鍛え上げられた胸に寄りかかる重みが増したことに気付いたデラージがその胸元を確認する為に視線を下げると、梓紗は穏やかな表情を浮かべ安心した子どものように眠りこけてしまっている。

夜更けの冷えた空気から守るよう自身のマントの中へと梓紗を引き入れ、その小さな身体を厚いマントで包み込むと己の体温を分け与えるかのようにデラージは梓紗を抱き寄せた。


そこにロドルフォが鞄と靴を大事そうに抱きかかえながら戻ってきたのだった。

ロドルフォはデラージと梓紗ふたりの姿に一瞬、驚いたように目を瞠る。


何故なら、デラージは王国騎士団でも五本の指に入る実力者であり女性達からの人気も絶大だったが、デラージへ近づこうとしてくる女性達に対する態度は愛想がないを通り越して嫌悪さえ滲ませるようなものが常であったからだ。 


一度、ロドルフォがデラージの背後に居た時に見た、あの表情は忘れることが出来ない。

偶然を装い、わざとデラージに触れようと手を伸ばした御令嬢からサッと身をかわしながらも、前方へと倒れ込む御令嬢を仕方なしに手を添え支えてやっていたデラージが見せた表情は言葉では言い尽くせぬ程の嫌悪を隠そうとしていながら隠しきれないでいることがロドルフォにさえも丸わかりであった。

あの、冷たい、背筋がゾクっとなるような嫌悪に満ち満ちたデラージの眼差しをロドルフォは忘れることが出来ないでいる。


何故、女性達はデラージのあの眼差しに気が付かないのか…ロドルフォは不思議でならない。


「デラージ様の色香を含んだ瞳が
堪らないのよねえ!」

「そうそう!それに…時折、お見せに
なられる影を含んだ冷たい眼差しなんて
…もう悶えちゃうほどだわ!」


などと喧しく囃し立てる彼女達は最早理解不能な生き物にしか見えない。

自分の目から見てもそう思われるのだから、デラージ当人にしてみたら如何程の苦痛であろう…


一方、ロドルフォはまだまだ新米の方ではあったが、武功を立て続けに挙げて王国騎士団に入団した新進気鋭と目され、女性達の新たなターゲットとして人気も上昇していた。

そんなロドルフォではあったが、気の強くてしっかり者の妹がロドルフォに女性を見るにはどこを見ていけば良いのか、を逐一指導してくることもあり、まだまだ新米として気を引き締めていなければ!という心も手伝い、にこやかだが付け入れられる隙は作らぬように用心してきたのが本音である。


デラージの態度は自分が心掛けている用心というよりは全く容赦の無い、時折、度を超えてしまった過ぎる相手には冷酷なまでの仕打ちさえしかねない危うさをはらんだ冷淡なものであった為、ロドルフォは今、自身が目にしている光景が現実のものとは俄かに信じられないくらいの衝撃を受けていた。


内心の驚きを隠しつつ、ロドルフォは足音を忍ばせてデラージと梓紗の元へと近づいていく。

ふたりの近くまで来ると、ロドルフォは音を立てて梓紗を起こさぬよう最大限注意を払い鞄と靴をふたりの脇へとそっと置いた。

一連の動きを確認したデラージが抑えた声でロドルフォに向かい告げる。


「アズサ様はお眠りになられた。
お疲れの御様子なので、
このまま休ませて差し上げよう。」


「はい。」


デラージに体を預け安心した幼子のように眠る梓紗に天高く昇った月の明かりがさやさやと降り注ぐ。

梓紗を胸に抱くデラージの翠の瞳も、ロドルフォの人懐っこい仔犬のような瞳も、優しく見守るように穏やかな寝息をたてる梓紗へと注がれていた。

まるで聖母子像のような表情を浮かべているデラージと梓紗、そしてロドルフォを月の明かりが静かに照らし出す。


今のデラージから感じ取れるのは聖母が神子を慈しむような、慈愛の籠ったもの。

いつもの冷淡をも通り越した嫌悪は梓紗に対しては一切感じられない。


不思議な感覚なのだが、ロドルフォもそんなデラージの傍らにいると護るべき対象としての『渡り人』様ではなく、庇護すべき無垢な魂を梓紗に感じ始めていた。

この不思議な感覚は…とその原因に思いを巡らそうとも思うが、今はただ穏やかな夜を梓紗に過ごして頂きたい、という思いが強く湧き上がってくるのみだ。


さやさやと静けさを伴う月の明かりがそんなロドルフォ、デラージ、梓紗を包むように優しく照らしていった。



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梓紗を警護する為に傍らに居るデラージは身を屈め蹲るように身を小さくしていく梓紗を目の当たりにしていた。すると『渡り人』様として敬うべき存在と見ていた乙女が、急に何とも小さく頼りなげな存在へと変わり、デラージは胸をつかれてしまう。

ひとり膝を抱え俯くさまに憐れを誘われ、その孤独な姿は誰かが護ってやらねば儚く消えそうにさえ思われる。


何か力になれればと思い、どこか他所者感漂う『渡り人』様という呼び名ではなく、ひとりの人間としての名前を呼び掛けていた。


「アズサ様、お寒くはございませんか?」


「大丈夫…です。」


力無く答える声が寂しげに地に落ちる。


「アズサ様、お耳汚しになるやもしれませんが……今から私が口ずさむ歌はお聞きになられても聞き流されようとも構わない戯言のような歌ゆえ、お好きになさってください。」


デラージのしっとりと艶を含む深みのある声が耳触り良く、興味を引かれた梓紗は伏せていた瞳をあげデラージの方へと顔を向けた。


翠の瞳は月明かりを浴び瞬いているのに、その横顔は翳りを帯びている為か、どこか淋しく切なげに梓紗の目に映る。



『月の女神の腕(かいな)に抱かれし乙女

白銀の光りはさぞ冷たかろうに

足元を照らす月明かりに輝く白き石は

帰りを待つ家路への道しるべ…… 』



ゆったりとした柔らかな旋律に乗り、しっとりと艶を含む深みのある声音は朗々と夜空に響き渡る。

まるで梓紗の縮こまったこころにも響き渡るよう。


「……かなしい歌、ね。」


知らない歌である筈なのに、どこか懐かしい旋律に惹かれ耳を澄ませていた梓紗は我知らず呟いていた。


「古くから伝わる歌です。幼い頃、家族に歌ってもらっていたので今でも覚えているせいか偶に口ずさむのです。」


思い出を懐かしむように翠の瞳が細められ、梓紗の方へ顔を向けているのに梓紗ではない何かを見ているようだ。

デラージの表情はあたたかい筈なのに、梓紗の瞳にはどこか苦しげに映るのはどうしてだろう…


ーーデラージ様も何かに苦しんでおられるの?それとも過去、何かに苦しんでいらしたのかしら?


その苦しみが何か梓紗には分からない。

人としての本能ゆえなのか、不意に湧き上がる思いに梓紗のこころは奪われてしまう。


苦しみに違いはあれど苦しむ辛さは同じはず。辛さを分け合えたなら少しは楽になれるのではないかーー


考えるより先に、梓紗は抱く思いを口にし行動に移してしまう。


「もっと歌ってくださいませんか?
…近くで……よく聞きたいのです。」


傍に控えていたデラージのマントの裾を掴むと、もっと傍へ来てほしいと願う梓紗は自分の方へマントを手繰り寄せる。

幼子のような梓紗の態度がいじらしく、柔らかな笑顔で振り向いたデラージはマントの裾を掴む真珠色の手をそっと握り、頷き返す。


デラージは梓紗の手を握ったままバランスを崩さないように距離を詰めては、大丈夫か?と窺うように梓紗へ視線を流す。

梓紗は頷くことで了承を表し、もっと近くへ、というように握られた手を引き寄せデラージを窺い見る。

デラージは頷くと距離を詰め、すると梓紗がデラージの手を引き寄せる。

無言の遣り取りが幾度か繰り返され、遂にデラージは梓紗のすぐ間近に居た。


ふたりで行われた無言の遣り取りは身体的な距離を近くにしただけではなく、あたかも梓紗とデラージの心と心の距離をも近づけていく様に思われた。


「つ、疲れたので…身体が重くて…凭れたいのです。…デラージ様のと、隣に、私を凭れさせて頂けませんか。……それに…ち、近くで歌ってほしい、のです。」


ヘタレっぷりが物悲しさを誘う、梓紗の拙い言葉達がひと言も漏れることなく、すぐ間近にいるデラージへと伝わった。


梓紗は確かに、ヘタレだ。だが、泣きたくなるようなヘタレ加減も許してほしいーー


度重なる出来事もあってか、梓紗の身体は疲労していて確かに、酷く重い。

普段ならば、誰かに凭れかかりたいなどと甘えたことを言い出すことはしない。

目の前で微笑むデラージの手の温もりが心地よいのに苦しげな顔が切なくて…心の距離が縮んだかのような思いに任せ、梓紗は躊躇いながらも思い切って申し出てみた結果なのだから。


デラージは了承の意を表すと、梓紗の隣へ腰掛け、繋いでいるのとは反対の手で自らの肩の辺りをぽんぽんと叩いて梓紗に凭れかかるようにと合図した。


「…失礼致します。」


「どうぞ。」


デラージからみれば小柄な梓紗は肩まで届かず、鍛え上げられた腕の途中に触れるくらいまでしかない程に小さく頼りない。

デラージは繋いでいた手を持ち上げると梓紗の肩に腕をまわして引き寄せた。自然、こてりとデラージの広く逞しい胸に凭れかかる体勢となる。


ーーふわあ…デラージ様の匂いがする。
不思議と安心できるような匂い。


しっとりと艶を含む深みのある声音がゆったりとした旋律に乗り、梓紗の頭上から降り注がれる。

どこか懐かしい歌が耳に心地よく響き、デラージの胸から伝わる心臓の音までもが梓紗を落ち着かせてくれる。


幼い頃、父母に抱かれていた時のような護られている感覚に、不安や焦りで昂っていた梓紗の気持ちは次第に穏やかに凪いでいく。

意識してはいなかったが、不安ゆえに緊張していた梓紗の身体から次第に力が抜けていった。

心と身体から見えない重しを外した梓紗は静かに瞳を閉じて意識を手放した。


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ふたりの騎士が梓紗の元まで近づくと礼儀正しく挨拶を行う。


「王陛下クレマンテ様とお会いになられる『渡り人』様へ随行し、王都までお供させて頂ける栄誉に預かり光栄にごさいます。

私の名はデラージ・ウブドと申します。
どうぞ、以後お見知り置き願います。」


「私はロドルフォ・ロワウと申します。
宜しくお願い申し上げます。」


デラージと名乗る騎士は整い過ぎるほど整った硬質的な美貌ながら、その硬質さにそぐわぬ艶やかな色を湛える目が印象的な大人の雰囲気漂う麗しさ。

一番年若いと思われるロドルフォは人懐っこい笑顔が眩しい、まるで仔犬のように濡れた瞳がきらきらと輝く、これまた整った容貌の若者である。


梓紗は心の中でそっと溜息をつく。


この世界というか、近衛騎士団が特別なのだろうが、あまりにも眩ゆいイケメンが次々と現れることに梓紗はまだ慣れずにいた。


それでもカイルが引き受けてくれた安心感から落ち着いて考える余裕が僅かに生まれ、ふと気がついたことがある。


「すみません。…私、鞄と靴をこちらの世界に来た時に無くしてしまい……。申し訳ないのですが……」


「私が探して参ります!お鞄とお靴ですね。
少々、お待ちになってください。」


「ありがとう、ロドルフォ君。」


梓紗が全て言い終える前に、一番年若い騎士ロドルフォが明るく人懐っこい笑顔を浮かべ元気良く返事をした。すぐさま探しに行ってくれるなんて心から有難い。


「『渡り人』様、何か他に御不便などはございませんか?御遠慮など我等には不要ゆえ何でも仰ってください。」


「ありがとうございます、デラージ様。」


硬質な美貌にそぐわぬ色を湛えた艶やかな眼差しで見詰められ、無意識の色香に当てられた梓紗は思わず目を伏せてしまう。


梓紗自身でさえ自分に対して、これ程までに気を遣ったことはなかった。そう思えば、騎士達が向けてくれる優しい心配りに頭が下がるばかり。


行方不明の鞄と靴を思い出すと、自然ここ数時間のうちに目まぐるしく起こった出来事の数々まで思い出されてゆく。


会社での残業帰りから何故か異世界に転移してしまい、盗賊に襲われそうになったところを間一髪助けられ、不覚にも大泣きする梓紗を宥めるように包んでくれた広くて優しい懐深さ。

これからの生活はこれまでとは大幅に異なるものになるだろう。それなのに襲われたショックにより、いつ引き起こされるか分からない発作の問題。


団長様が引き受けて下さり、アーカンソー医師やベルトラン様も梓紗のことを真剣に考えて気遣って下さることは勿論、心強い。


ーーそれでも湧き上がる不安が梓紗を苛み、奈落の底へ突き落とすように襲い掛かる。


ひとり異世界へ来てしまった心細さ、先行きの見えない焦りにも似た気持ち、これから起こるかもしれない見えない問題の数々。


『渡り人』様という皆から期待と尊敬の眼差しで崇められる存在を求められても、果たして自分は応えることが出来るだろうか、その期待を裏切ってしまったら今後、自分はどうなってしまうのか……


考え出すと暗い深淵が足元に広がっていくような底知れぬ恐怖にかられ、梓紗は膝を抱え身を小さくして蹲っていく。

顔色は徐々に色を失い、思い詰めたような暗い表情に変わってしまうのだった。



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