個人鑑定始めました
メニューはこちらそのテーマカードを出して貰う事でそこから展開したカードの意味がより明確になります。
要はテーマカードは根っこのようなものです。
そして今年のテーマで僕が出ていたカードはこちら。
右と左では色合いが違いますが、要は対照的なもの、相反するものを示しています。
相反するもの....
好き嫌い
ポジティブネガティヴ
良い悪い
自分と相手
家庭と仕事
自分のもの相手のもの
加害者被害者
おいしいまずい
自分本位他人本位
見えてるもの隠れているもの
見たいもの見たくないもの
光闇
右左
男性性女性性
と、つまる所この世を分離されている存在である人間は分離された感覚、物事を分離というフィルターを通してしか基本的に認識できません。
しかし、この世の物は全てそこに「在るだけ」という考えからするとスピリチュアルでジャッジしないというように、どちらでもなくただ在るだけなんです。
そこに味付けして分割しているのは人間の感覚なんですよね。
人間は分割しちゃうんですが、本来心地よいポイントっていうのはニュートラルである真ん中にいる事ですよね。
たまには左右にゆれるのもいいけど、そればっかに浸かっていると偏り過ぎてしまって実は苦しい。
濃いもんはおいしけどそればっかじゃ舌が疲れてあっさりしたもん欲しくなる、みたいな
なのでニュートラルにいつつ、たまに左右に揺れるのが一番楽に人間という感覚を健康的に楽しめる状態じゃないのかな〜と思います。
で、僕の話しになりますが。
ここ最近チリチリと気になっていたけど、その二極の舞台には上がりたくないな、という思いがあって見ないでいる事で舞台から降りているつもりだったんですよね。
でもふと瞬間にハッとして
「あぁ、どっちも自分なんだ....」
という事に気付きました。
要はここで統合が起きたわけですよね。
自分はあっちじゃない、こっちだ!
という状態は二極の世界に振り回されているんですよね。
で、そこを見ないようにするというのも、実は自分はどっちか、と認めているからこそ見ないようにしたい、見ない事で二極の世界から降りる事にはならないんですよね。
どうやって降りるか、どうやって統合の世界に行くかというと、もうどっちも認めちゃうしかない
自分は絶対まずい、食べられたもんじゃないと思うものでも、それがおいしくてたまらなくて毎日でも食べたい人がいる、って事を認めなくちゃいけない。
それを認めないと自分が毎日でも食べたいものも否定されるという現実がやってくる。
二元性の中にいるからこそ、比較が入ってきて相手を批判したり、そして自分自身を批判して苦しいんじゃないかな。
批判でいえば批判しないのではなく、批判される事も受け入れて、自分も批判している事を受け入れる、という事かな。
ジャッジしないといえども、今まで根底には良い悪いという考えがあって物事を判断してきたのでそこの二元性から解放されるのは至難の技です。
良い悪いがあるから、悪い自分は認められないんですよね。
統合のカード。
相反するものを見ていかないといけないのかー、くらいのもんでしたが、結構キツイカードですよ笑
今日はちょっと抽象的な話しになりましたが、誰かの気付きになったら幸いです。