価値観を見直す(これって霊体験? その落とし穴?Ⅰ)

 

二十四節気の処暑も過ぎ8月も終わりに近づいています

 

小中学校の生徒さんが通学しているのを見ました、夏休みももう終わりなんだなあ

 

しかし暑いですね、「気象庁も今年の暑さは異常です」ととうとう言いましたね

 

ところで「おそ松くん」の「イヤミ」さんも叫んでます「暑いざんしょ!」と

 

そんなこんなで今回のお話です

 

まず守護尊和讃から

 

こころはコロコロ変わりゆき 癖ある向きに流転(るてん)して運命さえも左右する 

 

牧牛(ぼくぎゅう)得牛(とくぎゅう)心して 菩提心(ぼだいしん)の定(じょう)を得よ

 

 

では今回は霊体験の続きです

 

近くのお地蔵さんが私に降りて来られて「我が守りに入る」との

 

言葉を下さってから私たちの霊降ろしの時代に入っていった訳です

 

人の身体を借りて霊体(境涯の上の霊体)が話をする事を口曰(こうはく)と言います

 

そして土地柄や流派によって違うと思いますが、霊降ろしする私の身体を

 

「お台」と言って、お台を使うと表現していたのです

 

当時、霊媒師の先生は霊感がありそうな人に経文を掛けてお台としていました

 

何人かそんな人がいたのを覚えています

 

霊力のあるその先生の立ち合いの下で先生がお台を使って霊降ろしをするのが

 

本来の道筋であり、お台にとってもまだ安全安心な修行法でした

 

しかし、私は初めから霊体がいきなり降りてきて霊的動作をしたりしていました

 

お地蔵さんの守るぞと言われてからは比較的安定はしてきたように思えました

 

迷える霊体が降りてくるとお地蔵さんにこの霊体がどのようにすれば

 

楽になって離れていってくれるのか、をお聞きしてご供養したりしていました

 

そんな噂が近隣に広まり困っている方の相談を受けるようになったのです

 

今思えば若気の至りで無謀極まりないことをしたものだ、と思います

 

しかし、お地蔵さんのありがたさと、困っていた人の悩みが

 

解決して帰る時の笑顔が嬉しくて霊おろしをしていたのを思い出しました

 

しかし、危険なことは数えきれないほどありました。

 

少し寂しいとか、悲しいとかの霊位であれば、お経(例えば般若心経等一般的なもの)

 

を唱えてあげれば楽になりお礼を言って去っていくのです

 

亡くなったその人の話し方や言葉使い、また声までも似ている時があるのです

 

 

しかし、思い残しが多く恨みに満ちている霊位(自殺や事故死)となると

 

なかなか楽にはならず長時間に及ぶこともありました。

 

ただ黙ったまま無言で一点を見つめて睨みつけているのです

 

5分経っても10分経ってもそのままで審神者(妻)が何を言っても聞かないのです

 

二人とも体力も気力も無くなりくたくたになったこともしばしばでした。

 

その後で私はもちろん食事は喉を通らないので、身体を元に戻して調えてからです。

 

普通に運動しての筋力の疲れ方とは丸で違う、言葉では表せないしんどさです、

 

これは命を削っているのかなと何度も思いました

 

しかし、お地蔵さんが降りて来られる時は背筋はピンと伸び

 

穏やかで落ち着いた声で言葉がでてくるのです、不思議な感覚でした

 

迷える(霊位)仏さんだけではありませんでした。

 

ある時は道端のお地蔵さんが「しばらくの間休ませてほしい」と

 

来られた時もありました。

 

その様な時も守って頂いているお地蔵さんにお台を使って聞かせてもらうのです

 

すると、このお地蔵さんは村の道端にお祀りされていて、近所の村人の悩み事

 

困り事を聞きいて願い事を叶えて上げていたのです

 

しかし大変真面目なお地蔵さんのようで、願い事が多すぎたり大きすぎても

 

一所懸命に修行されるので、ご自身の浄化力や持ってる徳を超えてしまい

 

倒れて仕舞われる訳です。

 

そのため回復するまで休息場所を探して休まれるのです。

 

このような様々なことも教えて頂き、お地蔵さんも修行されているのか

 

と驚き気づかせてもらえたのです

 

狐さんや狸さんの時もありました、稲荷大明神です

 

狐さんは大変プライドが高いのです、少し気に入らない失礼があると怒るのです

 

お地蔵さんが近くに居られますから罰までは下さないですが

 

黙ったたまま長時間そのままでお台を困らせることもあるのです

 

一方狸さんは陽気で元気な霊位が多くしゃべり続ける場合がよくありました

 

霊媒師の先生からこんな話を聞いた事があります

 

町内の運動会がある時に徒競走がありますね

 

狸さんを呼び出して身体に憑いてもらい、代わりに走ってもらうといつも一番との事

 

霊と仲良しで協力してもらえるとこんな事ができるんだなあ、と感心したものです

 

しかし危険極まりない事は間違いありません

 

ひとつ間違えば廃人になってしまう可能性があるのです

 

精神的障害が発病する人、大病になってしまう人、人生や運命が狂ってしまう人

 

何人もそのような人があると聞いています

 

そのため私は通っていた霊媒師の先生に聞いたことがありました

 

「お地蔵さんが降りて来られるので見て欲しい」と

 

すると先生は「降ろしてみなさい」と言う事で

 

いつものようにお地蔵さんに降りてきてもらったのです

 

そして先生はひとこと聞かれたのです「○○地蔵さんですか?」

 

私は自然としっかりとうなずいているのです

 

先生はしばらくじっと見て隣の助手の方に耳打ちして「これは本物だ!」と

 

それから私のお台時代になったのですが、お台を勤めていくほど

 

その先生とは意見が合わなくなり数年後に離れる事になったのです

 

私も霊的なものはものすごく受けやすかったし私生活も不調の連続でした

 

けれども霊的に敏感な事は生まれた事と同じで自分が意識して選んだ訳ではないです

 

自分の身体を認めてじっくり観察して「これだけ感じるからありがたい」と感謝し

 

受け止めるのが大切だと気付いた時に乗り越えていけるものだと思います

 

霊的に受けるのは大なり小なりあると思いますが

 

霊媒師だけでなく相談や治療をされる方は共通して言える事だと考えます

 

汚れや濁りのエネルギーを浄化しないと治療できないからです

 

整体師や整骨師、鍼灸師、医師の方も勿論、占術師もそれぞれ相談を受ける方も

 

みんな霊的にも受けてしまうから当てはまると思います

 

もしそのような事で悩まれている方があればしっかりとした師匠にご相談して下さい

 

霊が見えるとか言う神秘体験や一体感又は超能力的なものを乗り越えていく事です

 

修行法を身に付けた先生に観てもらいながら

 

霊的な事は身につけていくのが善いと思います

 

サマタ瞑想ヴィバッサナー瞑想を体得された師匠です

 

 

ここで菩薩心得です

 

見える聞こえる臭うもの 味わうものや触れるもの その背景には幾重にも

 

観えない粒が漂って 七つ粒子の霊体が 私が在るを支え往く』 

 

今日も最後までお読みいただき有難うございました。合掌