1945年6月22日、“紫電”“紫電改”を製造してた川西航空機姫路製作所が、空襲により消失!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

川西航空機は、九四式水上偵察機・九七式飛行艇・

 
二式飛行艇・強風等、主に水上機・
 
飛行艇を製造していました。
 
水上戦闘機強風から派生した局地戦闘機紫電・
 
紫電改の製造を、
 
川西航空機姫路製作所が受け持っており、
 
紫電486機、紫電改44機が組み立てられました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1945年6月22日午前9時50分ごろ、
 
B29爆撃機(7機編隊)が来襲。
 
連続7回の波状攻撃で播但線京口駅東にあった
 
川西航空機姫路製作所を中心に爆撃を受けました。
 
工場に動員で働きに来ていた中学生や近隣の住民から
 
死亡者341人、罹災者10220人が出ました。
 
 
 
 
 
 
 
京口駅前に、この空襲を伝える碑が
 
ひっそりとたたずんでいます。
 
 
 
 
 
 
 
 
その後姫路は、7月3日深夜から
 
翌未明にかけて大空襲に見舞われることになります。
 
 
 
 
 
 
 
 
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