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地元紙より★


宮城県と、仙台空港を拠点とするアイベックスエアラインズ(東京)が同空港の利用促進や観光振興、地域活性化などを目的とした包括連携協定を結ぶことが18日、分かりました。
県が航空会社と協定を締結するのは初めて。

同社は5月、県の観光キャラクター「むすび丸」を描いた新しいジェット機を就航させる予定。

県内の観光地や東日本大震災からの復興状況などの情報を、機内の情報誌や映像などを通してPRします。

観光プロモーションやキャンペーンでの連携を強化し、訪日外国人旅行者(インバウンド)を含めた県内や東北への観光誘客を図ります。
機内で提供する飲み物や菓子などに県産品を採用することも検討します。

社内に新設する地域活性化チームを中心に、県内企業などと連携した新しい地域間交通のモデル確立を目指します。
震災経験を踏まえ、災害時の支援物資や人の緊急輸送協力も盛り込みます。

アイベックスは2000年から仙台空港と伊丹空港を拠点に、地方都市間を結ぶ航空路線を展開しています。
協定締結は、就航先の行政や企業などと連携した活性化推進策の一環。

同社の仙台空港発着の路線は18日現在、福岡線が1日3往復、広島、伊丹、中部、小松の各線が1日2往復。
全路線で全日空と共同運航しています。



いよいよ「むすび丸」課長ジェット機の登場です飛行機飛行機飛行機
旅行の為だけではなく、ショッピング、食事、待ち合わせなど、空港に足を運んで頂くことが大切だと感じます!!

あらゆる情報を発信して、世界中からお客様が訪れるステーションになってほしいと願っていますおねがいおねがいおねがい


今回もお読み頂きありがとうございますm(__)m
地元紙より★

金のしゃちほこで有名な『名古屋城』の天守閣を木造で建て直す動きが進んでいます。

名古屋市が2022年12月の完成を目指し、今年5月7日から立ち入りを禁止し、本格的な調査や工事を始めます。

名古屋城の天守閣は高さ約36㍍。広さは大阪城をしのぎ、日本で一番とされています。

もともとは徳川家康が豊臣方との決戦にそなえ、1610年に各地の大名たちに人とお金を出させ、造らせたものです。

江戸時代の初期、名古屋城、大阪城、江戸城の天守閣は、各地の他の城を圧倒する大きさでした。
ところが、江戸城は1657年に明暦の大火事で、大阪城は1665年に落雷で、それぞれ焼けてしまいました。

名古屋城は明治維新の後、各地で城が壊されても残り、国宝にも指定されました。
しかし、太平洋戦争中の1945年5月にアメリカ軍の空襲を受け、焼け落ちてしまいました。
今の天守閣は59年前に鉄筋コンクリートで建て直した建物ですが、コンクリートがもろくなり、震度6強の地震で崩壊のおそれがあります。
名古屋市は対策を調べた結果、建物を改修しても、あと40年ぐらいしかもたないとしています。

そこで、手入れを欠かさなければ、さらに長持ちする木造で天守閣を復元するアイデアが寄せられました。
静岡県の掛川城や宮城県白石市の白石城では、1990年代に木造の天守閣が復活し、多くの観光客を集めています。

名古屋城は江戸時代から昭和までそのままの姿だったので、図面や絵、写真が多数残っています。
昔の建物を正確に建てられると考えられています。



復元された白石城!!


名古屋城が、そのままの姿に復元されたら、勇壮で豪華絢爛なお城になることは、間違いないでしょう。
当時の武家文化や武将時代の栄華が、後世にまで繋がることが、今から楽しみです( ^ω^ )





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地元紙より★

大阪夏の陣再現!
『鬼小十郎まつり』(昨年10月)

そこかしこから望める白壁の威容が、城下町白石の風情を醸し出します。

1995(平成7)120年ぶりによみがえった。

「独眼竜」と称された伊達政宗の股肱(ここう)の臣、片倉小十郎景綱に始まり、260年余にわたって片倉家が居城にしました。
徳川幕府の一国一城令にあっても仙台城の支城として存続し、明治維新後の1874年に解体されました。
「市民が心の過疎に陥らないよう志を高めたい。観光だけでなく、白石再生へのシンボルになる」と当時の川井市長。

住民が減り、産業にも漂う衰退ムードを打破しようと、20億円を要する木造での本格復元に踏み切りました。
天守閣に当たる三階櫓(やぐら)は高さ16・72㍍で前例のない規模。
人口4万強、年間予算100億円前後の小都市が法規制や財源の対応に知恵を絞り、成し遂げた事業は全国的にも注目されました。

ハザマ(現安藤ハザマ)東北支店で白石城作業所長を務めた外舘さんは「白石で示された先例が本物志向の城郭復元の流れをつくった。壊れたら修理することで技術も伝承される」と意義を語ります。

青森ヒバやヒノキといった国産材をふんだんに使い、宮大工や石工ら全国の職人技の粋を集めました。
伝統の知恵は災害に強かった。

2011(平成23)3月の東日本大震災。
土壁が揺れを吸収して柱や梁(はり)を守り、内側に栗石(ぐりいし)という玉石を積んだ石垣はびくともしませんでした。

さまざまな困難を乗り越えた白石城。
仙台藩の南の要衝は今、県南地域の観光や文化活動の一大拠点となりました。

初日の出や花見、日本舞踊、茶会など多様な催事で年中にぎわう。
勇壮に合戦を再現する「鬼小十郎まつり」は秋の恒例行事として昨年10回目を迎え、各地から人を呼び込む。

景綱に扮して市内外で白石をPRするのは、大宮宗雄さん(56)。普段は白石城管理事務所で働きます。
大宮さんは「小十郎が生きた時代にタイムスリップした気分を味わえるのは、リアルに再現された城ならではの魅力。子どもや外国人など客層も年々広がっている」と胸を張ります。


城周辺に活気は生まれましたが、市内を見渡せば人口は減る一方で苦境が続きます

「武家文化が息づくまちとして、気骨を持ち続けてほしい」。
川井さんは白石城に次代へ願いを託します。



※白石城は江戸時代に何度か建て直され、1823(文政6)年に完成した最終形を再現した。

入館者は95年度の約28万人が最多。
東日本大震後の2011年度は約4万2000人に落ち込んだが、16年度は約7万1000人になった。





歴史、文化の継承の大切さ。
そして、それを支えていく難しさ……。

でも、個人的に、けっして華やかじゃない(笑)、お城も、あのしっとりとした町並みも大好きですキラキラ

片倉小十郎景綱様の白石!!

深呼吸がしたくなったらー
また、伺います…(いつも行ってるけど~(笑))爆笑爆笑爆笑




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