バスターミナルには6:00、7:00、9:00、11:00、15:00、18:15の表示があり。
数軒隣の旅行会社っぽい所でも、他社のバスを扱っている様子でした。
15:00発のバスで21マルク(約1,370円)、荷物代1マルク(約65円)。
モスタルからサラエボまでは130kmほど。
山道を抜けて行きますが、この道中が実に風光明媚。
鉄道で行くと景色が良いらしい、とはSちゃんから聞いていたけど、
どうやらその方が値段も安いようです。
一人で鉄道移動だと荷物の管理が面倒なので、ついついバスを選んでしまいます。
とは言えバスも基本線路沿いを走っていたので、そこまでは変わらないかも。
3時間弱でサラエボに到着。
バスターミナルの裏にはアヴァズ・ツイストタワー。高さは142m(アンテナ含まず)。
ボスニアヘルツェゴビナで一番高いビルらしいです。中には展望台も。
バスターミナルから宿までは少し距離があるので、トラムで向かう事に。
近くのキオスクで切符1.60マルク(約105円)を買って、1番のトラムを待ちます。
駅に座っていた人が教えてくれたけど、1番は便数が少ないらしいです(15分に1本くらい)。
急ぐ人はバスターミナルから南に下って、頻発している3番に乗った方が早いかも。
ここの宿も写真撮り忘れたけど、"Hostel Vagabond"という、某コミックを彷彿とさせる名前の宿でした。
2泊で40マルク(約2,600円)だったかな。簡単な朝食が付いています。
支払いはマルクのみ。クレジットカード可、とも書いていたのにカード払いは3%の手数料が上乗せされるという事で、わざわざ両替をしにいく羽目になりました。
リビングにあったテレビではよく音楽番組が流れていて、モスタルを舞台にしたPVが流れていたので、思わず撮っちゃいましたよ。
両替がてら、旧市街を散策。
サラエボの中心地は思った以上に観光客仕様になっていて、とにかく店ばかり。
レストラン、カフェ、土産物屋、延々と並んでいます。
両替屋も多いですがレートが表になく、窓口に貼ってある紙で確認するしかありません。
手数料も必ずそこに書いてあるけど、普通の店なら1%前後なのが店によっては(※最低2マルク)なんて書かれているのがあって、少額両替でも2マルク(約130円)取られたりするので要注意。
所々には教会もあり。
公園では地元の人たちがでっかいチェスで真面目に遊んでいます。
中心地から南に向かうとラテン橋があります。
1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻がセルビア人青年、
ガブリロ・プリンツィプに暗殺された事件の現場です。
『サラエボの銃声』とも言われる、第一次世界大戦のきっかけになった事件ですね。
夜景はどうかな~と撮りにきたら、こんな感じでした。
翌朝、再び旧市街に出て来て、まずはボスニアコーヒーを頂きます。
トルココーヒーもそうですが、ボスニアコーヒーも細引きの粉をそのまま煮立てるタイプ。
角砂糖が入った茶碗に移し、粉を沈殿させながら飲むようです。
求肥っぽいロクムというお菓子が付いてくるのがお約束。2マルク(約130円)。
バリコーヒーもそうだけど、このタイプって粉が残って飲みにくいから
あまり好きじゃないかな。。。
旧市街の中心にある広場には、セビリと言う水汲み場がありました。
観光客も入れ代わり立ち代わり、持参した容器で水を汲んでいます。
水道水が飲めるって良い事ですね。
水汲み場の脇にある職人街、バシチャルシャ。
モスタル同様、彫金を打つ音が響いています。
バシチャルシャを抜けた先にあるのが、ムーア風建築の傑作と言われる旧市庁舎。
オーストリア・ハンガリー帝国時代に市庁舎として建てられた後、国立図書館として使われていましたが紛争によって焼失。
2014年に修復工事が終わったそう。
サラエボ・ビール博物館なんてものがあったので、これは行かねば!と訪問。
1864年創業のビール醸造所のもので、小さい展示スペースに昔のラベルなどが展示されています。
隣にあるレストランとのランチセット券が売られていると聞いたのですが、クレジットカードが一時的に使えなくなっているという事で、展示スペースには無料で入れてくれました。
本を見るに本来の入場料は3マルク(約200円)らしいですが、展示室はこの一部屋
だけなので、お金を出してまでは行かなくてもいいかも。。。
お隣のレストラン、"Pivnica HS"にてランチ。
定番の「トラディショナルなヤツ」を頼むと、牛肉を巻いて揚げたものが出てきました。
ソースはタルタル。ちょっと塩気が強かったけど美味しかったです。
醸造所ならではのノンフィルタービールと一緒に頂いて23.50マルク(約1,530円)。
そろそろ行く場所がなくなってきたので、ガイドブックにあったスナイパー通りへ。
黄色い外装が目立つ"Hotel Holiday"は旧ホリデイ・イン。
紛争中でも営業が続けられており、各国のジャーナリストがここを拠点にしていたようです。
ここから西に延びる大通りがスナイパー通り。周囲の高層ビルに潜んだセルビアの
狙撃兵によって老若男女問わず、動くものは全て標的になったんだとか。
サラエボでの紛争、犠牲者の85%は市民という凄惨な状況だったようです。
砲撃もひどく、犠牲者を墓地に運ぶ事すらできなかったため、1984年のサラエボ五輪で使われたスタジアムが墓地として使われたとか。
通りを歩いてみましたが、大通り沿いの建物は概ね建て直されたりで修復が進んでいました。
とは言え裏通りの建物には、まだまだ銃痕が残っています。
旧市街の西の外れには、サラエボ五輪の聖火が燃え続けています。
紛争の犠牲者への慰霊の念が込められているんでしょうね。