続きです

お金を愛やスピリチュアルという神聖そうなものにしてお金を得る自分を正当化したい、お金を得る自分もきれいだと言いたい。

っていうのはお金を美化してるものの言い方に見えて冒頭のなわけないやん、をより強く思います。

ここで僕がこういった事に嫌悪するエピソードを一つ。
皆さんも一回や二回くらいはあると思いますが、とあるネットワークビジネスのお誘いを頂いた事があって話しを聞いていたんです。

ああいうのって話しが本当に上手で、感化されやすい僕は、上手くやったら権利収入であくせく働く事なく生活でき、なおかつ地域貢献、はたまた世界的に貢献している活動家もいて、そういうのって素晴らしいと思いませんか、という夢のある説明に、はい思います!と乗り気になっていました。

そして後日集まりがある日に来てほしい、と言われたのですがその日はあいにくの占い関係の予定がある日。

それを伝えると、占いで〇○万円稼げますか?稼げないでしょ?こっちの集まりに来るべきだ

という趣旨の事をおっしゃられました。

散々権利収入を得る事によって生活の安定、ないしは貢献活動について熱く語っていたのに蓋を開けたら個人のお金では計り知れない事柄をお金で計ろうとする。

思った事は、要はそういう貢献活動とかどうでも良く、ただ単にお金が好きなだけですよね?

と感じました。

なのでこういうお金が好きとストレートに言わずに、綺麗なベールに隠していう言い方本当に嫌いなんですよね。

でもここで言いたいのはお金が好きなのがだめとか、お金好きは汚い、と言いたいのではないですよ。

説明していったように、お金とはそこにあるだけなんです。

そのお金というエネルギーが今この世界では皆さん知っているような使われ方をしているだけなんです。

綺麗も汚いもないし、ただあるだけ。

そこに好き嫌いを色付けするのは個人個人の判断、自由な部分です。

わざわざその色付けした部分をあたかもそれが真理のように説くのって裏にはお金を得る事が汚い事だと思っているとか、自分と向き合わずにお金に逃げている自分が許せなかったり、理由は様々でしょうがお金に対してネガティブな感情を抱いているからではないでしょうか。

だから変にスピリチュアルと結び付けてみたり、愛に結び付けてみたり、論理的ともいえない一文が出来上がるのではないでしょうか。

なのでお金が好きだったら好きとストレートに表現して下さい。
歪曲して表現する事は自分の感情を置き去りにしているって事なので、苦しいのは自分自身なのだと僕は思います。

スピリチュアルと結び付けていますが、そこにあるだけのものに変に定義付けしていくっていうのはジャッジをしているという事なので、そういう考え方をすればする程スピリチュアルな考え方からはどんどん遠ざかっていきます。
物質的なものに執着する程、外に求れば求める程本当の自分からは遠ざかっていきます。


もう一つの愛された量=収入っていう考え方は究極に自分を苦しめるだけなのでやめた方がいいですよ。

それってお金を持っている量でしか自分の価値を確認するすべがないって事ですよね?
それって苦しくないですか?

もし何かしらの理由で収入が激減、あるいはない状態になってしまった時、イコール愛されていない自分というのが数字で一目瞭然で分かってしまいますよね。
そんな苦しい事ないですよ。

まあもう愛っていう意味合いが広すぎてあれですが、お金も愛のひとつだと思うし、ひとつだけっていう事で勿論愛を伝える、受け取る手段って他にも沢山あるはずです。

ありがとう、という一言で大変でも報われた経験っていうのは沢山の人があるはずですよね。

これってもう一つ女性性にも関係すると思うのですが、女性性って受容する力なので、お金でしか受容できないって事は女性性が低い、器がちっちゃいですよ、って言ってるようなもんだと思うんですよね。

反対にいえばお金こそが愛ならお金がないって人は愛する事もできないって事です。

それに個人事業主のみ、というよく分からない条件付けもスピリチュアル的思想からは掛け離れます。
おそらく主婦とかになると収入0なので愛されてないって事になるからだと思いますが、そういう立場の方は別の手段で愛情を得ている、というだけの話しです。

僕はお金以外の形でも愛したい愛されたいと思うし、むしろレパートリーを沢山持っていたい。
そしてお金は大好きだと声を大にして言いたい。


タロットをやっているかたは是非気付いて欲しいのですが。

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 ペンタクルスの10とカップの10です

一目瞭然ですがどちらが感情的に満たされているかというとカップの10でしょう。

ペンタクルスも物質的に満たされて良い状況とはいえますが、そこに感情的な喜びは表現されていなく、物質的な満足はいずれ当たり前のものとなって気付かないものになっていくんだと、いうのが表現されています。

カップの10ではむしろ身なりからして質素ですが、突然の虹に驚き感動し、そして感動が共有されている情景が描かれています。

この2枚が語りかけるのは物質的な目に見えるものの満足ではなく、幸せは内側にあるという事をウェイトカードが物語っているような気がします。

タロットをしている方は是非この2枚を再度眺めてみて下さいね。

終わります。

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