前回①の続きです。
まず前回出てきた三段論法ですが、簡単にいうと、AはBといえる、CはBといえる、だからAはCと言える、または言えない、みたいな推論の方法の一つです。
例えば、ハリボー(A)は人間である(B)、人間は(B)服を着る(C)、よってハリボーは服を着る。
みたいな共通項等から二つのものを引き合わせたり否定したり何故AはCなのか、に使える論法です。
この論法は前提条件が真である必要がある為、
三段論法チックな
お金=愛情=スピリチュアルな存在
愛された量=売上=収入
をこの論法で導き出されたフレーズであるとして分けて見ていっています。
次に、スピリチュアル=愛情ですが。
そもそもスピリチュアルってなんですか。
っていう感じですよね。
Wikipedia等で引いてみると分かりますが、スピリチュアルと一言でいえども分野やテーマによって相当異なる解釈の為一言で和訳するのは非常に難しいです。
おおよそは精神世界の事、霊的(また霊的というのが難しいですが)な事、的な感じが書かれていますが、この一文をおっしゃった方がスピリチュアルというワードにどういった定義を持っているかわからないのでスピリチュアル=愛情を肯定も否定もする事はできません。
なのでここからは僕が思うスピリチュアル、からお話しを進めていきます。
僕的にスピリチュアルというと、この世のモノ全てです
え、全てって(苦笑)
感じですよね(笑)
一つの解釈としては、ただこの世にあるものはエネルギーとして存在している、という観点です。
そのエネルギー視点でみる事が一つのスピリチュアルの解釈です。
エネルギーといえば目に見えないもののように思うかもしれませんが、エネルギーは量子力学でいえば素粒子と呼ばれるものであり、実際に人間が見て触れられるものはエネルギーがただ三次元という制限を受けて形作られ保持されているだけです。
なので見て触れられるものも元を辿ればエネルギー体です。
そしてそのエネルギーはただそこに「ある」だけ。
そこに良い悪い、快不快、正義悪、を付けているのは人間なのであって、エネルギーはあるだけなので良いエネルギーだから良い、悪いエネルギーだから悪い、のではなく
そこにあるだけなんです。
だからスピリチュアルで良く言われるジャッジをしないというのはこの事なんですよね。
苦しい!と思う物事は苦しいというエネルギーを発しているわけではなくてこっちが勝手にこれは苦しいエネルギーだ!
と味付けしているので苦しくなる、ならば苦しいとか良い悪い、という味付けをやめちゃえばネガティヴもネガティブでなくなる、っていう感じですよね。
それがジャッジをしない、って事です。
と、少し逸れましたが見えるもの見えないものなんでもエネルギーで構成されているのでスピリチュアルはエネルギー視点で見る事だという定義からすると、全てだ、という
事です。
後はスピリチュアルに目覚める、とか言いますが、これを日本語訳にすると霊性に目覚める、っていう感じでしょうか。
霊性って言葉自体が難しいですが、人々はワンネスからの分裂だと考え、現在は三次元に降りてきているだけ、そして身体を持って色々な体験をしている。
その身体に囚われている事で色々な体験ができるわけですが、物質に囚われ過ぎれば過ぎる程高次である本当の自分、ワンネスの状態からは遠ざかっていきます。
なので、スピリチュアルに目覚める、という事はおそらく本来は自分は高次の存在であり、ワンネス、自分は全てである、という事を思い出す、というフレーズだと解釈しています。
で、スピリチュアル=愛情ですが、続きます。
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