「私の命を救う為に、身代わりに…」


「…身代わり?」


思いも寄らず、驚くのような単語がカイルの口から飛び出してきた。


「お話した通り、体がとても弱かった私は祖母達の力添えもあって食も進むようになり、徐々に体を鍛えることも行えるようになっていきました。

やがて騎士の道へと進む為、励むようになると体は健康そのものになったのです。」


幼いカイルが懸命に食事を摂り、剣に励む姿は容易に想像できた。きっと人の何倍も頑張っただろうことも、カイルは口に出さないが梓紗には予想出来た。


「健康になられたのでしたら…どうして?」


淡い水色の瞳を悲しげに眇め、梓紗へと視線を向ける。


「あれは、私が13歳のことでした。
見違えるように丈夫になっていた私が原因不明の高熱に侵され、医師からは『もう打つ手はない』と匙を投げられてしまったのです。」


「…まあ!」


絶望的な病状に苦しむカイルを思い、梓紗は眉を顰めた。


「祖母はそれはそれは苦しみました。
王国内の優れた医師を探しては請うたが、医師達は皆揃って匙を投げるばかり。

体が弱かった時でさえ身を投げ打つようにして私を一番に考え動くような祖母だったから辛かっただろうに。

そんな祖母が藁にも縋る思いでいたところに、人伝てに聞いてしまったのです。

『薬断ち』のことを。」


カイルは長い指先を組んで自らの額に当て俯いた。

 

努めて穏やかに話そうとしてはいるが、苦い思いを飲み下すようなカイルの表情はまだ癒えていない傷口なのだと語っている。

 


「お祖母様は『薬断ち』をされたのですか?」


「ええ…私の命が助かるならば、祖母は薬を生涯口にしない、と願を掛けました。

祖母は元々心臓に病を抱えており発作止めの薬が必須だったのに…」


「…そんな……」


「祖母が『薬断ち』の願を掛けた後、私の熱は奇跡的に引いていき無事に元気な体へと回復しました。

だからこそ、祖母は『薬断ち』の願掛けを心から信じてしまい…二度と薬と名のつくものを口にすることはありませんでした。」


カイルの祖母の気持ちは痛いほど分かるものだ。

もし仮に自分が『薬断ち』をしたにも関わらず薬を飲んでしまった後に、再びカイルが病に倒れてしまったら…と思えば、薬など口には出来まい。

痛々しい話に梓紗の顔色も沈んでしまう。


「…運命とは皮肉なもの。

寝ずの看病や心労がたたり祖母は発作を起こしてしまったのです。

いつもの発作止めの薬を飲めば治まるのに…決して頸を縦に振ってはくれない。

だから私は泣きながら祖母に訴えた。どうか薬を飲んでほしい、と。

祖母がいなくなれば、私はこの屋敷にただ独りになってしまう。お願いだから私を置いていかないで…と泣いて縋ることよりできなかった。

祖母はそんな私を見て、力を振り絞るようにして告げました。

『愛するカイル…お祖母様は愛するカイルを決して独りにはしませんから安心なさい。

窓を見てごらん?あの夜空に瞬く星になって、お祖母様はいついつまでも愛するカイルを見守っていますからね。

立派な騎士になるのですよ…お祖母様は星になって愛するカイルをお空から見ています。』


苦しげな息の元でも私を案じて声を掛ける祖母を前にしても、私は素直に頷くことができなかった。安心させてしまったら手が届かないところへ祖母が旅立ってしまいそうで怖くて…。

 


『…嫌だ。』


泣いてはならないと思い必死に涙を堪える顔しか見せられないことが、また不甲斐なく…

 

そんな私を気遣うように祖母が最期に言ったのです。



『…ふふふ。そんな顔をしたらダメよ。これからもお祖母様は愛するカイルとずっと一緒よ。

偶に、流れ星に乗って愛するカイルの様子を見に来るから、立派な騎士になって幸せな姿を見せておくれ。』


そう告げると祖母は間もなく息を引き取りました。



忘れたことは一度としてない。

もしかしたら祖母が流れ星に乗り私の元へと来てくれるかもしれないという子供じみた希望に縋り、懸命に励んだ。

そして気がついた時には近衛騎士団団長となっていました。

あの日、夜空から流れる星星が閃光を放ちアズサ殿が現れた瞬間、祖母の魂の生まれ変わりが現れ、私に会いに来てくれたとしか、思えなかった。

心の奥底で祖母を失ったことを悔やんでいた私は、今度こそ守り抜くと胸に誓い、アズサ殿を失いたくないことが先に立つばかりでアズサ殿の心を見てはいませんでした。

誠に申し訳ないことをした。」


美しい淡い水色の瞳を伏せ、静かにカイルは梓紗へ頭を垂れた。


「私こそ、カイル様に護衛をお願いしたにも関わらず、何の御相談もせずに勝手なことをし御心配をお掛けしたこと反省しております。

カイル様がどんなに私のことを大切に考えて下さっていたのか、今更遅いですけれど…よく分かりました。

カイル様…御免なさい。お願いですから、私の護衛を離れるなんて言わないで下さい!」


梓紗を心から案じ守ろうとしていたカイルが、頑ななまでの態度で激高した理由を今やっと知ることが出来た。

深い想いからとは考えていたが、悲しいまでに寂しい、幼いカイルが抱いた想いからとは想像さえ難く、申し訳なさに梓紗は無断外出など企んだ自分を思いっきり殴りつけたい衝動に駆られた。


「アズサ殿はデラージに心を許しておられる。今後は、私が護衛を務めるよりもデラージがアズサ殿の護衛を務める方が…」


「カイル様…!!」


梓紗はカイルに飛びつくようにして抱きついた。

きっと、カイルはこうして梓紗が訪ねなければ理由を明かすこともなく、梓紗のことを思い遣り黙って独り離れて行くつもりだったのだろう。


ーーなんて不器用な人……


梓紗も自分の考えや想いを伝えることが得意ではない。そのせいで三十年もの間うじうじと拗らせてしまった。だから人のことはとやかく言えた義理はない。

されど、カイルは言い訳を良しとしない性分もあるが、これはあまりにも酷すぎる。

補って余りあるベルトランが傍にいてくれるからこそ成り立っているけれど、カイルにしか分からない理由がある場合は流石のベルトランだってお手上げだ。


ーー素直に話してくれたら…嬉しかったのに
なんで、こんな大事なことを話さずに終えようとするの…?


突然、梓紗に抱きつかれ身を強張らせるカイルの両腕をぎゅっと掴み、見下ろす淡い水色の瞳を梓紗は強く見据える。


「私もカイル様のお祖母様と同じ気持ちです!!

決してカイル様のお傍を離れませんから……勝手に独りになんて、ならないで下さい!

それともカイル様は私の護衛なんて嫌になってしまわれましたか?」


「そんな事態などあろう筈もない!私がアズサ殿の護衛を厭うことなどあり得ない。

アズサ殿が…その、私の祖母のように傍に居てくれるとは、まことなのか?」


漆黒の瞳を見下ろす淡い水色の瞳は込められた期待を映すように揺れている。

あと一歩踏み込んだ言葉がカイルには必要なのだと頭では理解しているが、恋愛偏差値などと呼べるものすらないような梓紗にとってカイルに抱きつくことでさえ既にキャパシティオーバーなのだ。

 

何よりの答えである、この行動で気持ちを分かってもらえないのかしら…と思えば、梓紗はつい意地を張ったような答え方をしてしまう。

 


「私の護衛はカイル様なのですもの…離れようがありませんわ。」


「無断外出した御方に言われても……」


「反省しています。…カイル様、許して下さいますか?」


梓紗は窺うようにカイルを見上げる。その漆黒の瞳を掬い上げるように淡い水色の瞳が捉え、カイルの腕を掴む梓紗の真珠色の手を決意を込めてカイルはきゅっと握る。


「アズサ殿が何事も打ち明けることのできる、唯ひとりの護衛となってみせます。

それまでお待ちくださいますか?」

 

 

カイルの決意に満ちた言葉と想いを湛えた瞳、握られた手から伝わってくる熱い心が梓紗の胸を捉え離さない。

 

恋愛経験値ゼロどころかマイナスと言ってもいいほどの恋愛音痴、残念アラサーの梓紗でさえ分かった。今度こそハッキリと梓紗の気持ちを伝えなければならない場面、勝負の時だと。

 

梓紗は精一杯の想いをのせて言葉を紡ぐ。

 

 

「ええ、お待ちしますわ。待つのは苦ではございませんもの。

 

それに…カイル様のことは今でも『私の唯ひとりの護衛』だと、そう思っております。

 

ま、待っておりましたら、カイル様は…その、私に…」

 

 

淡い水色の瞳を梓紗は一世一代の想いを込めて見つめる。思わず噛んでしまうほど言葉がうまく出てこない分、精一杯の想いをカイルを見つめる視線に込めてーー

 

漆黒の瞳がまるでカイルの気持ちを欲しているようにキラキラと輝くのを見てしまい、常では考えだにしないほど自らの想いを伝えようとカイルは急ぎ口を開いた(ベルトランあたりに言わせればまだまだ足りない、と言われそうではあったが。)

 


「…いずれ貴女に告げたいことがあるゆえ。」

 

 

「わ、私に、告げたいこと、とは…?」

 

 

「アズサ殿を待たせるのは私の本意ではありませぬ。されど『渡り人』様であられる貴女をお迎えする為には整えるべき物事が私にはあるのです。

 

これもひとえに貴女を大切にしたい、その想いが成させると、お許しいただきたい。

 

…この意味がお分かりになりますか?

 

それを承知の上でも私をお待ちくださいますか」

 

 

「…!!

 

も、もちろんです!ま、ま、まち、お待ちしております。」

 

 

 

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こちらのSSは原作と違い、カイルは梓紗付きの護衛という設定になっております。
 
カイルが梓紗付きの護衛であるにも関わらず、梓紗は街へ行きたいあまりカイルに黙ってひとり街へと無断外出してしまいます。
 
ひとりきりでの無断外出が皆の知るところとなり、カイルは常に無いほど激高してしまうのでした。
 
ベルトランが取りなしたものの、カイルは自室に独り籠ってしまいます。
 
その夜の出来事がこちらのSSとなります。
 

 
王国近衛騎士団独身寮の最奥にある団長カイルの部屋の扉の前にひとり立つ影。その影の主は梓紗だ。
 
大きく息を吸い込むと思い切って扉をノックする。
 
 
「遅くにすみません、アズサです。カイル様にどうしても謝りたくて…」
 
 
「…分かりました。今、開けます。」
 
 
返事が聞こえ部屋の中から憔悴したようなカイルが現れると、硬い表情ながら梓紗を招き入れてくれた。
 
だが、夜という事もあり手短に立ち話で済ませるつもりのようで椅子は勧められなかった。
 
 
「カイル様…申し訳ございませんでした。私の深い考えのない行動がカイル様や皆様の私への信頼を裏切ることだと思い至らず…」
 
 
「いや、謝らないでください。アズサ殿のお気持ちも考えずに私こそ、すまないことをした。」
 
 
梓紗の謝罪の言葉を遮るように、カイルからは詫びの言葉が返ってくる。
 
 
「ーーもう二度と、失いたくなかった。
 
だが、そんな私の想いが邪魔をして…アズサ殿の自由を奪ってしまっていたのですね。」
 
 
カイルの口からは放たれた悔恨を滲ませた言葉を聞きつつも、梓紗は『もう二度と…』という発言を疑問に思う。
 
 
「もう二度と、は…?
 
あの、仰りたくないことかもしれませんけれども……もしやカイル様は以前、どなたか大切な方を失くされたのでしょうか?」
 
 
「そうです。愚かにも…私は亡き面影をアズサ殿に見ていました。」
 
 
『亡き面影を見ていた』というカイルの言葉を耳にした梓紗の胸はズキンと痛みを訴える。
 
 
この世界に転移して直ぐ襲われかけたところを救い出してくれたのはカイルだった。その後も何くれとなく梓紗を気遣い過保護なほど守ってくれていたカイル。だからこそ、信頼できる人柄ということもあり、梓紗はカイルを殊更に頼りにしてきた。
 
 
ーー頼りにしている人に心に大切に想う人がいたとしても当たり前のことなのに、この胸にズキリと感じる痛みは……
 
 
梓紗はそれまで淡い想いとして気が付かぬように自ら蓋をしていた、芽吹いていたカイルへの恋心を思わぬ形で自覚させられる。
 
と同時に、ずっと疑問だった事柄への答えを得た気がした。
 
 
ーー眉目秀麗で王国近衛騎士団団長のカイルが不思議なくらい初めから自分に対して非常に好意的であったのは、自分を通して大切な人の面影を見ていた、そういうことだったのかーー
 
 
梓紗はひとり合点し、これまでのカイルの行動に納得しか無い気持ちになってしまう。
 
大体、カイルとて、もう33歳だ。あれだけの優れた容貌と王国近衛騎士団団長という立場ならば、恋の思い出の一つや二つ、どころか想い出ならば幾つあろうともおかしくはない。いや、むしろ当然とも思えた。
 
ズキリと胸が痛むにも関わらず、自分の知らない過去のカイルについて知りたいという思いが勝り、梓紗は痛む胸を更に抉るような質問を重ねていた。
 
 
「カイル様にとって…とても大切な方だったのですね。」
 
 
傷ついたような梓紗の表情を見咎めたカイルは、常では見られない、まるで縋るような瞳で梓紗を見詰めると願うように告げる。
 
 
「長い話になるが…聞いてはくれまいか?」
 
 
「はい、私で良ければ、勿論です。」
 
 
長い話になるからであろう、ようやくカイルは梓紗へ部屋のソファに座ることを勧めた。
 
 
「私は幼い頃はとても体が弱く…いつもベッドで寝込んでいるような子供でした。
 
両親は突然の王太子交代の余波で騒がしい国内をまとめる為に奔走しており、父は近衛騎士団団長として、母は公爵夫人だが公爵代理として宮廷へ…二人共ほとんど屋敷に居ることはありませんでした。」
 
 
「王太子といえば、ベルトラン様のお父様の件ですね。」
 
 
カイルが頷くと、蝋燭の灯影により整った面差しに翳が差した。
 
 
「父も母も何より王家への忠誠を尊ぶ方方だ。自然と屋敷には幼い私と祖母と…乳母らの使用人しか残りませんでした。
 
体が弱い私が寝込んでも母に看病してもらった記憶はない。代わりに私の看病をしてくれたのは、いつも祖母でした。」
 
 
祖母の前ゴルドーニ公爵夫人自らが屋敷の厨房に入り、食の細いカイルが食べられる料理を専属料理人と共に研究し、料理から始まり様々なことに気を配っていた。
 
公爵夫人が厨房に立つことなど通常はあり得ない。その禁を破ってでも幼いカイルを丈夫にしたい、その想いで祖母は孫カイルをまるで我が子のように大切に大切に慈しんでいた。
 
 
「エプロンをして厨房に立つ後ろ姿、エプロンをしたままベッドに居る私に温かい食事を食べさせる姿……私の記憶の中の祖母は決まってエプロン姿でした。」
 
 
懐かしい記憶を辿るように話すカイルの表情はとても穏やかなものだった。
 
『エプロン』の話になった時、ふと思い当たることが梓紗にはあった。
 
 
「もしかして私にエプロンを差し入れて下さったのはカイル様でしたの?」
 
 
肯定しながらも、どこか恥ずかしげに梓紗を窺い見ながらカイルは驚くようなことを告げる。
 
 
「そうです。あのエプロンは、実は祖母に渡しそびれたプレゼントなのです。
 
……何を馬鹿げたことをと笑うかもしれませんが、アズサ殿は祖母の生まれ変わりだと私は思っています。」
 
 
『亡き面影』の相手とはてっきり恋の思い出の相手のことかと思い落ち込んでいたが、『亡き面影』の相手とはカイルの亡き祖母だったことが分かり、不謹慎ではあるが梓紗はそっと安堵の息を吐く。
 
胸に芽生えていた幼い恋心を自覚した途端に即失恋か!と梓紗は思っていたのだ。そんな梓紗が安堵の息を吐いたとしも許してやってほしい。不謹慎なのは自分でも重々承知の上だ。常なら、そんな恋愛脳な考えなどもてぬほど、異性に免疫の無い、と言えば聞こえはいいが、要はモテないアラサーが梓紗なのだから。
 
 
ーーしかし、待て!!
聞き流してはならない言葉を聞いた気がする。
カイルは今、何と言った!?
 
 
「私がカイル様の大切なお祖母様の…生まれ変わり…ですか?」
 
 
カイルは大きく頷くと、淡い水色の瞳を輝かせ梓紗を見詰めた。
 
 
「アズサ殿がこの世界に現れた時、私はその瞬間を見ておりました。」
 
 
カイルの話す、梓紗がこの世界へと転移した瞬間という言葉に強く興味を惹かれ
 
 
「どんな感じだったのか、私も知りたいです。…教えて下さいませんか?」
 
 
「夜空の星星が押し寄せるように一箇所に流れ込み、眩い閃光となって瞬きました。
 
その閃光の中から人の形が現れ乙女の形を取り始めると、やがてアズサ殿の姿となった光は力を失い消えていったのです。」
 
 
梓紗は驚きでいっぱいになり、漆黒の瞳を大きく見開いて呆けた口許を両手で覆う。
 
 
「どうして…生まれ変わりと思われたのですか?
 
お話をお聞きするだけでも、とても神秘的だとは思いますけれど…」
 
 
「祖母は亡くなる前に、私へ告げました。
 
『お祖母様は星となって愛するカイルをいついつまでも見守っているから…』と。
 
だから、私は星が人の形となり乙女の姿へ変わったのは…祖母の魂である星が乙女へと姿を変え、再び私の元に来てくれたのだ、と思ってしまった。いや、そうとしか思えなかったのです。」
 
 
端的なカイルの言葉だけでは満足のいく答えは得られない。
 
梓紗も口数は多くない方だが、カイルは口数が少な過ぎるあまり圧倒的に説明が足りないのだ。
 
それを補うように梓紗はゆっくりと慎重に言葉を重ねていく。
 
 
「カイル様のお祖母様は何故お亡くなりになられたのですか?」
 
 
「私の命を救う為に、身代わりに…」
 
 
 

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その頃、アーカンソー医師に連れられて行ったカイルとベルトランの様子を見てみよう。






アーカンソー医師は先ほどの場所から離れた家屋に辿り着くと足を止める。と同時にカイルとベルトランも立ち止った。


口火を切ったのはカイルだった。



「話とは如何なることか?」



「おいおい、慌てるな。カイルひと先ず落ち着け。アーカンソー医師、もしや…話とはアズサの件か?」



「副団長の御察しの通りです。

私は怪我人の治療が残っており今すぐ王都まで御同行できません。そこで、今後のことを団長と副団長に御相談しておきたかったのです。」



ベルトランが珍しく気難しげな表情へと変わり、カイルとアーカンソー医師を正面から見据えた。



「私も懸念していることがある。アズサの名誉の為にも盗賊に襲われたことは公けにしたくない。年若い女性が襲われたとなれば要らぬ詮索を呼び、アズサを傷つけかねないからな。」



カイルが素早く反応する。



「確かに。この件は近衛騎士団内でも一部だけに留めておくよう箝口令を布こう。」



「だが、そうなるとアズサがこれから接しなければならない者達に事情を話すことが難しくなる…な。

事情を知らなければ、不用意にアズサを怯えさせることが起こるやもしれぬ。そうなればアズサの身が気掛かりな上に対処も困難にならざるを得ない。」



ベルトランの至極当然ともいえる言葉を踏まえアーカンソー医師が答えた。



「陛下にはお伝えすべきかと考えております。何が起こるか予測出来ない現状では、出来るならば初めての謁見の場を大広間での御披露目という大掛かりなものではなく、少人数の方々への御披露目という形式にて執り行って頂ければ最善かと。」



「それならば、私とカイル以外は宰相と将軍までの少数だが陛下が特に重用している各署のトップのみの召集とし、クレマンテの執務室で内密に謁見を済ませる形を取ればよかろう。勿論、私が差配する。


その場で皆にアズサの事情を説明し、今後の対策を練ると共に、その件に関しては口を噤むよう話しておくつもりだ。その辺りのことは私に任せてほしい。」



「心強いことです、副団長。」



「…いや、『渡り人』様が女性であることを利用しようとする輩も王宮には数多いるからな。内密に行えるならば願ったりだ!


こんなことは言いたくないが、我が従兄弟クレマンテならば、『渡り人』様は我が国に留まるものと他国へ示す為に、『渡り人』様を王妃へと迎えるなどと言い出すやもしれぬ。」



「可能性は高いと考えられます。他国にとっても『渡り人』様は貴重な、喉から手が出るほどまでに欲する存在ですから、何としても我が国マルガリード王国のものだと宣言されたいのが陛下の本音でしょう。」



国王陛下クレマンテは時折、突飛なことを平気な顔をして言い出す悪い癖があるのだ。


王妃といえば、国王を支えながらも自らの公務を平然と勤め上げるようでなければあらぬ。

無論、高度な教育を幼い頃から受けている令嬢でなければ務まろう筈もない。


気まぐれに『渡り人』様を王妃にと望まれでもしたら………ベルトランが国王クレマンテの為にと身を挺して王妃に相応しくない者が選ばれぬようことごとく排除してきた、これまで積み重ねてきた努力は水泡に帰してしまう。


それに梓紗の資質に問題があるとか、そういうことではない。一国の王妃ともなれば、一朝一夕というような短い期間の学びだけでは務められるものでは無いからだ。


そして、一番厄介なのは梓紗は全く別の価値観を基本とした世界からやってきた『渡り人』様ということだった。


全く別の価値観を持ったまま、マルガリード王国の王妃など務められよう筈も無い、のは百も承知だ。



ただ王妃という立場に据えるならばメリットはないわけでは無い。


一見、五月蝿い大臣共や貴族達の反駁を抑えられ、他国にも『渡り人』様はマルガリード王国を守る為に遣わされたと示せる形ではある。


しかし、いつ何時発作が起こるか分からない梓紗の些細な行動を大臣共や貴族達だけではなく他国からも注視されながらの生活では、この世界に不慣れなだけではなく発作の危険を抱えた梓紗の精神が早々に参ってしまうであろう…



ーー梓紗を王妃として迎えることだけは、何としても避けなければなるまい。



遠い異世界からやってきた、この世界のことを何も知らない上に、いつ何時起こるか分からない発作の危険を抱えた梓紗のことを慮っても、自らが積み重ねてきた努力を考えても、国王クレマンテと『渡り人』様梓紗の婚姻は回避すべき事態であることは明白だ。



そして、先程から無言で何か思い詰めているカイルの梓紗への、今まで見せたことのないような執着ぶりから察せられる思いをベルトランは大切にしてやりたかった。


仕方ない、ここは我が従兄弟クレマンテに泣いてもらうより他はない、ようだなーー




例え、梓紗が自らの手を取ることがなくても、あらゆる危険から梓紗を守り抜きたい、とカイルは覚悟を決めていた。


そんなベルトランとは異なる覚悟を決めたカイルが語気も強く会話に加わる。



「それに『渡り人』様といえば、今世ではただ御一人しか現れないとされる希少な存在ゆえ…他国が攫おうと狙ってくる可能性は極めて高いと言える。


だからこそ、私は近衛騎士団団長として陛下の護衛ではなく、国賓である『渡り人』様アズサ殿の護衛を願い出るつもりだ。」



幾ら『渡り人』様が国賓とは言え、普段とは明らかに異なる執着を見せるカイルの真剣な眼差しを見てとったベルトランはついカイルに肩入れして請け負ってしまっていた。



「分かった、カイル。

クレマンテが何か無茶を言い出すならば、私が抑えこんでやる!」



「心強い援護に感謝する、ベルトラン。」



マルガリード王国国王陛下クレマンテに物申すことができるのは、同じく王族で正式な後継として名の挙がる同い年の従兄弟ベルトランだけだ。


そんなベルトランの心強い言葉がカイルには頼もしい。



アーカンソー医師が眉根を寄せながら医師として考え得るもうひとつの懸念をふたりへと告げる。



「僕としては、将軍も同席されることが非常に気に掛かります。兵団はならず者も多く、それを纏める将軍もまた体が大きく、その雰囲気といえば…こう申し上げるのは失礼だが、『渡り人』様を襲った「賊」とよく似ているのではありませんか?


もし『渡り人』様が将軍と接することで今回の件を思い出し発作を起こされてしまったら…と不安が募ります。」



「アレは脳筋男だしな。ただでさえ繊細な女心も分からぬ脳筋なのに、あの見てくれだ!今のアズサにリオネル将軍を会わせるのは危険だと私も考えていた。


カイル、お前は将軍からアズサを守る盾になってくれ。」



「分かった!強固な盾となり必ずアズサ殿を御守りしてみせる。


それに、騎士団と兵団は元々、不仲だ。我々騎士団が警護する要人に対して兵団は迂闊に手など出せまい。


しかも今回は国賓の『渡り人』様だ、護衛は騎士団というのが暗黙の了解だ。兵団如きが『渡り人』様へ手を出すことなど出来まい。否、出させることはない、と誓おう。」



「ありがとうございます、団長、副団長。『渡り人』様のお耳に入れることにより要らぬ不安を煽るのは本意ではありませんでした。


だからこそ、『渡り人』様のお耳に入れぬよう、おふたりにご同行願ったのです。


しかし、団長と副団長のお気持ちをこうして伺うことができ、医師として安堵致しました。」



尤もなアーカンソー医師の言葉を受け、ベルトランの力強い声が響く。



「私はクレマンテを、カイルは将軍を、それぞれ抑えるからアーカンソー医師は安心して貰っても構わない。」



完璧に見えた役割分担ではあったが、その隙を突く問題を無自覚ながら遅れてきた恋心故か常よりも冴え渡るカイルが指摘してきたのはその時だった。




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