠っています。
 
合祀碑の他に、
 
明治23年~昭和20年にかけて
 
建立された157基の個人墓碑、
 
さらに明治40年建立の
 
英国海軍水兵の墓碑1基があります。
 
 
 
 
 
 
 
また、映画「男たちの大和/YAMATO」の
 
撮影が行われた場所としても有名です。
 
 
 
  
 
 
 
ここで毎年9月23日(秋分の日)に
 
『呉海軍墓地合同追悼式』
 
が行われています。
 
今年で52回目を数えます。
 
 
 
日時 令和4年9月23日(金) 10時30分~
 
遺族の高齢化で年々出席者が
 
少なくなる式典ではありますが、
 
それでも毎年千名近い方が
 
参加されています。
 
 
式典の主催は
 
『呉海軍墓地顕彰保存会』。
 
海上自衛隊からは、呉総監部の
 
司令以下幹部と隊員が参加。
 
音楽隊による国家演奏・国旗掲揚ののち、
 
市長や地元の小学生などが
 
追悼の言葉を述べられます。
 
また海自儀丈隊による弔銃発射もあり、
 
式は厳かに執り行われます。
 
 
 
 
 
 
 
この公園へは、
 
1971年・1984年・2005年・2019年・2020年
 
の五回訪れています。
 
 
一回目は小6の夏休みにおじいと一緒に。
 
 
二回目はバイクで夜中ひたすら国道を走り、
 
到着した時にはめっちゃ
 
眠たかった記憶があります。
 
 
二回目はこの年開館した
 
『大和ミュージアム』へ
 
行く途中に寄りました。
 
 
この公園は、画像に見られるように
 
丘陵地帯の一角にあります。
 
これでは高齢者に「登れ!」と
 
言うのも酷な話であって、
 
私自身も、もしも再びここを訪れたとしても
 
もう上れないでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
先程も述べたとおり、
 
合同慰霊祭は秋分の日に行われますが、
 
それぞれの慰霊碑の慰霊祭は
 
一年を通じ各戸で行われてるようです。
 
しかし関係者の高齢が加速し、
 
訪れる人は年々少なくなっています。
 
あの戦艦大和の慰霊碑もあるので、
 
一般者の来訪はそこそこにあるのですが、
 
中には訪れる人が途絶えがちに
 
なってしまった碑もあるんですね。
 
 
 
戦艦大和戦死者之碑
 
 
 
しかし公園の清掃は、
 
地元小中学生や海自隊員の皆さんによって
 
定期的に行われていますので、
 
公園としてはきれいに保ってあります。
 
 
 
私はおじいに頼み込んで小6の夏休みに
 
初めてここに連れて来てもらいました。
 
当家のおじいは、
 
生前ここへ幾度となく訪れていたようです。
 
 
戦友の艦の碑でもあったのでしょうか……。
 
潜水艦の慰霊碑だけでも
 
 
 
◎呉鎮守府潜水艦戦没者之碑
 
◎伊号第八潜水艦之碑
 
◎伊号第十一潜水艦之碑
 
◎伊二九潜戦没者慰霊碑
 
◎伊号第122潜水艦戦没者慰霊碑
 
◎伊三六三潜殉職者之碑
 
◎呂号第百四潜水艦之碑
 
 
 
等があり、
 
画像の『伊三六三潜殉職者之碑』の潜望鏡は、
 
宮崎市住吉沖に沈んでいた艦を引き上げた際、
 
譲りうけた実際の潜望鏡です。
 
 
 
伊三六三潜水艦
 
1943年12月12日、呉海軍工廠にて進水。
 
しばらくは中部太平洋方面の輸送任務に従事。
 
1945年5月以降、
 
パラオ・沖縄方面にて回天戦を展開。
 
終戦を呉で迎える。
 
10月29日 呉から佐世保へ回航の途中、
 
宮崎県沖で触雷沈没。
 
艦長以下35名死亡、10名が救助。
 
 
 
 
 
 
 
 
これらの中に祖父の直接なる戦友でもいたのかなぁ……。
 
祖父はここを訪れ、何を想い何を感じたのでしょう……。
 
 
 
 
 
 
 
もはや祖父の代行として、
 
ここを訪れることも出来なくなってしもたショボーン
 
今日は西に向かいお願いすることにしよう。
 
 
 
 
 
 
 
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