お金というのはいつの時代でも大きな主題となってあらゆる事柄に顔を覗かせています。

現在でも例外ではなく、お金はあらゆる事と結びついています。

最近でもまたお金とは、という事に関する記事、一文をチラッと見る事があったのですが、見て鳥肌がたったフレーズを通してお金について思う事を書いてみたいと思います。


その一文とは2つあります。

お金=愛情=スピリチュアルな存在

愛された量=売上=収入(個人事業主に限る)

という文ですが、まじ鳥肌もんですよ....


感動ーー!!







の鳥肌では勿論なく、







なわけないやん


の鳥肌ですが。



この、なわけないやん、の違和感の理由から。

まず、このいかにも三段論法のような=で繋がれた一文ですが、三段論法は前提がきちんと筋道だっていないと完成しても意味の分からない一文が完成します。

直接本人の言いたい事を見聞きしたわけじゃいので真意は分からないですが、要はお金=スピリチュアルな存在、あるいは愛された量=収入だと結びつけたいのだと解釈しました。
後者については売上≠収入なので売上を挟む事でむしろこの一文が破綻してしまうので何故わざわざ=したのかは分かりかねますが。

ここでまず前提としてのお金やスピリチュアルな存在、愛、などについて見ていかないといけないのですが、非常にあやふやな言葉なので論理的に考えて行くというのは非常に困難なので今回は僕個人の定義で見ていきます。

この一文から見えて来るのは、まずお金とスピリチュアルに共通しているワードが愛情だという事で

お金=愛情

スピリチュアルな存在=愛情

という定義のようですが。

まあ本当に物事の定義付けは各自由なのであれですが、僕の視点から行くと、この各=の段階でなわけないじゃん、っていう感じですね。


まずお金というのはエネルギーでしかありません。

そのお金というエネルギーは、この世界では売り買いしたりできるモノになっている、というだけの話しです。
逆に言えば共通の価値として使えるエネルギーをお金と呼ぼう、という事になっているだけの話しですね。

そして、愛、愛情ですが、4元素では水に該当し、感情を持つモノ、から湧き上がるモノと僕は捉えます。
その湧き上がったモノ(気持ち、愛情)は何かしらで伝えたくなるもので、言葉や態度、行動や物などを使って伝えたり表現します。

その一部の手段としてお金がある、っていう感じですかね。

なのでお金は愛情表現の一部である、とは言えるかもですがお金が愛である、愛はお金である、というのはちょっと違うな、拡大解釈だなと感じます。


次にスピリチュアル=愛情についてですが、長くなりそうなので分けます。

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