2日夫から離れた。

無心で街を歩いたら、これまでずっと止まっていた涙が再び溢れてきた。


なんでだろう。

カサンドラ再びなのか?

いやいや、もはや悩み尽くしてもう悩む必要なんてないじゃない?

朝にけろっと通常モードになっている夫に感じた恐怖。

もはやなかったことにして、日常を受け入れることが、自分をないがしろにしていることに他ならないのだ。


今日、駅に夫が迎えにきてくれた。

助手席に私の好きなスイーツが置いてあった。

いつもはない行動だ。

つまり「嫁が好きなコンビニスイーツを覚える」を覚えるのに10年。10年かかっているんだ。

でも私を喜ばせようと一生懸命なのだろう。

でも人に対してやらかしたことは、どうしていいのかわからないから自分は悪くない思考になるようで...

でも本人の中でなかったことにしても、まわりも私も彼が無意識に傷つけたことを忘れることはないのだ。

わからないことはしかたない。しかし、きっかけがあって気づくチャンスがあったときにわかる努力をしない、周りのせいにするのは甘えだ。

きっとこれからしらんぷりをしていた分、たくさん頭を打つことになるだろう。

彼が生きていくのに優しい社会がありますように。


2人でビジネスもしているから妥協することも出来なくて、今となればそれでも最近は改善しようと努力しているのがわかったから、ちらりと希望を見てしまったのかもしれない。


これからはこの仕事を1人で背負っていくのだからと覚悟を決めて、これからの未来を描く。

正直に言うと怖いです。

今の仕事を1人でやっていくことが出来るのか?

出来ない彼を基準にこれじゃだめ!と考える思考癖をまず捨てないといけない。

これじゃ↑夫もさぞ窮屈だったと思う。

でも仕事に対して妥協できない私は商品のクオリティ、マナー、個人情報の取り扱い、アフターケアまでこれでいい!とは思えなかったのだ。

これがいい!とお客様に選んで欲しいから。

作り手として信頼を失うことは1番怖いこと。

結局夫は理解したいと思ってくれたけど、私の言っていることは届かなかった。 

まずやることは目の前の確定申告を終わらせること。

経理に関しては私の知識はまだまだ足りない。

でも、やる。


この涙の理由は責任を1人で背負うことの重みに不安を感じていたからなのかもしれない。

不安、感じて当然。

怖いです、絶対お客様にしわ寄せが向かわないようにする責任、クオリティと満足感を自分のいらいらから下げない意識の高さを持ちつづけられるのか。

これまで人を雇わずに2人でやってきたこと自体がすごいことなのに、これからは私1人でやろうとしているのだから。

もちろんアルバイトを雇うことは必要だけど、これまでの心労はなくなる。

私が作り上げた店の空間に夫のこだわりがmixされ、違和感を感じていた空間をもっと自分好みの店にできる。

メニューも新しくしよう。

ここでこの仕事をしたいと願ったのは私だから、そこに夫はいなくても後悔する必要はないんだ。