盛岡の実家で缶チューハイ片手に亀田ー内藤戦見てました。
今でもこれが現実なのかはたまた夢なのか分からないでいますが、どうやら現実のようです。
10ヶ月のインドネシアでの任期を終え、無事に日本へ帰ってまいりました。
日本に帰ってきて第一声は
「空気の粒子細かいな~」でした。
成田空港まで迎えにきてくれていた母と、「焼き魚定食」を食べました。
日本へきて、最初に食べたものは「味噌汁」でした。
夜は家族で鍋をつつきました。
10ヶ月異国にいる娘をどれだけ心配してくれていたのか、よく分かりました。
リアウに派遣が決まってから、
何度派遣を断ろうと思ったことか。
でも、もしも断ったら、
この人たちとの出逢いもなかったのかと思うと、
わたしの人生が、リアウに行く人生でよかったです。
一方で、facebookには、ある学生による
「Jl.Diponegoro dan melihat mess labora ,masih terasa kehidupannya ,namun ku sadar ,haruka sensei sudah tidak disana lagi.」
という書き込みがありました。
日本語で簡単にいえば、わたしがプカンバルで住んでいた寮の前を通った学生が「もう先生はいないんだな」と思った、ということです。
4月から、東京での大学院生活が始まります。
大学院ではインドネシアの日本語教育について研究します。2011年には数ヶ月リアウへ帰ります。
あれほどプカンバル行きを反対していた母親が、
「そのときはわたしもリアウに行ってみたい」と言っています。
ほんの10ヶ月という期間で、少しずつだけど何かが変わった気がします。
2009年が自分にとって重要な年になったことに間違いはありません。
とりあえず、みなさん
いっしょにビールを飲みましょう![]()
ケータイ番号は変わってません。メールは使えませんがパソコンメールならできます。
みなさんにこちらからメールで誘いたいの気持ちはあるんですが、なんせ内気なもんで。



