『白石城』復元!!ー歴史継承の意味ー | 08harusanさんのブログ

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地元紙より★

大阪夏の陣再現!
『鬼小十郎まつり』(昨年10月)

そこかしこから望める白壁の威容が、城下町白石の風情を醸し出します。

1995(平成7)120年ぶりによみがえった。

「独眼竜」と称された伊達政宗の股肱(ここう)の臣、片倉小十郎景綱に始まり、260年余にわたって片倉家が居城にしました。
徳川幕府の一国一城令にあっても仙台城の支城として存続し、明治維新後の1874年に解体されました。
「市民が心の過疎に陥らないよう志を高めたい。観光だけでなく、白石再生へのシンボルになる」と当時の川井市長。

住民が減り、産業にも漂う衰退ムードを打破しようと、20億円を要する木造での本格復元に踏み切りました。
天守閣に当たる三階櫓(やぐら)は高さ16・72㍍で前例のない規模。
人口4万強、年間予算100億円前後の小都市が法規制や財源の対応に知恵を絞り、成し遂げた事業は全国的にも注目されました。

ハザマ(現安藤ハザマ)東北支店で白石城作業所長を務めた外舘さんは「白石で示された先例が本物志向の城郭復元の流れをつくった。壊れたら修理することで技術も伝承される」と意義を語ります。

青森ヒバやヒノキといった国産材をふんだんに使い、宮大工や石工ら全国の職人技の粋を集めました。
伝統の知恵は災害に強かった。

2011(平成23)3月の東日本大震災。
土壁が揺れを吸収して柱や梁(はり)を守り、内側に栗石(ぐりいし)という玉石を積んだ石垣はびくともしませんでした。

さまざまな困難を乗り越えた白石城。
仙台藩の南の要衝は今、県南地域の観光や文化活動の一大拠点となりました。

初日の出や花見、日本舞踊、茶会など多様な催事で年中にぎわう。
勇壮に合戦を再現する「鬼小十郎まつり」は秋の恒例行事として昨年10回目を迎え、各地から人を呼び込む。

景綱に扮して市内外で白石をPRするのは、大宮宗雄さん(56)。普段は白石城管理事務所で働きます。
大宮さんは「小十郎が生きた時代にタイムスリップした気分を味わえるのは、リアルに再現された城ならではの魅力。子どもや外国人など客層も年々広がっている」と胸を張ります。


城周辺に活気は生まれましたが、市内を見渡せば人口は減る一方で苦境が続きます

「武家文化が息づくまちとして、気骨を持ち続けてほしい」。
川井さんは白石城に次代へ願いを託します。



※白石城は江戸時代に何度か建て直され、1823(文政6)年に完成した最終形を再現した。

入館者は95年度の約28万人が最多。
東日本大震後の2011年度は約4万2000人に落ち込んだが、16年度は約7万1000人になった。





歴史、文化の継承の大切さ。
そして、それを支えていく難しさ……。

でも、個人的に、けっして華やかじゃない(笑)、お城も、あのしっとりとした町並みも大好きですキラキラ

片倉小十郎景綱様の白石!!

深呼吸がしたくなったらー
また、伺います…(いつも行ってるけど~(笑))爆笑爆笑爆笑




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