川西航空機は、九四式水上偵察機・九七式飛行艇・
二式飛行艇・強風等、主に水上機・
飛行艇を製造していました。
水上戦闘機強風から派生した局地戦闘機紫電・
紫電改の製造を、
川西航空機姫路製作所が受け持っており、
紫電486機、紫電改44機が組み立てられました。
1945年6月22日午前9時50分ごろ、
B29爆撃機(7機編隊)が来襲。
連続7回の波状攻撃で播但線京口駅東にあった
川西航空機姫路製作所を中心に爆撃を受けました。
工場に動員で働きに来ていた中学生や近隣の住民から
死亡者341人、罹災者10220人が出ました。
京口駅前に、この空襲を伝える碑が
ひっそりとたたずんでいます。
その後姫路は、7月3日深夜から
翌未明にかけて大空襲に見舞われることになります。