オメガトライブ(ΩMEGA TRIBE)をご存知だろうか?
杉山清貴やカルロス・トシキをボーカルに、80年代 サマーソングで活躍したグループである。
オメガトライブとはOMEGA(最後の)TRIBE(民族)の意味。
角松敏生ともコラボしていたハワイのDJ カマサミ・コングが名付け親でした。
『杉山清貴&オメガトライブ』は、大人な恋の曲。
“SUMMER SUSPICION” や “ふたりの夏物語”。
そして、僕をより好きにさせたのが、
“ガラスのPALM TREE” (FIRST FINALE 収録曲 1985年)
だった。
そんな 杉山清貴&オメガトライブ も
残念ながら、1985年に解散してしまう。
1986年、
前メンバーの高島信二、西原俊次に加え、
黒川照家を迎えると…
日系ブラジル人のカルロス・トシキ(22)をボーカルにした
『1986オメガトライブ』 が結成される。
今見ても、カルロスさんって 綺麗な顔立ちの方ですね。
ファーストアルバム 『NAVIGATOR』 (1986年)
カルロス・トシキの澄んだ歌声とオメガの演奏は、
当時高校生だった僕に感動と影響を与えました。
この頃はカセットテープで聴いていた(笑)
海外留学していた僕は、アルバムが出たら日本から送ってもらってた。
曲 “21 Candles” とナンバー。
25年も過ぎて、
このナンバーを陸運局でもらった時、曲が頭に流れた…
この数字でゾロ目って、確率的にも奇跡ですよね。
日記「ALOHA HAWAII & HARLY-DAVIDSON (ハワイ旅行記とバイク)」より…
高校の時から気になっていた
ハワイの『ノースショア』へ…
ハーレー スポーツスター XL833で行った。
曲 “North Shore” を聴いて
どんな風景なのだろうと、一度見たかったのだ。
mp3を聴きながら、 ボ~~っと波を眺める。
アルバム収録のどの曲も好きですね。
選べませんが、“You Belong To Him” “Night Child”
などもイイ…
結局 選べないけど(笑)
その後、1988年には黒川さんが抜け、ジョイ・マッコイが入ると、
名前は 『カルロストシキ&オメガトライブ』 に…
そして 1991年に解散。
カルロスさんはソロで活動します。
そのカルロスさんも35才で引退。
母国 ブラジルに帰られるのです。
そんな、オメガトライブ。
一曲だけ紹介しようかと思いますが……選べない(苦笑)
本当、好きな曲は多いので…
でも、あえてメジャーと言われようが~ この曲にします。
カルロス・トシキと出会うきっかけになった
デビュー曲、
1986オメガトライブ
“君は1000%”
当時の恋を想い出しますね~
嫁には言えんけどね。 皆 そんなもんでしょ(苦笑)
その後…
カルロスさんは引退後、ブラジル実家のレストランを経営。
しかし、温暖なブラジル気候で作られるニンニクが良質でないことを知り、品種改良会社へ就職。
更には、仕事の傍ら国立大学に入学、47才でバイオテクノロジーを学ばれます。
総責任者となった彼が造った種球は国内シェア100%近くに…
「ブラジルで最も偉大なニンニク・スペシャリストの一人」 として称されるまでになりました。
音楽で感動を与えた人は、母国でも成功されていたんですね。
そんなカルロスさん。
当時のインタビューで、
「また日本で歌いたいね」
と、嬉しいことを言ってくれてました♪
[ビルボードライブ大阪]
デビューから30年が経ち~
昨年、音楽活動に復帰を!
歌手 カルロス・トシキ(53)が帰ってきました。
今年からは本格的に再開と、3月は「ビルボードライブ大阪」で歌われます。
チケットはSOLD OUT。
オメガ時代のナンバーを歌ってくれるなど、感動ものです。
1986年に知ってから別々の歩み “For Each Other” だったわけですが…
30年経った今、
初めてお会いすることを 楽しみにしています。
当日は間違いなく、
忘れられない夜 “I’ll Never Forget You” になることでしょう。
感想は、3月に報告させていただきますね。
最後に、
ライブへ行くきっかけとなった Hさんに 感謝したいと思います。