2018年7月30日、海自イージスの“まや”が進水したゾ!!重巡摩耶も喜んでくれるやろか!?の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

7月30日午後、横浜の造船所で、
 
海自イージス艦の進水・命名式が行われ、
 
小野寺防衛大臣によって、“まや”と命名されました。
 
 
 
 
 
 
就役は2020年。
 
イージスBMD5・1が搭載され、
 
弾道ミサイル防御が一段と向上します。
 
簡単に言えば自艦の対空ミサイルを
 
撃ち尽くした場合とか他のイージスが
 
迎撃態勢の死角に入ってる場合
 
まやが他のイージスにデータリンクし
 
迎撃誘導できるもの。
 
 
 
 
 
 
ところで、今回の命名の元となったのが、
 
1888年1月に就役し、
 
旅順攻略作戦等に参加し
 
1908年5月に退役した初代の砲艦摩耶。
 
 
 
 
 
 
高雄型の4番艦で1932年6月就役、
 
1944年10月栗田艦隊として
 
レイテを目指し、ブルネイを出港して
 
間もなく、敵潜デイスの雷撃で
 
沈んだ重巡摩耶がありました。
 
 
 
 
 
 
摩耶は開戦前台湾・馬公泊地に
 
停泊していました。
 
開戦後はマレー作戦、フィリピン攻略に参加。
 
 
1942年3月2日夕刻、嵐、野分と共同で
 
英駆逐艦ストロングホールドを撃沈。
 
 
 
アドミラルティS級駆逐艦
 
 
 
6月、アリューシャン列島侵攻作戦に参加。
 
8月、餓島方面に進出。
 
10月15日と11月13日、
 
ヘンダーソン基地を艦砲射撃。
 
 
 
参考画像(画像は鳥海)
 
 
 
その後摩耶は北方からの脅威に
 
対応すべく再びアリューシャン方面へ。
 
 
ここで我軍のアッツ島方面への輸送を
 
阻止しようとする敵艦隊と交戦。
 
 
摩耶はあり得ないミスを連発し
 
主砲弾904発、魚雷8本を
 
消耗したにもかかわらず、
 
敵艦を取り逃がしてしまい輸送任務も失敗。
 
 
 
重巡ソルトレイクシティ
 
 
 
一度内地に戻った摩耶は
 
9月再び南方に向け出港。
 
 
摩耶がラバウルに入港した直後
 
敵は墓島・タロキナに上陸した
 
との一報が入ります。
 
 
連合艦隊は一航戦を投入し敵に痛打を与えた後
 
栗田中将率いる第四戦隊、
 
西村祥治少将率いる第七戦隊等で遊撃部隊を編成し
 
突入させる作戦を計画。
 
 
その作戦準備中にハルゼーが先に動きます。
 
第38任務部隊をラバウル南方海域に進出させ
 
稼働機約100機でラバウルの空襲を試みました。
 
 
 
 
 
 
この空襲でシンプソン湾内の
 
9隻の巡洋艦、駆逐艦が被弾損傷しました。
 
摩耶はカタパルト付近に被弾、
 
左舷機関室で火災が発生したけど消火に成功。
 
しかし戦死70名、負傷者60名の犠牲を出しています。
 
トラックで応急修理の後
 
内地にて対空兵装強化への換装を図り、
 
リンガ泊地に進出。
 
 
1944年10月、第四戦隊はレイテ沖海戦に参加。
 
栗田中将は愛宕を旗艦として
 
第一遊撃部隊を率いて22日朝、ブルネイを出港。
 
 
ところがところが、
 
23日午前6時30分頃、パラワン水道にて
 
愛宕は敵潜ダーターの雷撃で愛宕が轟沈。
 
高雄も航行不能。
 
ダーターとウルフパックを形成してる
 
デイスが摩耶に対し雷撃をおこないます。
 
摩耶の左舷に魚雷4本が命中。
 
被弾後左舷に傾斜しわずか10分で沈没。
 
大江艦長以下336名が戦死。
 
 
 
デイスはガトー級の35番艦
 
 
 
また、駆逐艦秋霜によって救助され武蔵に移乗した
 
乗組員117名が武蔵沈没と共に戦死。
 
 
 
 
 
 
六甲山は兵庫県南東部、神戸市の市街地の
 
西から北にかけて位置する山々の総称。
 
 
 
 
 
 
六甲山に登るには、
 
交通機関ではケーブルカー
 
(六甲ケーブル・摩耶ケーブル)、
 
六甲有馬ロープウェイなどがあり、
 
車では有料道路を含め数多くの道路が
 
東西南北走っています。
 
(コロナ発生以降の運行状況は不明)
 
 
冬場神戸側から車で登ると、
 
勾配が急でけっこうクネクネしてるので、
 
スリップの恐れがあるから私はいつも西側から
 
六甲山系を縦走するルートを選んでいます。
 
(このコースは勾配もわりと緩やかなんでね)
 
 
 
 
 
 
 
六甲山系のひとつ、
 
摩耶山上にある国民宿舎オテル・ド・摩耶を
 
良く利用します。
 
神戸市街地からだと車で30分。
 
山上の美味しい空気と素材を生かした
 
イタリア料理が身も心も癒してくれる。
 
標高およそ700mから望む神戸の夜景は絶景。
 
 
水着着用で露天ジャグジーとサウナを利用できます。
 
ここから大阪方面の夜景はすばらしい!
 
西側は木々で景色がケラれるけどね。
 
けど、秋以降はメッチャ寒いねん。
 
一度浸かるとなかなかジャグジーから出られへん。
 
 
 
 
 
 
 
温泉地の露天風呂とは違うので、
 
なかなか体の芯まで温まらず、
 
ジャグジー横の脱衣場で着替えてるうちに
 
湯冷めしそうになってまう。
 
建物まで約20m階段を下りて、
 
飛んで内湯に入りなおし。
 
 
この季節は夏休みと言うこともあって、
 
家族連れでの利用が多いようです。
 
 
 
 
 
 
オテル・ド・摩耶のすぐ近くの天上寺参道には、
 
軍艦摩耶之碑が建立されています。
 
 
 
 
 
 
摩耶の戦績を見ても分かるように、
 
北はアリューシャン南はガダルカナルと、
 
太平洋を縦横無尽に駆け回った生涯でした。
 
これだけの活躍を見せてくれたのですから、
 
できることならば
 
レイテ突入させてやりたかったですね。

 
 
高雄型の姉妹艦4隻のうち3隻が
 
パラワン水道付近で被害を受けました。
 
愛宕と摩耶が沈没。高雄が大破。
 
かろうじて被害を免れた鳥海は
 
翌々日のサマール沖海戦で
 
アメリカ艦隊と交戦後沈没し、
 
同型艦3艦がフィリピンの海底に眠っています。
 
 
 
 
 
 
ちなみに摩耶は、
 
火垂るの墓の清太の父親が艦長
 
を務めていた艦でもあります。
 
 
 現在の我が国の空と海を護る海上自衛隊期待の
 
最新鋭イージス艦にまやの名がついたことは
 
摩耶とその乗員の皆さんは
 
喜んでくれるでしょうか。
 
 
 
 
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